【仕事について語る】/あれは適応障害だったなぁというはなし⑤《完結》
こんにちは。
「急激に変化する現実と自己の折り合いをつける」―――Mystic Pioneer(ミスティック・パイオニア)―――DEUKUです。
おしごとシリーズ第5回、今回が最後になります。
本記事では、DEUKUの仕事の現在進行形をお話ししていきたいと思います。

○ 3ヶ所め(8年め~現在)②
転勤3ヶ所めにしてようやくキャリアの立て直しをすることができたDEUKU。少子化や働き方改革による会社の弱体化もあり、いつの間にやら意見や要望が通りやすい時代になっていた。
そして、DEUKU自身もまた会社に対する見方が変わってきており―――
・10年め~現在~
わたしは今、新人のときに同じ職場だったトラウマ的上司と同じ空間で働いている。
この人自身ともいろいろあったのだが、2年めのときに別の上司から業務を干された際、それをずっと黙認していたのが一番のトラウマ。長きにわたりついて回るわたしに対する最低の評価を最初につけたのもこの人だった。
そんな過去の上司が転勤してくると知ったとき、新人のときと同様に職場のトイレに閉じこもり、涙が止まらない状態になりました。
これは・・・・・・もう無理かも。
聴覚の次は何をもっていかれるんだか、という冷笑的な、仕事を続けることを前提としている自分と、仕事の質量的にも限界なのに更にトラウマ的ストレスを抱えると壊れる、今が辞め時だと警鐘を鳴らす自分の両方が混在する。
上司には期待しないという意識が根強く残っているので「お、いよいよDEUKU休職のターンですね!?」と冗談交じりで予告していましたが、支社のトップはわたしがトイレで泣いていたのを深刻に捉えたようで、
その上司とお互い視界に入らない席配置にする
1対1となる状況は避け、間に別の上司を介する
報告などは対面でなく社内メールで代用可
といった調整をしてくれた上で去ってゆきました。
新年度が始まり、1回のみ因縁の上司に歩み寄りを試みたことがありますが、はねつけられたため、諦めたと同時に、わたしの人格も“もうひとりの方”が対応するようになりました。
“もうひとりのわたし”は冷静です。
以前は、手短に説明できないとイライラする上司に対して、端的にまとめられないのは自分の頭が悪いからだと思っていましたが、業務を理解した今では「ああ、この上司には情報量の多さを受け止めるだけのキャパシティがないのだな」と感じます。
文章理解の仕方も上司なりの構文があるため、同じ日本語話者であっても交わることはない。異文化の人だと思えばいいと割り切ることができました。
これが「自他の切り離しを行なうこと」なのだと、ようやく理解しました。
後輩もいろいろやってくれちゃってますw
GW前後まではその火消しに追われましたが、最近は落ち着いてきた頃。
「やらかした」といっても、あの頃の自分より全然できているし常識的な範囲だとふと自身を顧みます。
彼らが活躍できるように均しておくのが上司の務め。
矢面に立つ機会も増えました。
それに伴い、毅然とした態度を取ることも増えました。会社としてできないことはできません。明瞭な回答でないと後々揉めますし、相手の意に沿えない場合は揉める可能性がゼロにはならない。何をしたって揉めるときは揉める。
結局、肚を決めるしかないのです。
そういった意味では、物事を見る目はだんだんシビアになってきていますし、冷たい判断も早くなっていっています。そういった判断が得意な、もうひとりの“冷たい”わたしが出てくる頻度も増えてきました。
頻度が増えたというか、恐らくわたし自身がそちらに近づいていっているのであろうと感じます。家族には通用しなかったその考え方も、仕事の、殊に問題解決においては必要なのだと再認識したから。
仕事と障害
実は、わたしは仕事をできなかった時期、「自分には発達障害があるのではないか」と疑っていました。だから他の人と違って任せられないのだと。
結局、この10年の紆余曲折の中で通院をしたのは、耳が聴こえなくなったときの耳鼻科のみです。そのため、発達障害があるのかどうかはわかりません。今現在、発達障害が関係すると思われる困りごとは出てきていないため、受診の予定もありません。
ただ、20以上年上の女性上司との関係が築けないのは母との関係を再演している可能性を占い師さんから指摘されたことがあったり、2ヶ所めの職場のとき、20以上年上の男性上司とのやり取りについて「親子の会話みたい」(わたしが反抗的な態度をとるため)と他の社員から言われたりするなど、今思えばわたし自身に愛着が関係しているような問題行動が多かったように思えます。
女性上司とは関係作りの仕方が今もわからないままですが、男性上司については、上司側が意識していたかは不明なものの、叱ったり諭したりと、実の父以上に真摯な関わりをしてくれたため、社会とは、組織とは、役割とは、人の心とはといったことを学ぶことができ、次のステップに進めたのだと思います。
人間に対する基本的な信頼、心の安全基地が確立されていないと、大人になってからも仕事など、人生の各方面で影響が出る。
その可能性を感じたとともに、以下の事柄もまた、実感しました。
・仕事のトラウマは仕事でしか癒すことはできない
・人材育成と子どもの教育は共通性がある
・仕事はその人の人生の縮図でもある
大前提として、仕事とは「賃金を得る対価として労働を提供する」ことです。
不足していた家庭での愛情や教育を施す役割は会社にはありません。
ただ、人との関わりによって越えなければならない発達段階が本当に存在することを実感しました。越えなければ、精神的に“大人”になれない。
それに付き合える相手が成人後に現れるかどうかは、運による。
実は、聞く限り愛着障害があるであろう人を他に知っています。
職場で出ている行動パターンや問題がわたしとそっくりです。
状況や心情は想像できるが、わたしに何ができるわけではない。
性別、年齢、立場が大きく左右します。関わる相手がその条件を満たす人でなければ何ら意味をなさない。
つらい時期だとは思うが、踏ん張ってもらうしかない。
仕事以前の話なので、どこに行ってもこの問題は出ます。
グラウンドの小石をどける程度の障害は掃うので、人と関わることの醍醐味に触れてほしいです。
このテーマで語りたいこと
最後になりましたが、各記事の冒頭で毎回示してきていたこと。
1. 仕事を継続するために重要な要素とは何か
2. 仕事で挫折経験をしたときの立ち直り方
3. 実績と配慮を獲得するまでのプロセス
1について、まず、好きなことでなければここまで我慢はできません(笑)
人間がどうあれ、仕事内容にとにかく惚れていました。仕組み作りが素晴らしい。後は活用する人間次第ともいえる。
一方で、退職を考えなかった年はありません。こちらから言い出さなくても、実績がないためクビになるかもしれない。ならば、この会社の仕組み、技術を盗めるだけ盗んでやる。我がものにする気満々でした。
資格の勉強も、この会社の技術と無関係ではないので業務時間にしていることを咎められたことはありませんでした。会社の都合で仕事を与えていないので、そのような中でむしろ熱心に映る場合もあったのではないかと。
2と3は運という他ありませんが、マツコ・デラックスがいつか言っていたでしょうか、「差し伸べられた手に気づくくらいの世の中と向き合う気持ちは忘れないでほしい」「それをつかむ勇気を常に持っていてほしい」「それを見極める力をつけないといけない」と。
敢えていうなら、それかな。
誰かが何かをしてくれなくても、自分以外のどこかから得られるヒントはあると思います。最近は、AIなどからきっかけを掴む人もいますよね。
まさに、知は力なり、でしょうか。
おわりに
不思議でもあり、わたしにとって最も幸いだったのは、誰もわたしに「できない」以上のことを言わなかったことです。“何が”できないのかについても明言されたことは実はありません。「自分で考えろ」と突っぱねられて終わりでした。
どれほどひどい状態であっても、例えば「病院に行った方が良いのではないか」「検査を受けてみてはどうだ」「薬を処方してもらったら」「休職という手もあるよ」「適性がないんじゃない」などといった言葉を受けたことはありません。
単純に誰もわたしに期待も関心も持っていなかったことの表れかもしれませんが、受診して解決するものでもないとわたし自身感じていたので、言われなかったのはとてもありがたいことでした。
もしかしたら、周囲の方が先にそう気づいていたのかも。
最後に、わたしの“社内無職”のきっかけを作った2年めのときの女性上司についてですが、異動の直前、お酒まじりでホロッと
「わたしがあなたと同じ若手の頃、上司に話を聞いてもらえなかった。他の同期より出世も遅かった。それがとても悔しくて、がむしゃらに頑張ってここまで来た。
あなたは頑張れるのかな、これからきちんと成長できるのかが心配」
と、呟かれました。
今ここに記述するまで、ずっと胸の内にのみ抱えていた言葉です。
人間、やはり基本は自分が受けたようにしか与えることはできない。
連鎖に組み込まれたのだなと冷えた心で感じたものでした。
ここまでの遠回りと付け焼刃の成長を考えるとやはり複雑な気持ちです。
ふとした瞬間に蘇る言葉でもあります。
ここまで記した①~⑤の記事も、この上司があらかじめ設定したシナリオなのかもしれませんね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
これからは、この上司の掌に振り回されずに歩みを進めたいものです。
いいなと思ったら応援しよう!
応援いただけると励みになります。
ますます良い記事を作れるように頑張ります❤︎