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【連載小説】Echoes of Eden | 第13話 :錆河区の修繕台

 錆河区の朝を、レイはまず匂いで感じ取った。

 朝の光が工場棟の煤けた屋根や水路の油膜に鈍く映り、街はまだ灰色だった。冷気に、鉄錆や防錆油、熱の抜けきらない樹脂の匂いが混じっている。

 レイは白いスカーフの端を押さえながら、工房の扉を仰ぐ。

 扉の前では、救出されたAIたちが身を寄せ合っている。歩けない二体は搬送台に乗せられ、過熱した個体には濡れた冷却布が当てられていた。ルゥは右足を庇い、ユリナの袖を掴んでいる。

 メックはその先頭へ出ようとしていた。右腕はまだ胸部へ固定されたままで、肩の奥から不規則な振動が漏れている。一歩踏み出すたび、装甲の内側で焼けた出力線が細く鳴った。

「前に立つなって言ったろ、警官さん」

 ケインが低く言い、メックの左側へ回り込んだ。

「先導配置ハ、保護対象ノ危機検出ニ有効デス」

「右腕を胸に縛ったまま言うことか、それ」

 ユリナがふっと息を漏らした。笑うところまではいかなくても、競売場を出た時より表情が和らいで見えた。

 扉の内側で金属の閂が外れた。

 顔を出した工房主は、メックと背後の十二体を見て、煤で汚れた顔をしかめた。

「……お前、今度は何を連れてきた」

「違法拘束個体十二体。応急処置及ビ一時保護ヲ要請シマス」

 工房主は大きく息を吐いた。古い安コーヒーと油の匂いに、ケインが顔を上げる。

 工房主が扉を開け放つ。

「全員入れ。そこに立ってたら水路の冷えで余計に固まる。ウェル、奥の台を空けろ」

 奥で、作業腕の軋む音が聞こえた。

「了解……救助個体、受ケ入レ」

 青緑の塗装が剥げた旧型AIが、琥珀色のセンサーを巡らせる。手書きの名札にウェルとある。もう片側のセンサーは暗いが、作業腕に迷いはない。

 工房の中へ入った瞬間、ルゥが呟いた。

「ここ……戻されない?」

 ユリナはすぐには答えなかった。青いチャームを握る手が止まる。抱きしめたいのをこらえているように、レイには見えた。

「檻の中には戻さないわ。少なくとも、私はそうしたくない」

 声は少し震えていたが、ユリナは最後まで言い切った。

 ルゥは何度も頷いた。耳の後ろ、若葉色の発光素子が弱く明滅する。

「戻したくない……なら、ここにいる」

「うん。ここにいて」

 レイはそのやり取りを見ながら、肘に触れた。黒い手袋の感触が、まだ残っている。

 紫電を放つ前に、術法経路を押さえられた。あの正確さを思うと、今も肘が冷える気がした。

 なぜ、あの男はあれほど的確に対応できたのだろうか。

 工房の修繕台が低く唸り、朝の静けさを押しのける。

 ◆

 工房はすぐに仮設の救護所へ変わる。

 壁際には外装破損の少ない個体が座り、中央の低い台には歩けない二体が横たわっている。ウェルが冷却水の管を引く横で、レイは微電流を流し、乱れた信号を落ち着かせていった。

 かすかな紫電を流すだけでも、右手首の奥が熱を持つ。

「レイさん、無理してませんか」

 ユリナが近づいてきた。ルゥを休ませたばかりで、まだ袖の端を気にしている。

「負荷はあります。ですが、休止するほどではありません」

「それ、無理してる人の言い方に聞こえます」

 レイは否定しかけて、やめた。ユリナの視線は、レイの手首から逸れない。

「……あと一体だけ」

「一体だけですよ」

 修繕台では、工房主がメックの右肩装甲を開いていた。焼けた支持系と出力線が露出し、焦げた樹脂の匂いが濃くなる。ケインは横から旧式端子を差し込み、端末の数値を睨んでいた。

「ひどいな。肩の急所を狙って切ってる。あとは生きてるが、肩から先へ力が通らん」

「黒衣ノ処理人ト交戦。競売場側ハ、『デリーター』ト呼称シテイマシタ」

 その名を聞いても、工房主の手は止まらなかった。

「知らん名だ。うちへ部品を持ち込む連中の名簿にはない」

 工房主は焦げた線を持ち上げ、顔をしかめる。

「ただ、やり口が嫌らしいな。力任せじゃない。動かす要を知ってる切り方だ」

「競売場デハ、私ノ右肩、非常搬送線ノ制御盤、レイ氏ガ順次停止サセラレマシタ」

 ケインが端末を指で叩いた。

「おまけに、最後は追えるはずなのに追って来なかった。理由は色々思い当たるが、断定はできねえ」

 メックのセンサー光がわずかに変わる。

「当該個体ノ攻撃ハ、偶発的デハアリマセン」

「そこまで淡々と言えるの、逆に怖いわ」

 ユリナが小さく言った。青いチャームを握った指が白い。

「……私は、青い紐を追えなかった。追って避難を止めたら、誰かがまた連れていかれると思ったから」

 レイは自分の手首を押さえていた指を離した。

「わたしも、電撃を撃つ前に止められました。流れを読まれたのだと思います」

「読まれた?」

 工房主が顔を上げる。

「はい。出力ではなく、流れる前の術法経路を」

 流れる前の術法経路。口にしてから、レイは戸惑った。なぜ、そう言い切れるのだろう。考えるより先に出た説明だった。

 工房主はしばらくレイを見てから、メックの右腕へ視線を戻した。

「嬢ちゃん、ここの補修痕が見えるか?」

 開かれた肩の奥には、黒ずんだ線と古い導路が入り組んでいた。レイは近づき、息を止める。見える、というより、聴こえる。細いノイズが、傷の縁で擦れている。

「焼けた箇所から信号が逃げています。本来の線が落ちて、外側の支えを迂回している。ここを先に戻さないと、腕は上がっても物を掴めません」

 言い終えてから、レイは白いスカーフの端を握った。

 ケインも工房主も手を止めた。

「……あんた、今のを端末なしで見たのか」

「見た、というより……」

 説明が続かなかった。

 工房主は短く鼻を鳴らす。

「まあいい。使える目なら借りる。軸と線は俺と兄ちゃんで直すから、嬢ちゃんは信号の跳ねだけ見てろ」

「はい。そうさせていただきます」

 ケインが片頬だけで笑った。奥の救助個体がこちらへセンサーを向ける。

 レイは右手首の熱を抑えながら、メックの肩奥を流れる信号を聴いた。

 補修後の信号波形にも、焼損箇所を避ける迂回は残る。新品時と同じにはならないが、異常値は実用域まで下がっていた。レイはその差を端末へ記録した。

 ◆

 昼前、レイが見守る修繕台の上で、メックの右腕がゆっくりと持ち上がった。

 肩には、工房主が加工した旧式の補助軸が入っている。ケインが端子の認証を偽装し、レイは最後に焼け跡から跳ねる信号を抑えて、把持制御へ紫電を一筋だけ通した。

 メックは右手で工具を掴む。

 強くはない。だが落とさない。

「把持成功。出力、実戦可能域ニ復帰」

 メックは掴んだ工具を作業台へ戻した。胸部の警察紋章には、競売場の交戦で入った亀裂が残っている。工房主が補強板を当てようとして、メックに止められた。

「亀裂ハ残シテクダサイ」

「見栄えが悪いぞ」

「損傷記録トシテ保持シマス。警察紋章ガ破損シタ事実ハ、現在ノ捜査ニ関係シマス」

「頑固な巡査だ」

 工房主が鼻を鳴らす。

「肯定ニ近イ評価ト認識シマス」

「褒めてない」

 ケインが端末をしまいながら、肩をすくめた。

「直ったならいい。今度また盾になる前に、一言くらい言えよ」

 レイは救出したAIたちのほうへ目を向けた。

 歩けなかった二体は固定台に移され、過熱していた三体の温度も下がり始めている。初期化処理痕のある個体も、ウェルが名前を尋ねるたび、弱く識別光を返した。

 ルゥは工房の隅で、薄い黄色の髪留めを指先で触っていた。

 ユリナがルゥの前に膝をついた。手を伸ばせば届くほどの間を空けている。

「私たちは行くわ」

「グレイラインに……?」

「うん。あなたたちが運ばれてたかもしれないルートを追う」

「ユリナさん、戻る?」

 ユリナの喉が小さく動いた。その沈黙を、レイは邪魔しなかった。

「戻る努力をするわ。約束って言うには、まだ怖いけど」

 ルゥは少し考えたあと、袖ではなくユリナの指先をそっと握った。

「努力……待つ」

「うん。待っていて」

 やがてルゥが手を離すと、ユリナは自分の袖口を握った。もう手は伸ばさなかった。

 工房の奥で、古い地図投影機が唸り始める。

 ケインが筐体へピコの物理鍵を差し込み、端末を繋いだ。投影機のファンが回り、空中へ旧物流網の線が浮かぶ。何本もの支線が錆河区をかすめ、外縁へ枝分かれしていた。

 ケインはその中の一本、灰色の線を指し示す。

「競売場の断片、白花仲介枠、警官さんの横流し記録に、紫の姉さんの回収票。この支線は、その全部に近い」

「全関係者ガ、単一ノ組織トハ断定デキマセン」

 メックが言う。

「分かってる。だが、ここを使ってる連中がいる。それは間違いねえ」

 ピコのランプが明滅した。

「第二搬送系統。通称……グレイライン。最初ノ有力分岐、アイアン・スラム近傍」

 レイは投影された灰色の線を見つめた。

 その先に、自分の過去があるのかは分からない。デリーターの謎も、ユリナやケインの探すものも、同じ場所へ続くとは限らない。それでも、この搬送線が使われているなら、今も誰かが運ばれているかもしれない。

「わたしは行きます」

 言葉にしてから、右手首の熱が指先へ抜けた。

「自分の回収指定だけではありません。この線が残る限り、また誰かが運ばれます」

「慈善事業に首を突っ込む気はないって、俺は言ったんだけどな」

 ケインはそう言いながら、ピコを鞄へ固定した。

「次の手掛かりまで、道案内と修理は付き合ってやる。そこから先は、そのとき次第だ」

「充分デス。暫定同行ヲ継続シマス」

 ユリナが端末の青い紐の画像を閉じた。

「私も行く。ルゥたちを預けたからには、ここを危険に晒さないためにも」

 レイは小さく頷いた。

 工房のシャッターが背後で閉まり、油膜の浮いた水路に陽光が滲む。メックは修繕された右腕を一度だけ動かし、ケインはピコの照合結果を端末へ固定した。ユリナは空いた袖口を握り、レイは白いスカーフを直す。

 灰色の支線は、アイアン・スラムの座標をかすめて、さらに先へ伸びていた。



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