『ブゴニア』についての補遺
映画『ブゴニア』については映画瓦版に既に感想を書いたのだが、メモに記しておきながら本文から落とした要素がいくつかある。今回ははそれらを補足的に整理しておこうと思う。
取り上げるのは三つの観点だ。タイトル、エンディング曲、そして劇中に挿入される奇妙な地球のイメージ。それぞれ独立した要素だが、知っているのと知らないのとでは、映画の印象がだいぶ違ってくると思う。

『ブゴニア』というタイトルについて
『ブゴニア』という耳慣れない言葉は、ミツバチの習性について、古代世界で広く信じられていた観念に関するものだ。
ミツバチは有史以前から、人間にとって最も身近な昆虫のひとつだった。製糖技術がない時代、ミツバチの巣から採れる蜂蜜は貴重な甘味料であり、豊かな大地の恵みの象徴でもあったからだ。聖書に「乳と蜜の流れる土地」という言葉があるが、この「蜜」は蜂蜜のこと。「乳」は家畜から得る糧を意味し、「蜜」は土地の豊かさを表す言葉だった。
しかし太古の人々にとって、大発生するときもあれば姿を見せなくなることもあるミツバチは、神秘的で不可解な生き物だった。ミツバチが姿を見せなくなったとき、ミツバチを再び呼び寄せるために考え出されたのが「ブゴニア」という概念と儀式だ。
まず、若く健康な牛を犠牲に捧げて死体を放置する。やがて死体は腐敗するのだが、その腐肉の中からミツバチが再生する……と古代人たちは考えた。実際にはハエなど他の昆虫を見誤ったものだとも言われるが、同様の伝承はギリシャ、ローマ、エジプトなど地中海世界の広い範囲に見られる。
動物の死体とミツバチの発生を結びつける発想は、旧約聖書にも記されている。怪力の英雄サムソンが打ち殺したライオンの死体に、ミツバチが巣を作るエピソードだ。理由はよくわからないのだが、動物の死体とミツバチの組み合わせは、古代人にとって切っても切れないものだったらしい。
映画の中でも、このモチーフが形を変えて登場する。
ミシェルを誘拐した陰謀論者のテディは養蜂家であり、ミツバチの絶滅について語る人物だ。彼が巣箱の近くで副保安官のケイシーを殺すと、その死体にはミツバチが群がる。そして映画のラストシーンは、ミツバチの姿で終わるのだ。
ここにあるのは、ミツバチの減少、犠牲の死、そして再生という一連の流れだ。『ブゴニア』というタイトルとこのエピソードは、「死が新たな生命を生む」という物語の構造そのものを指し示している。
エンディング曲「花はどこへ行った」について
映画のラストに流れるのは、フォークの名曲「花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone?)」だ。
1960年代に録音されたピーター・ポール&マリーのヒット曲として広く知られ、ベトナム戦争と結びついた反戦歌という印象も強い。もともとピート・シーガーが1950年代に原型を作り、ジョー・ヒッカーソンが歌詞を補って現在の形になったと言われている。
この歌の面白いところは、歌詞が循環構造になっていることだ。
花はどこへ行った
少女が摘んでいった
少女はどこへ行った
若い男と結婚した
夫はどこへ行った
兵隊になった
兵隊はどこへ行った
墓になった
墓はどこへ行った
花になった
花はどこへ行った
少女が摘んでいった
生命の象徴である花は一度姿を消すが、戦争と死をくぐり抜けて再生する。ここで描かれている死と再生のドラマは、ミツバチが生贄の死を通して再生する「ブゴニア」の構造にそっくりなのだ。
多くの歌手が歌っている曲だが、映画ではマレーネ・ディートリッヒ(1901〜1992)が歌ったものが採用されている。彼女はドイツ語やフランス語で歌った録音もあるようだが、映画では英語バージョンが使用された。
ディートリッヒはドイツ出身の女優・歌手だが、ナチスの台頭するドイツを逃れて第二次世界大戦中にアメリカへ亡命した。しかし大戦中の戦地慰問などを通じて、戦争と直接向き合った人物だ。彼女の歌を聴く人は、そんな彼女の経歴をどうしても意識してしまう。
ピーター・ポール&マリーの「花はどこへ行った」は、ベトナム戦争という特定の時代と結びついているように思う。それに対してディートリッヒの歌は、第二次大戦中の彼女の人生を映し出す。それは歌が作られた時代を超越して、長い歴史の中のあらゆる戦争、つまり反復される戦争の記憶全体へと開かれていく。
映画のラストに流れるこの曲は、美しい懐メロでも反戦歌でもなく、止むことのない人間の愚かさと、それを包み込む「死と再生」を象徴するモチーフとして機能している。
フラットアースの地球
映画の幕間には、「皆既月食まであと○日」という表示とともに、宇宙から見た地球の映像が挿入される。だがその地球は、我々がよく知る球体ではなく、平たい円盤状の地球、いわゆるフラットアースになっている。
フラットアースは陰謀論の定番ネタのひとつであり、これを信じる人々はフラットアーサーズと呼ばれる。彼らは天文学的知見を否定し、NASAの公開する宇宙から見た地球の写真も捏造だと信じているという。
通常であれば非科学的で荒唐無稽な主張として一蹴されるフラットアースだが、映画の中では宇宙から見たその時点での客観映像のように提示される。物語の外側にある、本来ならもっとも信頼できるはずの映像が歪んでいるのだ。その事実は、観客の世界に対する認識の足もとをぐらつかせる。
『ブゴニア』はフラットアースを主題にした作品ではない。しかしこのモチーフは、作品全体の理解に関わる重要なヒントになっている。これは「我々が当然のものとして受け入れている事実は、実は間違っているかもしれない」という警告になっているのだ。
2026/03/26
2026/03/29修正
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