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医師31年目の私が、自分の体調不良の 「根本原因」にたどり着くまで40年以上かかった話

以前、facebookに短い自己紹介を載せたことがあります。
今日は、あの中に書ききれなかった話を、全部書きます。
長いです。
でも、これが私の本当の自己紹介です。
私は医師です。医師になって31年になります。

それなのに、 自分の体の不調の本当の原因にたどり着くまでに、
40年以上、遠回りをしました。

医師なのに、です。

この話を書くのは正直、恥ずかしいです。
でも、私と同じ遠回りをしている人が、
今もたくさんいると思うから書きます。


【サインは、幼稚園の頃から出ていた】


私が育った家の話から始めさせてください。
父は循環器出身の医師で、 東洋医学の専門の開業医でした。
うちは漢方薬が基本の家でした。
子供の私も、なんだかんだと たくさんの漢方薬を飲んで育ちました。
母は、看護師でした。

その母は、 「医師である夫は、医療のことなら、なんでも全部知っている」 と信じている人でした。

家族の体調は、父が家の中で対応する。
内科医である父が対応できなくても、
体裁が悪くない状態だと母が思った時だけ、
他の医療機関に行く。歯科とか、外科とか。

それが我が家の当たり前でした。
その「当たり前」がどういうものだったか、 わかる話があります。

私が小さい頃、母の指にできものができました。

父はそれを見て、皮膚がんだと言いました。
「もう長くないかも」とまで。

母は父の母校である大学病院を受診することになりました。
小さかった私は、ただ連れて行かれただけです。

結果、診断は、毛細血管拡張性肉芽腫。
皮膚科医が見れば間違えようのない、 良性のできものでした。
その日のうちに、 あっけなく処置されて終わりました。

父の「診断」は、外れていたんです。

それでも、うちの家は変わりませんでした。
父は全部わかっている。その信仰は、揺るがなかった。

そして、私自身の話です。
幼稚園の頃の数年、 私の頬には毎年、冬になると赤い紅斑が出ていました。
父は「リンゴ病かな」と言っていました。

毎年です。

でも、リンゴ病は感染症で、 一生に一度しかかからないとされています。
毎年かかるはずが、ないんです。
(絶対にないとは言えませんが、 毎年かかるなら、
それはそれで別の問題です)

今の知識で思い返せば、 典型例とは言えないけれど、
のちにSLEを発症したことを考えると、
あれは蝶形紅斑だったのかもしれません。

自分がSLEを発症するまで、 私はこのことをすっかり忘れていました。

14歳のとき、バセドウ病になりました。 甲状腺の自己免疫疾患です。
今振り返れば、このときすでに
自己免疫の体質は形になっていたのだと思います。

そして高校3年のとき、顔に、皮疹が出ました。

今思えば、 円板状エリテマトーデス(DLE)と思われる皮疹です。
(甲状腺の薬の服用が終わっていたか 記憶が曖昧なので、
固定薬疹だった可能性もあるかもしれません)

かなり長い間、 出たり引いたりを繰り返していました。
思春期の女の子の顔に、
潰瘍になった病変があるのに 皮膚科を受診させることなく、
父の見立てで「真菌感染症」として 抗真菌剤の塗り薬を、
ずっと塗らされていました。

母も、私を皮膚科に見せようとはしませんでした。

そして当の私も、 皮膚科に行きたいとすら考えませんでした。

父親が全てをわかっている。父は最高の医師だ。
私も、そう思っていたからです。

父は早くに亡くなったので、 もう本人に言うこともできません。

考えようによっては、ですが
もしあの紅斑が、あのときSLEと診断されていたら。
私は子供の頃からステロイド治療を受けて、
「難病の子」として育っていたはずです。

そして、ここが大事なところなんですが。
SLEと診断されたら、 ステロイドを止めることは基本、できません。

膠原病の治療は、 投薬を止める方向には向かわないんです。

標準治療とは、そういうものです。
(最近は新薬が出てきて、免疫抑制剤と 併用しながらステロイドを減らす選択肢も 出てきてはいますが)

普通の診療では、確定診断がついたら、 投薬の中止はまずしません。

私自身、主治医の立場だったら、 患者さんに頼まれてもしないと思います。

私が後年、薬をやめることに挑戦できたのは、 自分が医師で、
自分の体だったから。

じわじわと時間をかけて、自己責任でやれたからです。

それに、分子栄養医学や機能性医学の研究が
進んできた現代だったからできたことです。

40年前に診断されていたら。
40年間、投薬と治療が続いていた、ということです。
断薬は、まずなし得なかったと思います。

ほぼ毎日飲んでいた漢方薬が、
多少は体質を整えてくれていたのかもしれない。

実際、紅斑はいつのまにか消えて、 バセドウ病になるまで、
私は普通の子供として生活できました。

だからこれは、親を責める話ではないんです。
問題は、誰が悪かったかではなくて。
体のサインは幼稚園の頃から 出ていたかもしれないのに、 それを「つなげて見る」人が、 誰もいなかったということ。

ちなみに、うちの家族を並べてみます。
父は医師。母は看護師。
よく家に来ていた叔父も医師です。
そしてのちに、一番上の姉も、まんなかの兄も、
私も、 3人とも医師になりました。

これだけ医療者だらけの家族で、
毎年出ていた私の紅斑を、
「あれはリンゴ病じゃなかったよね」と 指摘した人は、
一人もいませんでした。 私もふくめてw

体のサインを「つなげて見る」ことは、 それくらい、起きなかったのです。
「医師がそばにいるから大丈夫」という思い込みこそが、
一番の遠回りを生んでいました。

これが、私の遠回りの始まりです。

【若い頃から、気分の波に振り回されていた】


私は若い頃から、気分の変動が激しい人間でした。
子供の頃はそうでもなかったのに、
成人してからは、
すぐ泣く。すぐキレる。

自分でもコントロールできなくて、 困る場面が何度もありました。

でも当時は、それが「体の問題」だなんて 考えたこともありませんでした。
性格の問題。気持ちの持ちよう。そう思っていました。
医師なのに、です。

【専門外のことは、医師も知らない】


医師になってからの私は、 臨床医としての道を無我夢中で走ってきました。
目の前の患者さんのこと。勉強のこと。

結婚もして、いつか子供を、と思いながら 仕事を続けているうちに。
気がつけば、意外なほど年数が経っていました。

46歳のとき、 なんだかんだと試行錯誤した末に、
気持ちに区切りをつけました。

なんとしても子供を、という 強い気持ちがあったわけではありません。

ただ、産婦人科は私の専門外で、
妊娠のしやすさが年齢や体の状態で
どれだけ変わるかという認識が、甘かった。

ここで知っておいてほしいことがあります。

医師は、専門外のことについては、
みなさんが思っているほど詳しくありません。

「お医者さんなら全部知ってるでしょ」 と思うかもしれませんが、
違うんです。
父のことで、あれだけ思い知ったはずの私が、
自分のことでも、同じことをしていました。

もっと早くに、知るべきことを知っていれば。 今でもそう思います。

【検査もせず、体感だけでサプリを飲み続けた】


その後のことです。
昔からの気分の波に対して、 キレート鉄という海外サプリを試しました。 流行りの一般の方向けの書籍を読んでのことです。

劇的に効きました。泣かなくなった。キレなくなった。
嬉しくて、そのまま飲み続けました。

ここで白状します。

私は、フェリチンも測っていませんでした。
血液検査もしていませんでした。

「効いてるから、いいや」
体感だけで、何年も飲み続けたんです。

患者さんには検査の大切さを話す立場の医師が、
自分のこととなると、検査ひとつしていなかった。
これが、私の大きな判断ミスでした。

【海外で、体が壊れた】

その頃、私は海外でFIRE生活を送っていました。
仕事から離れて、のんびり暮らす。理想の生活のはずでした。

そこで、体に異変が起きました。
微熱が続く。関節が痛む。体がむくむ。
心臓の周りに、水まで溜まっていて。 帰国して、緊急入院になりました。

検査の結果は、 SLE(全身性エリテマトーデス)。
そして、ループス腎炎。
膠原病という、難病でした。

幼稚園の頃の、あの紅斑。 毎年「リンゴ病」と言われていた、
あの紅斑を、 私はこのとき、40年ぶりに思い出しました。

数ヶ月の入院治療で、透析はなんとか免れました。

でも、主治医から言われたのはこうでした。
「一生、免疫抑制剤を使って、 安静に静かに暮らすのが一番です」

医師である私が、 自分の体の声をまったく聞けていなかった。
その結果が、これでした。

【納得できなかった】


一生、薬を飲んで、静かに暮らす。
……納得できませんでした。
私は治療法を探し始めました。 全国を探しました。
分子栄養療法をはじめ、いろんな治療法を学びました。

そして、時間はかかりましたが、薬をやめることができました。

標準医療では「治癒」とは言わない病気なので、
正確には「寛解」という状態です。

でも、免疫抑制剤を一生と言われた体が、 薬なしで動けるようになった。
体は、回復していきました。

ここで話が終われば、 よくある「回復しました」のストーリーです。
でも、終わりませんでした。

【回復したはずの体に、まだ隠れていたもの】

私は医師です。 いろんな検査を受けてきました。
いろんな医師にも診てもらってきました。

分子栄養療法の有料の研究会にも入って、 勉強を続けていました。
それなのに、気づいたときには、 萎縮性胃炎が進行していました。

検査の数字を、並べてみます。
ペプシノーゲン1は、一桁。
胃の粘膜の萎縮がかなり進んでいることを 示す数字です。

一方で、ピロリ菌の抗体は、血液も尿も陰性。数値は3。

GI-MAPという便の検査でも、病原性の高いピロリは未検出。
赤表示もなく「リスクは低い」という判定でした。

ピロリは陰性なのに、胃の萎縮は進んでいる。
この組み合わせが本当は何を意味するのか。
それを理解できる情報に、私はずっと行き着けませんでした。

胃カメラも、受けてはいました。
でも、胃カメラで見ているのは、
胃がんがないか。潰瘍や炎症の病変がないか。 隆起した病変がないか。

ドックや健診の胃カメラは、 「胃がんを見つけるための検査」なんです。
「ペプシノーゲンI がなぜ低いのか」
その理由を探すための検査では、なかったんです。

「ピロリじゃないなら、まぁいいか」

そんな空気のまま、何年も流されてきました。
「胃がんのリスクが高い」と 明確に指摘されたのは、今年が初めてです。

じゃあ、ピロリじゃないのに、 なぜ私の胃はここまで萎縮したのか。

「自己免疫性胃炎」という病気のことは、 ずっと気になってはいました。
でも、日本の医療には長いあいだ、 「自己免疫性胃炎はまれ」「日本人ではほぼ考えなくていい」 という空気がありました。

消化器内科以外の医師だと、 この病名すら覚えていないかもしれません。
Googleでいくら調べても、
出てくるのは 「日本では少ない」という記事ばかり。

AIに聞いて、初めて知りました。
日本でも近年、診断例は増えているということを。

そこからピロリ学会関連の情報を学んで、
やっと、 「ピロリではなく、自己免疫性胃炎の疑い」
というところまで行き着きました。

おりしも、若返りの追求で知られる
アメリカの実業家ブライアン・ジョンソン氏が、
SNSで自身が自己免疫性胃炎だと公表したばかりでした。

彼のきっかけも、長年の原因不明の鉄不足だったといいます。

私の確定診断は、まだ道半ばです。
保険診療では、確定診断のための検査すら やんわり断られました。

ここまで来たのは、ほんの数ヶ月前のことです。
特別な出来事があったわけではありません。
胃カメラは、ずっと受けていました。
それでも「わからない時期」が長く続いていました。

早期の自己免疫性胃炎は、 内視鏡では一見正常に見えることもある、
とされているんです。

本当なら、 「ペプシノーゲンI がなぜ低いのか」
その理由を探しにいく検査を すべきだったはずです。

でも、その道は用意されていませんでした。
そうやって知識がつながっていく中で、
私がサプリをやめられない本当の理由も、 やっとわかりました。

萎縮性胃炎で胃酸が出ないせいで、
ミネラルが食品からほとんど吸収できない体に なっていたこと。
サプリでないと補えない状態だったこと。
気分の波も、血糖の乱れも、鉄不足も、
ぜんぶこの一点につながっていました。

医師で、勉強もして、検査も受けて、 専門の研究会にまで入っていた私が。
「原因はピロリだけじゃないかもしれない」 という発想に
たどり着くまで、40年かかったんです。

そして、たどり着いた今わかっているのは。
根本の原因は、胃酸が出ていないこと。
そしてそれもまた、自己免疫だということ。
では、その自己免疫はどこにつながっていくのか。
グルテンかもしれない。乳製品かもしれない。 増粘剤なのかもしれない。
組織トランスグルタミナーゼ (tTG) ?!

AIもまだ、答えを知らないと言います。

つまり、まだ道半ばなんです。
こういう原因究明への系統だった道は、 私が知る限りありませんでした。
もし、あれば 私はもっと早く良くなっていたと思います。

【体は治った。でも、人生はまだだった】


薬をやめられて、体は落ち着いて。
「あとは夫と二人、のんびり暮らせればいいか」
そう思っていた頃に、 小田桐あさぎさんのコミュニティに出会いました。

そこで、それまでの前提が ずいぶん覆されることになります。

幼稚園の頃の紅斑も、高3の皮疹も、 思い返すたびに、実家の家族との関係が絡んでいました。

膠原病を患ったことで、 その実家の家族との確執が表面化して、
肉親との関係が悪くなっていました。

それが自分にとって何を意味するのかということに、
初めてちゃんと向き合えました。

そして、もっと大きかったのは、
物心ついてから、ずっと消えなかった、 理由のわからない孤独な気持ちが、消えたことです。
夫と出会って緩和されていましたが、消えてはいませんでした。

大人になって仕事に就いて、 こういう気持ちは悪化していました。
医療の世界は、下手をすると マウントの取り合いになる世界です。

でもそのコミュニティは、ただの「女性の集まり」でした。

世間話。 美味しいものの話。 ファッションや美活の話。 ダイエットの話。 パートナーの愚痴。 もっとあーしたい、こーしたい。
こんなことで苦労した、あるある。などなど。

それをただ話せる場所。 いつでも来られて、いつでも帰れる、憩いの場所。

境遇の違ういろんな人と会って話すことが
楽しいと感じられるようになったのは、 人生で初めてのことでした。

そして、この場所で気づいたんです。

私が遠回りの末に手に入れた知見が、
いろんな人の役に立つということに。

【私が渡したいもの】


私の40年以上の遠回りから言えることは、 ひとつです。

体には、治す「順番」があります。

そして、病気の裏に隠れている 本当に治さなければいけない根本原因には、 通常の受診や健診やドックだけでは、 たどり着けないことがあります。

これは、今の医療が悪いという話ではありません。
医療の仕組みが、そうなっているんです。

急性の病気なら、今の医療は本当に優秀です。

でも、慢性の不調はどうでしょう。

なにか症状はあるのに、診断がつかない。
「様子を見ましょう」で終わってしまう。

本当は、いろんな科の医師が 知見を出し合えば、
もっと早く見つかるはずなんです。

あるいは、本人自身が 「あれとあれ、つながってるんじゃない?」 と
思い当たることができれば。

近い将来、AIが細かな異変を全部つなげて、
病気を予防してくれる未来が 来るのかもしれません。

でも、その異変を本人が 「異変だ」と認知できなければ、
AIも情報を得られません。
ウェアラブルで記録できることにも、 限界があります。

だから私は、 自分の体の異変を
「言語化する」知識こそが 必要だと思っていて、
医療の世界で使われる言葉を、 普通の人はなんと表現しているのか、
AIを使って、 そんな調査をする日々だったりします。

LLMも言語化されないと、学習できません。 いまのところ。

だから必要なのは、 医療の仕組みと、体の仕組みを、
「どう使うか」という知識です。

私はそれを知らなかったせいで、 40年以上、遠回りしました。
医師なのに、です。

「医師がそばにいるから大丈夫」で、 幼稚園の紅斑は見過ごされました。

「効いてるからいいや」で、 検査をしないまま難病になりました。

「ちゃんと病院にかかってるから大丈夫」で、
萎縮性胃炎は進行していました。

思い込みのある場所で、 遠回りは起きます。
だからこそ、 「もっと早く知っていれば」と後から言う人を、
一人でも減らしたい。
あなたには、遠回りしないでほしい。
それが、私が今、発信をしている理由です。


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Dr.りこ|分子栄養学を「心と体の知恵」に翻訳する医師 チップありがとうございます!読んでいただけただけでも嬉しいのに、ご支援まで感謝感激です。これからも頑張ります🥰

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