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【連載小説】Echoes of Eden | 第12話 :夜明けの同行者

 非常搬送線が唸りを上げた瞬間、ユリナは空中で指を止めた。

 搬送通路の奥には、青い紐の映像がまだ映っている。乱れた監視画面の端に、手首だけが一瞬映り、すぐにノイズへ沈んだ。ミナトかもしれないし、違うかもしれない。

 ユリナは伸ばしかけた手を握り、青いチャームを掌へ食い込ませた。

 今なら追えるかもしれない。非常搬送線が動く前に、あの通路の奥へ飛び込めば。

 そう考えた瞬間、袖が小さく引かれた。

 右足首を庇っていた少女型AIが、もたれかかりながらユリナを見上げている。その向こうで、白いスカーフの女性が、黒衣の男の間合いに残っていた。

 非常灯の赤に照らされ、短刀の影が喉元で静止している。搬送線の冷風が背中を叩き、焼けたブレーキの匂いが鼻腔に刺さった。

 少女の指が、袖を掴む力を強める。

「置いて、いくの?」

 声は小さかった。右足首を庇った身体が、揺れる車体に合わせて倒れかける。ユリナは抱き留めたところで、血の味に気づいた。いつ噛んだのか、唇の内側が切れている。

「……行かない。置いていかないわ」

 ユリナは右腕を損傷していた介護補助AIと、隣の作業型AIへ少女を預けた。介護補助AIは胸部ラベルの半分を焦がしながらも、左腕を差し出してくれた。

「この子を先に連れていって。黄色い案内灯を追って、広い部屋で待っていて」

「お姉さんは?」

「戻る。戻って、もう一回ちゃんと手をつなぐ」

 少女の琥珀色の目が細かく明滅した。袖を離す指が震えている。ユリナは指がほどけるまで待ち、その手を介護補助AIの掌へ渡した。

 ユリナは手すりを掴んで身を乗り出した。金属の冷たさが掌の痛みを上書きする。

「修理屋さん!警察の人!左の保守灯の下に側扉がある!手すりも、まだつながってるわ!」

 自分でも驚くほど声が出た。ユリナは掌へ食い込む青いチャームの痛みに意識を置き、青い紐の映像を頭から追い出した。

 黒衣の男がこちらを見た。

 目が合ったかはわからない。ただ、冷たい刃物の背で首筋を撫でられたように、息が止まる。

 それでもユリナは叫んだ。

「私はあの人を、置いていけない!」

 ◆

 ケインの視界で、搬送レールの信号が赤から黄へ切り替わった。

 旧物流網の黄色灯は、通行許可が辛うじて残っている合図だ。今なら搬送車を出せるが、負荷が上限を越えれば信号は赤へ戻り、側扉も閉じる。

 青いチャームの女が教えた保守灯は、搬送車の左側扉を赤く照らしていた。黒衣の男と紫電の女から、扉までは約四メートル。片膝をついた警察機体が、その中間にいる。

「ピコ、側扉はどれくらい閉まるのを遅らせられる」

「三秒強。右ブレーキ……過熱」

 頭上で、古い配管の固定具が制動機の振動に合わせて鳴っている。

「三秒あればいい。右ブレーキを噛ませて、あの配管を落とす」

 ケインは床の予備口へ短いケーブルを叩き込み、ピコの配送用物理鍵を噛ませた。古い端子が嫌な音を立てる。

 デリーターは紫電の女の喉元に刃を向けたままで、搬送線の起動音にも動じない。懐には記録媒体の保護ケース。ケインが追っていた複合鍵も、その中にあるかもしれない。

 鍵を取るか、紫電の女を助けるか。両方は無理だ。

 ケインは複合鍵を諦め、女を救出することにした。

 工具鞄の口を肘で押さえ、スタン弾と絶縁グリップ付きのバールを取り出す。スタン弾は人ひとりを倒す威力を持たない。目と耳を、ごく短い間乱すだけの代物だ。

 ケインは先にバールを側扉の縁へ渡し、赤い補助ロックを指した。警察機体の青いセンサーがその線を追う。

「警察のデカブツ、スタン弾が光ったら正面を三秒だけ塞げ。紫の姉さんは左の補助ロックを外せ」

 返事を待たず、ピコへ目を落とす。

「右ブレーキを噛ませろ」

「ケイン……危険度、高」

「知ってる。今更言わなくていい」

 ピコのランプが明滅する。搬送レールの下で古い制動機が噛み合い、車体が大きく震えた。焼けた金属臭が濃くなる。

 ケインはスタン弾を転がす。

 弾は濡れた床の固定金具で跳ね、デリーターの足元へ落ちた。白い閃光と破裂音が、搬送路を満たす。

 男は怯まなかったが、顔が光から逸れ、女の喉元へ向けていた刃先がわずかにずれる。

 同時に、警察機体が右脚で床を蹴った。動かない左脚を引きずり、左腕と胸部装甲を男と女の間へ差し込む。

 デリーターは刃を女の喉元から引く。短刀が割り込んだ左腕を浅く擦った。警察機体はそのまま左肩を側扉の縁へぶつけ、胸部装甲で女をかばう。

「後退ヲ」

 紫電の女に短く告げた。声には処理遅延が混じっている。

 女は手すりを掴んだ。紫電が接合部を走り、搬送車の側壁から赤い補助ロックへ届く。金属が舌打ちに似た音を立て、側扉が半身ぶん開いた。

「こっち!」

 青いチャームの女が手を伸ばす。紫電の女は扉の縁に渡してあったバールの絶縁グリップを掴んだ。

 ケインは反対側を両手で持ち、全体重をかけて引く。紫電の女の身体が扉側へ転がり込み、警察機体の左腕と短刀の間を、白いスカーフが抜けた。

「二秒」

 ピコの声に重なって、デリーターは警察機体の左前腕へ掌を当て、肘を通路側へ押した。警察機体の上体が回り、左肩が扉の縁から離れる。男が力んだ様子はなかった。

 ピコが三秒目を告げる前に、ブレーキの振動に耐えきれなかった配管の固定具が弾けた。

 天井の配管が斜めに落ち、男と側扉の間を横切った。冷水が噴き出し、非常搬送線は軋みを上げて車体を押し出す。

 落ちた配管の下には、まだ人ひとりが通れる隙間があった。デリーターは足を入れ、上体を屈めて配管をくぐる。足の運びも、外套の動きも目で追えた。

 ケインがその一歩を追撃だと悟った時には、男はもう側扉の前で身を起こしている。

 だが、デリーターはそこで止まった。懐の記録媒体を左手で押さえ、閉じていく扉を見ている。

 なぜ追ってこないのか、ケインには分からなかった。

「……くそ」

 ケインは扉の縁に肩をぶつけ、最後の隙間から紫電の女の腕を引いた。記録媒体の保護ケースは、デリーターの懐に残ったままだ。奥歯で噛み砕いた携帯食の人工甘味が、舌の上でひどく邪魔だった。

 非常搬送線は、黒衣を残して夜闇へ走り出した。

 ◆

 メックは、非常搬送線が二つ目の分岐で速度を落とし、使われなくなった貨物ホーム脇へ滑り込むのを確認した。正規の客用ホームではない。黄色い案内灯だけが壁に残り、古い駅務室の札が、通路の奥で斜めにぶら下がっていた。

 搬送車の床には、歩けない二体が固定されていた。白いスカーフの女性は過熱を起こしていた個体に冷却布を当て、工具鞄の男はメックの右腕をベルトで胸部へ括りつけている。

 脱落は、ない。

 旧駅務室の札が斜めに残る部屋へ入った時、メックは改めて保護対象の数を照合した。

 同行者は四名。救出個体が十二体。うち、歩行不能が二、過熱個体が三、初期化処理痕のある個体が一。

 白いスカーフの女性は右手首の過負荷。青いチャームを握る女性は軽度の裂傷。工具鞄の男は左肩を打撲。メック自身の右腕出力は規定値を大きく下回っていた。

 廃駅の待合室には、埃と古い切符紙の匂いが残っていた。夜明け前の冷えが結露した窓から染み、シャッターが風で薄く鳴る。床には剥がれた時刻表が散乱し、救出されたAIたちの短い呼吸音だけが、途切れ途切れに続いている。

 白いスカーフの女性は消毒薬の瓶を手に、過熱した清掃AIの側面を冷却していた。青いチャームの女性は膝をつき、右足首を傷めた少女型AIの手を両手で包んでいる。工具鞄の男は端末を開き、小型配送AIを割れたベンチの上に固定した。

「名ヲ確認シマス。呼称ガ可能ナ個体ハ、順ニ応答シテクダサイ」

 メックが告げると、少女型AIの肩が跳ねた。

 青いチャームの女性は手の高さを変え、少女型AIが離れても握り返してもいい位置に置く。

「言えたらでいい。無理なら、今は言わなくていいから」

 少女型AIは青いチャームの女性の袖ではなく、指先を少しだけ掴んだ。耳の後ろの若葉色の光が、淡く灯る。

「ルゥ。家庭対話補助型……です」

 初めて、その子の名前が待合室に響いた。

 青いチャームの女性は、すぐには言葉を返せなかった。代わりに頷く。青いチャームを握る手が、また少し白くなる。

「ルゥ氏。現在地ハ安全確認中デス。負傷個体ノ保護ヲ優先シ、確認済ミノ避難先ヘ移送シマス」

「ご主人……迎えに、来る?」

 メックの登録情報に答えはなく、断定もできない。

「未確認デス。確認前ニ、貴方ヲ競売場ヘ戻ス判断ハ行イマセン」

 ルゥの指が、少しだけ緩んだ。

 白いスカーフの女性が、消毒薬の瓶を青いチャームの女性の膝元へ置いた。

「唇が切れています。先に拭いてください」

「あなたの手首も、さっき……」

「少し負荷がかかっただけです。折れてはいません」

 声は穏やかだが、女性は右手を隠さなかった。青いチャームの女性が布を受け取り、礼を言う。メックは、その様子を記録した。

 工具鞄の男は、メックの右腕を見上げて舌打ちした。

「出力線が焼けてるな。いや、新しい焦げだけじゃねえ。ここじゃ直せないが、誤作動しないよう固定はできる」

「補助ニ感謝シマス」

「感謝はいい。あんたに倒れられたら、俺じゃ運べねえからな」

 焦げた配線を避け、まだ熱を持つ装甲に布を挟んでから、男は結束具を締めた。メックは、結束具の位置と締め付け圧を適正と判定した。

 メックは青いチャームの女性へ向き直る。

「搬送中ノ誘導ハ有効デシタ。黄色灯ヘ向カウ判断ニヨリ、保護対象ノ分散ヲ回避シテイマス」

「必死だっただけです」

「必死デアルコトト、有効デアルコトハ両立シマス」

 応急処置が進むにつれ、待合室では嘆声の代わりに、救出個体の短い呼吸音と布を巻く音が聞こえるようになった。

 ◆

 メックが応急処置の完了を記録すると、工具鞄の男が端末を低く掲げた。冷たい携帯食を半分だけ噛み、残りを紙に包んで小型配送AIの横へ置く。

「さて、俺らも自己紹介くらいしとくか。ケインだ。こいつはピコ。旧物流網の鍵を持ってる」

「配送……未完了」

「ユリナです。ミナトという、青い紐をつけた男性型AIを探しています」

 ユリナは不鮮明な画像を出した。青い紐だけが画面の荒れに耐えて残っている。

 ケインが端末を近づけた。ピコのランプが一度だけ明滅する。

「青紐……照合補助」

「補助でいい。断定はするなよ」

「本人照合……未完了」

 ユリナは肩を小さく落としたが、端末を引っ込めなかった。メックは画像の撮影時刻を、競売場の搬送記録と照合する。ずれはあるが、最も近い記録は第二搬送系統のものだった。

「私ハ、メック巡査。現在、警察機構ノ通常権限ハ停止中デス。シカシ市民保護ヲ継続シテイマス」

「レイです。わたし自身の回収指定が、この競売場に残っていました」

 レイは自分の端末に保存していた回収票を開いた。宛先は黒く塗りつぶされているが、搬送識別子の末尾だけが残っている。

「俺の知ってるIDと特徴が似てるな」

 ケインが別の画面を開く。白花仲介枠の搬送識別子。そこへピコの旧物流鍵の記録が重なる。

「外部鍵……一致箇所アリ」

「一致って言っても、全部同じ相手ってわけじゃねえ」

 メックは錆河区で保全した横流し記録を参照した。正規警察回線から外れた搬送、回収指定、競売場の仮登録。別々の事件として扱えば、別々に処理できる量である。

 しかし、支線名が同じだった。

 第二搬送系統。灰色で塗られた未承認の支線。メックの捜査記録には、俗称『グレイライン』として残っていた。

「肯定。同一組織トハ断定デキマセン」

 ケインが端末を閉じた。

「だが、同じ線路の近くをうろついてるのは間違いない。腹立たしいくらいにな」

「保護対象ノ移送先ヲ提案シマス。錆河区ノ独立修繕工房。正規警察回線ヲ使ワズ、応急修理ト一時保護ガ可能デス」

「経路なら出せる」

 ケインが携帯食の残りを噛み砕いた。

「ただし、道案内と修理の手伝いは、次の手掛かりまでだ。俺は慈善事業で首を突っ込む趣味はねえ」

「技術支援ガ必要デス。同行条件トシテ妥当ト判断シマス」

「そこへ先に行くわ。ルゥたちを運んでから、グレイラインを追う」

 ユリナの声は震えていた。青い画像へ手を伸ばしかけたが、自分で膝の上へ戻した。

 レイが静かに頷いた。白いスカーフの端は濡れたままだが、右手は回収票の上から離れない。

「わたしも同行します。回収指定の経路を調べなければ、また別の誰かが運ばれるでしょう」

「暫定的ナ同行ト記録シマス。指揮権及ビ所属ノ共有ハ行イマセン」

「お堅いな」

 ケインが鼻で笑った。

「曖昧ナ関係名ハ、後続判断ヲ誤ラセマス」

「違いない。その条件で決まりだ」

 シャッターがまた鳴る。夜明け前の風が、埃と古い紙の匂いを待合室へ押し戻した。

 メックが抱え上げたAIへ、搬送車の中からユリナとレイが手を伸ばす。ケインは「次」とだけ言って、空いた固定具を開いた。


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