[10]吠えられても、愛犬は穏やかなまま。飼い主の「不動の心」で散歩は変わる
こんにちは。すももです。
私は小さなシニア犬と大きめの犬と暮らしています。普段、愛犬と暮らす中で、しつけに関する悩みを持ったことがほとんどありません。
お散歩中、向こうからやってくる犬に、激しく吠え立てられるというシチュエーションには、これまで何度も遭遇してきました。
すれ違いざまの予期せぬ大音量。 その瞬間、飼い主さんは頭が真っ白になり、強いストレスを感じてしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。ストレスがリードを通じて伝わり、犬までパニックになって吠え返してしまう。そんな光景を目にすることがたまにあります。
けれど、我が家では他の犬にどれほど激しく吠えられても、私の心が乱れることはありません。 2匹を慌てて引っ張ることも、声を荒らげることもなく、穏やかに「不動の心」を保ち続けることができます。
なぜ、動じずにいられるのか。 そこには、目の前の2匹の心だけにフォーカスする、私の捉え方があります。
今、守るべきは目の前の小さな命だけ
他の犬に吠えられたとき、人間の心がグラグラと揺れ動いてしまう一番の原因は、まだ起こってもいないトラブルというノイズに意識が向いているからです。
「吠え返したらどうしよう」 「ケンカに発展したら嫌だな」と、悪い想像ばかりが膨らみ、意識は目の前の愛犬から完全に離れてしまっています。そして、その不安や緊張感は、リードを通じて犬に伝わります。犬は「あ、ママが何かに怯えている。怖い状況なんだ!」と勘違いし、パニックや防衛本能のスイッチが入ってしまうのです。
だから私は、瞬時にすべての悪い想像を頭の中でシャットアウトします。 今この空間に存在している、吠えている向こうの犬と目の前の2匹、そして私だけに意識の焦点をグッと絞り込みます。
そして、目の前の犬たちの行動や表情を観察することに集中します。緊張していないか、恐怖を感じていないか、興奮気味なのかを読み取ることに気持ちを向けることで、いつの間にか、私の心には何ものにも脅かされない「不動の心」が宿るのです。
相手の犬ではなく、愛犬の「目の奥」を見つめる
心が定まったら、私が取る行動はやはりどこまでも静かでスローです。
相手の犬に視線を向けることもなく、ただ、2匹との間にそっと自分の体を割り込ませ、相手の犬からの視線を物理的に遮る壁になります。そして、愛犬たちの目の奥をじっと見つめます。目で会話をするのです。
「吠えられているけど、どうする!?」と私の顔を見上げてくる2匹に対し、私はいつもの穏やかな笑顔で、「大丈夫だよ」と、ただ目で合図を送ります。
私がリラックスをしているのを感じると、2匹はふっと肩の力を抜き、何事もなかったかのように表情を取り戻します。
人間の「動じない佇まい」こそが、犬にとって何よりも強力な精神安定剤になるのです。
吠える犬への静かなリスペクトと優しさ
もうひとつ大切な意識があります。
私が不動の心でいられるのは、吠えかかってくる犬に対しても、心の中で「教えてくれてありがとうね」とリスペクトの気持ちを持っているからです。
その子が吠えているのは、決して意地悪をしたいからではありません。 「大好きなママ(パパ)を守らなきゃ」「知らない大きな犬が来て怖いよ」という、防衛本能からのアピールだと思っているからです。
そんな風に思うと、ネガティブな気持ちは湧いてきません。むしろ、健気に頑張っている賢い子だと、温かい目で見守ることができます。
私が怒りや恐怖のエネルギーを放つことなく、静かにしていると、あんなに激しく吠えていた犬も、興奮が収まって静かになることがよくあります。人間の静けさは、相手の犬のパニックをも包み込む力を持っているのです。
冷静さを取り戻したタイミングを見計らい、堂々と歩き始めます。
どんな嵐の中でも、愛犬の「大樹」でいるために
お散歩道は予測不能なハプニングに満ちています。 けれど、どんな嵐が吹き荒れようとも、飼い主である人間が「不動の心」という根を地面に深く下ろしていれば、犬たちの世界が崩れることは絶対にありません。
ただ愛する犬の手を引くように、その心に寄り添うこと。 何があっても、私がいるから大丈夫だという安心感を静かに示すこと。
今日も私は、2匹の信頼を背中に感じながら、どんな場所でも堂々とゆったりと歩き続けます。
すもも
