南佳孝『モンロー・ウォーク』と『イパネマの娘』――東京と海風のあいだで
東京の夜を歩いているのに、ときどき海の匂いを感じることがある。
南佳孝の『モンロー・ウォーク』を聴くたび、私はなぜか同時にボサノバの『イパネマの娘』を思い出す。
海辺。陽射し。歩いていく女。
少し離れた場所から、その姿を目で追う男たち。
けれど、この二つの曲は似ているようで、どこか真逆だ。
見てごらん なんて美しい
なんて優雅なんだろう
彼女がこちらへやって来る そして通り過ぎていく
やさしく身体を揺らしながら 海へ向かって
「イパネマの娘」には、午後の光がある。白っぽい海風の中を、娘はただ通り過ぎていく。男たちはそれを眺めるだけだ。
声をかけるわけでもない。追いかけるわけでもない。欲望はあるのに、それは波みたいに静かに引いていく。
一方、南佳孝の『モンロー・ウォーク』には夜の湿度がある。
胸元の汗キラリ 目のやり場にも困る
口説きおとしたいのに スキもないね君は
ネオンが滲み、足音が前へ前へと進んでいく。視線はもっと身体に近い。
都会の熱気がそのまま歌になっているようだ。
昔は、この違いを単純に「ブラジルと日本の違い」だと思っていた。
でも最近、少し違う気がしている。
ボサノバというものは、そもそもブラジルの中でも少し変わった存在だったらしい。サンバのような祝祭の熱を、「部屋の中」へ持ち込んだのだ。
大勢で踊る代わりに、小さな声で囁く。感情を爆発させる代わりに、静かなコードの中へ閉じ込める。
熱帯の国なのに、妙に涼しい響きだ。
たぶん日本人は、その「静けさ」が受け入れやすかったのだと思う。
日本は昔から、外から来た文化をするりと受け入れる。でも、そのままでは受け取らない。料理でも、言葉でも、一度自分たちの身体を通して、少し味つけを変えてしまう。
ボサノバもきっとそうだったんだろう。
日本人はボサノバの中から、海辺の開放感より、余白や抑制のほうを受け取った。囁くような声、静かな孤独、都会の夜の一人の時間。そういうものを、自分たちの感覚に重ねていったのだと思う。
南佳孝の『モンロー・ウォーク』と、
同じ曲に別の名前をつけた、郷ひろみの『セクシー・ユー』。
私はどちらを先に聴いたのか、どうしても思い出せない。
気がつけば、二曲ともすでに身体の中へ入り込んでいた。
どちらにも南の風のような匂いがあった。少し甘く、湿った夜の空気。都会なのに、どこか熱帯を夢見ている感じ。
特に郷ひろみのほうは、ネオンのような光がまとわりついていた記憶がある。あの頃のテレビ・スターは、ただ歌っているだけで、街の欲望そのものみたいに輝いていた。
だから『セクシー・ユー』も『モンロー・ウォーク』も、理屈より先に身体へ入ってきたのだと思う。
どちらも、気分をよくしてくれる歌だった。
身体が、何も考えずに少し揺れる。ただ、何だか気持ちがいいのだ。
一方で、『イパネマの娘』は少し違う。
あの曲も心地よく身体を揺らすのだけれど、さらりと流れていくメロディーの奥に、妙に複雑なものが潜んでいる。
脱力しているのに、どこか技巧的なのだ。
聴いていると、頭のどこかが静かに目を覚ますような。
だから私にとってボサノバというものは、少し読書に似ている。
気持ちよさの中に「考える」隙間が入り込んでくる。
『モンロー・ウォーク』や『セクシー・ユー』には、そういう余計な思考のようなものは来ない。
もっと本能的で、もっと夜の都会に近い。
そして。
『モンロー・ウォーク』の中にある「南」は、本物の「南」ではないのだとも思う。
もっと東京的な南国なのだ。
ネオンに照らされた海。
ちょっと湿った夜風。
高速道路の光。
テレビの中のスター。
少し背伸びした都会の恋愛。
1980年前後の東京が夢見た南国。あの頃の幻想をまとった歌だったのかもしれない。
(ボサノバ×日本的抑制)+都会の夜×バブル前夜の熱=モンロー・ウォーク
みたいな(笑)。
ボサノバがリオデジャネイロという都会の熱を静かに冷ました音楽だとしたら、日本のシティーポップは、その洗練を借りながら、もう一度ネオンの熱を吹き込んでしまった音楽なのかもしれない。
ややこしいね。
去っていく美しい娘を静かに見やる『イパネマの娘』。
その背中を追いかけて夜の街へ繰り出していく『モンロー・ウォーク』。
同じ「歩く女」の歌なのに、都市の温度が違う。
そんなことを考えながら聴いていると、音楽はただの流行歌ではなく、その時代の空気そのものなのだなと、少しだけ腑に落ちるのである。
南佳孝『スローなブギにしてくれ』についてはこちらに。
※記事内にはアフィリエイトリンクを含む場合があります。
いいなと思ったら応援しよう!
気に入っていただけたら、スキ、フォロー、サポートをお願いします。
Like / Follow / Support ☕️
If this resonated with you.