【人生について語る①】/自分史を作ってみる
こんにちは。
「急激に変化する現実と自己の折り合いをつける」―――Mystic Pioneer(ミスティック・パイオニア)―――DEUKUです。
西洋占星術によると、DEUKUの2023年12月から2026年3月は28年にわたる人生ステージの総まとめ。ステージを一巡するため、この28年をまとめ、いったん締め括る作業を行ないましょうとの暗示が出ています。
おしごとシリーズもまとめたところで、今度は子どもの頃についてまとめてみるのもいいかなと思っています。一度インナーチャイルドワークをやってみることを勧められ、そのときはよくわからなかったのですが、仕事での障害を感じてからは「・・・なるほどね」と思い直しました。
この28年は他の人から見ると平穏、平凡、順風満帆に映るのだろうなと思います。しかし、それらを保つのは意識的ではないにせよ、それなりに大変だったと自身では感じています。
ここにて、記憶から記録に落とし、肩の荷が下りた状態で次の28年に臨みたいと思います。
このテーマで語りたいこと
“育ち”によって生じる心の病、人に対する思いなど
恋愛・結婚・家庭に対する考え方
大人になって解決したこと、なおも影響するもの

DEUKUのスペック
○ 家庭での属性
長女。いわゆる“きょうだい児”でもある
父は風来坊で気の向いたときに帰ってくる。絶対ADHD(爆)
母は基本弱みを見せない。特に、子どもの頃は外向きの笑顔と厳しい表情以外は見せなかった。優等生タイプでもある
実質的な母子家庭。「子どもは動物と一緒」という考えのもと、基本的には叩かれて育つ。言葉で意思の疎通を図るようになったのは高校生以降
秘密主義的な家庭でもあり、親族の死さえも知らされないことがままある
○ でうく自身の素地
早い月に生まれたこともあり、やや早熟。「二十歳超え(ずとも)ただの人」の典型でもある
やや優等生的な振舞いも多かったが、特に幼少期はやんちゃなお調子者。現在はお調子者の側面はかなり抑えられている(代わりに、“調子に乗るべきタイミング”を見極める力が身についたように思う)
子どもの頃から目的志向。やりたいことは決まっており、何が何でもやる。隠れてでもやる
一時期話題となった「さす九」の通りの育ち。だが、きょうだいのこともあり男勝りであることもかなり求められた。一方、家庭では相当怒られたこともあり家事全般に対してかなりの苦手意識がある
“きょうだい”というよりも“一人っ子が二人”のような育ち方をする。受けた家庭・学校教育がきょうだいで違いが大きいのも特徴
生育的な立ち位置
○ 概要
両親は年の差婚。発言から察するに恐らくでき婚(但し、わたしはそのときにできた子ではない)
生後4~5年は転勤族として各地で過ごす。その後、地元に定住。以後10年程度は父の単身赴任により母子家庭状態となる
父が地元に戻ってきたのとほぼ入れ替わりでわたしが地元を離れる。以後、転勤生活を続ける
1. 「三歳児神話」に支えられる
結果論に過ぎないかもしれませんが、わたしが今でもなんだかんだで健康を保っていたり、人を好きでいられるのは、生まれて3~4歳までは両親の愛情をかなりわかりやすい形で受けることができたからかもしれません。
幼少期の記憶を辿っていくと、母がよく「3歳までが大事なの」と父に言い聞かせていたような気がします。母は地元では頭の良い学校を卒業している優等生。真面目でもあるので、当時の育児書を参考に奮闘していたのかもしれません。
要素としては、以下のとおり。
・まだきょうだいは生まれておらず、一人っ子の状態
・父の“父として”の自覚の薄さや転勤によるふわふわ感はあれど、両親が揃っていた
・この時期に叩かれた記憶はない。第1次反抗期も謳歌しており、両親は根気強く接してくれていた
「両親が揃っていた」という記述について、気にする方が一定いそうですが、こう記述したのは後の人生で「実質片親になる」という変化があるからです。他の要素もそうで、片親/両親の存在、一人っ子/長女の役割、しつけの是非を語りたいわけではありません。親になったこともないのに、無責任に議論はできません。
ここで述べたかったのは、上に述べた要素が、ある日突然すべて覆されたことです。
つまり、三歳児神話の年齢を通過した後はこんなことになります。
・きょうだいが生まれたため、転勤生活→父の単身赴任生活になる
・母および子どもの精神的支えであった父がいなくなる
・母の態度が豹変し、怒号と平手打ちが飛ぶ家庭となる
現在言語化できる脳でいえば、まさに「青天の霹靂」。
現在の脳みそで考えれば、環境変化によるストレスで脳が風邪を引いたのだろうと思います。ただ、子どもの頃というか、それこそ職場で様々な問題が起こるまで、脳は恐らく“正気”ではなく、客観視もできずただただ追い立てられていたように感じます。扁桃体フル稼働のような。
確かに、毎日なんだか生きた心地がしなかったし、「何を生き急いでいるのか」と言われることが多かったです。
今は数年前までと比べると思考がかなりクリアで、言ってみれば「憑き物が落ちた」ような感覚です。
○ 中途半端な存在
三歳児神話というテキスト(知識)と母の一生懸命さ、そして確かに「両親の愛はあった」と実感が得られるがゆえ、自分はこのギリギリの均衡を保てているのだと感じています。それが中途半端な様相を呈しているのも確かだと感じてもいる。
わたしは割と最近まで、自分は超人的な体の丈夫さと悪運の強さを持っているものだと思っていましたが、実は思い込みの強さだったのかもしれないと感じ始めています。踏ん張りが利きづらい年齢になってようやく気づくことかもしれません。
思い返してみれば、人並みに病気や怪我はしています。なかなかバイオレンスな時期を過ごしてもいますし、きょうだい児でもあるので、苦労もそれなりにと自分では思っていますが、これも肉体の意地なのか、人前に出ると平気になるので気づいてもらえないのです。
平気というか・・・
すべて、他人と比べると大したことがないのですね。
・持病の喘息→命にかかわるほどの重症度ではない
一度、学校で発作が出たことがありましたが、「高熱が出ていないから」との理由でそのまま授業を受けさせられました。熱と発作は関係がないが・・・少なくともわたしは授業中に走馬灯が見えましたよ・・・
・平手打ち→翌日には腫れが引いている
口の中は痛いですが、客観的にはわかりづらい。それ以上に、新興宗教家庭による放置子、明らかな虐待家庭の子(着替えやお風呂もままならない)など、他に大変な子がたくさんいる
・きょうだい児→もっと重い障害の子がいる
常時介護が必要な子、命にかかわる疾患を抱える子もいる中で、我が家はそこまでではない。まぁ、今後、最終的には地元に帰る必要はありますが。
ここでも論じるつもりはないのですが、明らかなのは「病気をしても、怪我があっても、自分のことは自分で対処しなければならない」現実に、三歳児神話の年齢を超えて早々に直面したこと。まぁ生きるためには必要な術ですよね・・・
自分自身としてはこのとき生き抜く術を必死に探して、それが今の生存戦略にも役立っているので感慨深さはありますが、それも大人の目から見れば「大したことじゃない」。大人の年齢では普通にしていることですからね。
自分では大人に弱みを見せているつもりでしたが、その実全く見せていなかったのかもしれません。普通、信用できない人に弱みは見せませんしね。
こういった中途半端な立場にいる人は数多いでしょうが、事情に共通性を見出しづらいので、コミュニティにもなりづらいですね。別にそういったものを作りたいわけでもないですし。
結局、人とはわかり合えないもの、自分で抱え込むしかないという現実は常にある。それは誰でもそうでしょうけどね。
次回は、生涯にわたって頭を悩ませている“心の病みやすさ”の視点から、自分史をピックアップしていきたいと思います。
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