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産後2ヶ月で海外就職を決断。弁護士ママが選んだ「非連続なキャリア」2025下半期

妊娠や出産は、キャリアの面だけで見ると、やはりマイナスになると思う。仕事を休まざるを得ないし、自営業なら収入がゼロになる。体力も気力も消耗するし、リスクも大きい。
ただ、見方を変えれば、これは多くの男性が大きな病気でもしない限り経験しない「強制的にキャリアが止まる期間」でもある。
これまでの延長線上で働き続けるのではなく、まったく違う道を選べるチャンスが生まれるとしたら、私の場合、このタイミングしかなかった。
だから私は、ずっと夢見ていた海外転職を「いつかやりたい」ではなく「今やる」ことに決めた。

6月|産後の回復と不安が同時にあった月

産後ケアからの退院した後の6月は、ほとんど家から出なかった。

第一子の産後より、精神的には少し楽だったと思う。
それでも、ミルクの飲みが少し弱いだけで不安になり、体重の増え方が気になっては、気持ちが揺れた。

検索魔になりそうな自分が見えていたから、今回は早めに産後ドゥーラをお願いした。
産後ドゥーラは、育児や家事の実務を手伝ってくれるだけでなく、産後の母親の話し相手にもなってくれる存在だ。ひとりで抱え込みがちな時期に、「頼っていい人がいる」という安心感はとても大きかった。授乳やなんで泣いているかわからない赤ちゃんの悩みを寄り添ってくれて本当に助かった。

この時期いちばん強かった感情は、不安と焦りだったと思う。
無収入の状態で、過去最高売上だった前年を基準にした住民税や税金の支払いが続く。
「今は回復の時間」と分かっていても、数字は静かにプレッシャーをかけてきた。

毎日ゴーヤに話しかけていた。

6月下旬から整体に通い始め、6月30日には、ちょこざっぷに再入会した。
大きな変化ではないけれど、「また自分の体を取り戻す」ための、小さな一歩だった。

1年以上ぶりに食べた牡蠣は美味しかった!

7月|マームガーデンで取り戻した「時間」と長男との距離

7月の終わり、7月28日から10日間、マームガーデンに行った。
マームガーデンは、産後の母親が赤ちゃんや上の子と一緒に滞在しながら、家事や育児のサポートを受けられる施設だ。
「休むこと」と「家族で過ごすこと」を同時に叶える場所でもある。マームガーデンについては、以前の記事も読んでみてください。

簡単に決められる選択ではなかったけれど、今振り返ると、あの滞在は
お金以上に「時間」を取り戻すための投資だったと思っている。

なかなかのお値段だけど、お値段以上!

不妊治療と妊娠、出産を通して、長男との間に、どこか距離ができてしまったように感じていた。
マームガーデンで過ごした時間の中で、その距離が、少しずつ、でも確かに縮まっていく感覚があった。

帰るときに感じたのは、寂しさよりも、「行ってよかったな」という、静かな納得感だった。

帰ったら次男氏は一晩寝てくれるように(歓喜)

8〜9月|エージェント面談から始まった就職活動


8月は、いきなり本格的な就職活動をしていたわけではなかった。

まずは現地のエージェントと、ひたすら初回面談を重ねる日々。
市場の話を聞き、自分の立ち位置を確認し、「今の自分が、どこでどう必要とされるのか」を探る時間だった。

本格的に動き出したのは、9月に入ってからだった。

いくつかの選択肢が見えてきた中で、実は、今行くことになった法律事務所以外に、企業からも内定をもらっていた。

転職を繰り返してきた私を、それでも評価し、迎え入れようとしてくれる、
本当にありがたいオファーだったと思う。
仕事内容も、とても魅力的だった。

それでも、どうしても引っかかる感覚があった。

「すぐ海外に行けない」

条件の問題というより、このタイミングで、また先延ばしにしてしまっていいのか、という迷いだった。

キャリアの中断という時間を経た今だからこそ、自分が何を選びたいのかが、以前よりはっきり見えていた気がする。

10月|海外が、現実になりはじめた

10月、私は続けてベトナムとインドに行った。

まずはベトナムでのインターン。
短期間ではあったけれど、「生活は、なんとかなりそうだ」と思えたことは大きかった。
完璧なイメージではなかったけれど、「もっと知りたい」「もう少しここで過ごしてみたい」と自然に思えた。

HCMのメトロはとても快適

そのまま向かったインドは、就職とは直接関係のない滞在だったが、どうしても行きたかったし、生活を除いてみたくて、旅行ではなくインターンをさせてもらった。人材会社で日本語教師をするという初体験。

オートリキシャに乗れただけで感動


初めてのインドでは大変なことも多く、戸惑う場面も多かった。

それでも、インドの奥深さに触れて、心のどこかではっきり思った。

また、必ず戻ってきたい。

街中に動物がたくさんいるというのは新鮮だった

海外が、憧れや夢ではなく、自分の人生の選択肢の一つとして、少しずつ輪郭を持ちはじめた時期だった。

11月|移住が「予定」になった

10月末、ベトナムで働くことが決まった。

11月は、移住準備を始めた月だった。
ビザの手続き、保険をどうするか、日本と海外をまたぐ生活をどう組み立てるか。

考えることは山ほどあったけれど、それらはもう「検討」ではなく、「前提」になっていた。

具体的な準備については、別の記事にまとめようと思っている。

久しぶりに外語祭に行けた!

12月|人に恵まれてきた一年だったと気づく

12月は、これまでお世話になってきたクライアントや、友人たちに会って挨拶をする時間が多かった。

いろいろな人と話す中で、あらためて、自分は人に恵まれてきたのだと思った。

「頑張っているから、応援したくなる」
そう言ってもらえたことが、とても嬉しかった。

8月までは、暗中模索で、本当に先が見えていなかった。

それが年明けには、もう渡航に向けて動いているところまで来ている。
振り返ると、ちゃんと一歩ずつ、前に進んできた一年だったのだと思う。

立ち止まることを許した2025年が、次のステージへの準備だった

2025年を振り返って思うのは、この一年は、前に進むために、
ちゃんと立ち止まることを許した時間だったということだ。

迷いも、不安も、止まった時間も、すべてが無駄だったとは思わない。

年明けには、もう次の場所へ向かう準備をしている。
でもそれは、急いで選んだ結果ではなく、この一年を通して、ゆっくり決めてきた結果だ。


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ちひろ先生|弁護士・アラフォーからの海外子連れ移住 サポートありがとうございます!

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