私の女性史:なぜ5回も結婚してしまったのか
私の仕事史「なぜ無職を選ぶようになったのか」に対して、co-noterのゆうさんが圏外のツッコミをくださいました。
ゆう「世界さん、女運よすぎません?」
仕事の話を書いてきたのに、女性関係にツッコミを入れてくる、ゆうさんのトリックスターぶりよ。
5回結婚したことを知ってのツッコミなのでしょうか。だとしたら、皮肉がきつすぎませんか?
このシリーズを書き終えて、人生の半分を曝け出しました。
私の人生の半分は仕事でできていました。
あとの半分は、たぶん女性でできています。
人生の二大テーマが仕事と女性。それ以外ほぼゼロ。
この際、女性史を書くことで、残りの半分を曝け出すのも悪くないか。
そんな自暴自棄気分になったのも、ゆうさんのせいだと思います。
今回も、1回の投稿でどこまで書けるかわからないまま始めますが、章立ては以下のとおりです。
1. 東大卒のエコノミスト
2. コンピュータヲタクのSE
3. ドイツ在住のピアニスト
4. メンヘラのバックパッカー
5. 打算で生きてる服屋の店員
1. 東大卒のエコノミスト
26歳のとき、赴任先のロンドンでヨーコと出会う。
ヨーコは、ロンドンのシティにある証券会社で働くエコノミストであった。
日本人会のパーティー(と称するただの飲み会)で会い、すぐに意気投合した。
東京大学出身。バリキャリ。しかも美人。才色兼備を絵に描いたような女性で、まともな男たちは近づけなかったが、まともでない私は彼女に話しかけていた。
私がワルシャワに転勤して遠距離状態が1年続いたあと、ドバイへの転勤が決まったのを機にヨーコと結婚した。戸籍上は1人目の妻である。
ドバイでエキサイティングな新婚生活を楽しんでいたとき、東京本社から帰任の発令が下り、ヨーコとともに帰国した。
ふたりで東京に住んだ。その頃からヨーコとの関係が重苦しくなっていく。
ヨーコは東京にある証券会社に軽々と再就職し、バリバリ働いている。
私は、仕事がデキる妻が自慢だった。私より長時間労働していることも、私より収入がずっと多いことも、自嘲(じつは自慢)するように人に話したものだ。
私はDINKsを目指しているつもりだった。子を作らず、高収入の妻とぜいたくな暮らしを満喫しよう。幸せそうな子連れファミリーを尻目に、私たちは高級レストランも海外旅行も好きなだけ行けると思っていた。
しかし、ヨーコは意外と古風な人であった。外食をよしとせず、晩ごはんは自分が家で作る主義なのだ。
夫婦が家事を分担するのが当たり前な時代はまだ到来していなかった。むしろ、男子厨房に入らずが残っている時代だったように思う。
私は残業せず、6時半には帰宅してひとりでテレビを見ていた。妻は残業し、夕食の食材を買い、9時過ぎに帰ってきた。疲れきっている妻は、突き刺すような目で私を見た。その硬い表情が、美人なだけに尚更おそろしく感じた。
私は、常に妻から批判の目を向けられているように感じていた。妻から何か言われるたびにビクっとするようになった。
今思えば、家事の分担を話し合うだけでよかったのだろう。夕食は私が作ると彼女が言うのなら、それ以外の家事を私がやると言えばよかったのだ。そんな簡単なことすらできなかった。
東京生活が2年続いた頃、ちょっと変わった女と出会う。
このヒトミという女は、私の職場にサポートに来ていたシステムエンジニアである。
なぜこんな女に惹かれたのか、今でもよくわからない。
ヨーコはすべてを持っているが、ヒトミには何もない。
強いて言えば、まったく恐怖を感じないところだったかもしれない。
ヒトミには劣等感をもたなくてすむ。
私は、ヨーコという妻の学歴や収入や容姿を自慢の種にしていながら、彼女と自分を比較することのあさましさを思った。
自分のあまりに無様な姿を自覚したとき、ヨーコと家にいるときの緊張感、会話が続かないときの焦り、体に触れたときの罪悪感など、すべてのことが腑に落ちた。
ヨーコから逃げたい。
いつのまにか、会社を出た私は自宅に向かわずに、ヒトミのアパートに足が向くようになっていた。
(つづく)
しんどいです。仕事史を書いたとき以上に。
第1章ですでに心臓をえぐられている自分がいます。しかも自分の筆によって。
この時点では、ヨーコとの生活はまだ壊れていませんでした。結婚生活とは他人と同じ空間にいる日常に耐えるもの、と思っていました。
続きです。
