でんでけでん
正月の日差しは穏やかで、餅が長く伸びるが如くに届く。
うねるような影ができるのは、平次が、身振り手振りも大袈裟に熱演しているせいだ。
「御用だっ!」
「わたしが何をしたと。ご法度破りでもあるまいし」
「人としてやっちゃいけねえことに、ご法度もクソもあるかっ!」
「ほほう、いさましいことだ。お縄にできるもんなら、やってご覧、その鉄砲では無理でしょうがね、あっはっは」
こんちきしょう、と言いながら引き金を引く真似をする平次。いつも、事件だ大変だ、と愛用の水鉄砲を撃ちながら道の真ん中を駆けているのだ。
「ただの水。心配ご無用、でしたっけねえ、蝉形平次さん」
平次は声音まで、そいつになりきっている。
「そう言ってあの野郎、こう、もみあげの滴を拭うと、その手をあっしの方へぴっぴっと振って、笑いやがったんでございますよ」
まことに水が飛んでくるようで、私はつい、体をずらした。
「あっしとしてもふん捕まえて、ぎゅうっと言わしてやらねえと、腹の虫がおさまらねえ」
「まあ、落ち着け、平次」
私は平次に盃をすすめてやる。
「こりゃどうも、斎藤先生」
平次はくいっと呑み干す。
「蝉形殿。どうもご面倒をおかけしたようで、かたじけない」
私の隣に座る客人が頭を下げる。
「とんでもござんせん。あっしは、斎藤象三先生のおかげで、字が読めるようになりやしてね。それでもって、こちらの読み物の虜になったんでございますよ」
平次が大切そうに懐から取り出したのは、客人、由井小雪の著した『源義牛伝』である。義牛は私たちの親しい友であるが、修行で諸国を放浪しては、ひょいと訪ねてきてくれる。その折々の話を、読み物にしたものが人々の心を捉えているのだ。
「それを、クソ野郎が似非もんなんぞこしらえやがって。はらわたも煮えくりかえろうってもんじゃあ、ござんせんか」
「まあ、鎮まられよ、蝉形殿」
そう言って由井がもう一杯、盃をすすめる。
「読み物をこさえる、というのは、いつもと違うところへ行かなければならぬのです」
「湯治とかにお出かけになるんでございますか」
平次の言葉にいやいや、と由井が笑う。私は話の続きを待つ。
「心のありよう、いや、魂の置き場を変えると申しましょうか。身は、どこにあっても良いのです」
「へえ」
「誤解を恐れずに言うなら、それは狂気のようなもの」
平次が目を丸くしたのが見える。私も、心の中で目を丸くするが、顔色は変えない。何しろ、蝮の象三と呼ばれているのだから。
わしは、と由井の静かな声が続く。
「よきものを書きたいと思うております。そのために、人を見、いきものを眺め、草花や光や風を触ります。義牛殿の話は、たいへんに面白く、わしのここを揺らしました」
由井が丹田の少し上あたりを拳でとん、と叩くと、平次が大きく頷いた。
「だからと言って、義牛殿の話をまんま書くわけではありませぬ。それはわしの中で何度も何度も、噛みしめては、こなれていくのです」
「牛だけに」
ええい平次、余計な茶々を入れるな、と私は微かに眉を吊り上げる。由井がそれを見てとったかのように、こちらへなだめるような視線を寄越す。
「左様。牛のようにいつまでも、得心がいくまで。だから、いざ書かんという折には、わしはもう義牛殿になっておるのです。義牛殿の目で奥州を眺め、欄干からとび、鬼とたたかう」
ああ、と平次が相槌をうつ。
「お分かりいただけたようですな、蝉形殿。己ではないものになりきって、あるはずのないものを見る。これを狂っていると言わずして何と言いましょうや」
私は思わず膝を打つ。平次も両膝を打ったので、でんでけでんと太鼓のように拍子がついた。
「あっしは得心が行きました。だからあの、宵氷雪とかいう似非野郎の読み物に、ちっとも、心が動かなかったんでございますよ」
「まがいものには、狂気がありませんからな。蝉形殿、わしは、読み手にはそれを見分ける目があると信じておるのです」
由井の目が光る。
「ものがたりが自然と湧いてくることなど、ありませぬ。既にどこかで見聞きしたものがあるは、世のならい。わしのように、義牛殿の語られたことを元にすることもありますし。和歌には本歌どり、宋の国では換骨奪胎という言葉もあるくらいです」
しかし、と由井は日の差し込まぬ影のあたりを指差した。
「噛んで噛んで、どろどろになって己の血肉と混ざり合い、狂気となって放たれるくらいになって、その言葉が当てはまるのだと、わしは思うております。それを怠れば腹をくだして、まんま出ていってしまう。蝉形殿がおっしゃるような」
クソ、にすらなりませぬ。
平次はあっけにとられているようだったが、やがて笑い出した。
呵呵、呵呵。
どこかの地で、義牛も笑っているのだろうという気がした。
私も笑う。蝮が笑う、でんでけでんと、巳年の始まり。
<了>
みなさま明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
巳年、還暦きたる! 扉絵は、ながーい犬、だそうです。
長編の沼へ潜ろうという野望を持っております。その前に、「創作は狂気」だと思ったことをまとめておきたくなりました。
懐かしい人たちを召喚して、語っていただきました。
佳き年でありますようお祈りいたしております。
