『冗談は笑いの夢を見るか ~ 冗談とは、笑いとは ~』最終篇
概要
冗談と笑いについての統一的仮説である「四要素統合仮説」について解説、補足しました。ついに、冗談と笑いという問題が解明されたかも知れません。
はじめに
私がこれまでに公開した、冗談と笑いについての記事は三本(理論篇、補論、総括篇)あります。それぞれ例として、様々な冗談と笑いに触れ、政治家が非難されやすい理由、接客業の人達の笑顔、巧い冗談、面白い冗談の条件、ノリ、「間」、くすぐり、嘲笑、自嘲等について説明しています。これだけ説明できるのだから、かなり正しいのではないかというのが自己評価です。
以下、私の「四要素統合仮説」について解説、補足します。
冗談や笑いを定義できるか
内包、外延という考え方があります。水を例に説明します。
水の内包は、「水素原子二つと酸素原子一つの分子であること」としましょう。外延は、コップに入っている水や雨、海水等、水と思われるもの全てです。
TV画面の中の水はどうでしょうか。これは内包の条件を満たしません。水素も酸素も無関係だからですが、画面の水も、やはり水です。但し、画面の水は、目の見えない人には水と思えないでしょう。触っただけでは、水でない部分と区別できません。
つまり、内包によっても、外延によっても、水を定義できないのです。しかし、誰も困っていません。
この矛盾を解決するのが、補論で書いた「冗談と笑いの範囲の決め方」です。これについては、アフォーダンスの考え方から影響を受けています。
冗談のつもりの何かの集合をA、それ以外の冗談かも知れない何かの集合をBとします。
「AまたはB」が冗談とも思えますが、AもBも、ある場合に笑いが起きた(1)だけで、笑いが起きない(2)こともあり得ます。ある関心(例えばネタ作り)からは、「AまたはB」も良いのですが、別の関心(実際使えるか)からすると駄目です。「Aかつ2」は冗談と見做せますが、「Bかつ2」は冗談と見做されないでしょう。
今の関心は、見渡す限りの具体的なAとB及び1と2について、「A→1/2」と「B→1/2」を説明することであり、それができれば必要十分です。
「○○とは何か」という関心は、無制限に存在し得る関心の内の一つに過ぎません。冗談や笑いを定義する必要はなく、できなくて構わないのです。
AやB、1や2が不明確と思うかも知れませんが、言葉が既に存在している世界を生きていると考えて下さい。
初めて、ある言葉(例えば冗談)を覚えた状態という想定です。集合Aは一つの冗談だけですが、ある条件で、同類と見做せる何かが加わり、集合Aが(つまり譬喩的に)増えて行きます。結果、この集合が、その個人における冗談として(暫定的、現在進行形的に)定着します。定着すれば、便利である一方、偏見にもなり得ます(能力次第です)。
但し、集合が増える際の条件は複数あり得るので、集合の全ての元(冗談)に共通する何かは存在しないかも知れないということです。
これが言語というものであり、言葉(概念)を定義できなくても困らない理由です。言語全体と個人の言語には差異がありながら、相互作用があり、常に現在進行形です。
ついでですが、これで、「漫才なのか漫才でないのか」論争が決着するかも知れません。
「ズレの理論」は正しかった
冗談と笑いについては、「ズレの理論」というものがあります。これは、予測したことと実際に違いがある場合等に、笑いが起きると考えます。
「A=B、A=C」なら、B=Cと予測しますが、B≠Cになるのが冗談です(A=B≠C=A)。
「ズレの理論」では説明できない事例があるため、不十分とされていますが、それは、水の化学的構造を解明しても、凍ったり、蒸発したり、雨として降って来たりすることまで説明できないのと同じです。「ズレの理論」自体は正しく、私の「A=B≠C=A」は、(知らないまま)抽象化しただけです(理論篇を参照して下さい)。
尚、私は、笑いが起きた場合、「A=B≠C=A」が存在すると予想しますが、「A=B≠C=A」と見做し得るもの(冗談の冗談)である場合もあるでしょう。
万人に通用しなくても構わない
「ズレの理論」が不十分と思われたため、ジョン・モリオール氏は、「笑いをひきおこす心理的転位は愉快なものである」(井田貴子氏の論文『笑いの方法論 ~小林賢太郎研究~』)と見ます。「無害な逸脱理論」の無害も近い考え方でしょう。しかし、これらもまだ不十分と評価されています(例えば、自嘲)。
冗談それ自体を定義しようとする誤りもありますが(補論と上記を参照)、愉快や無害という解釈が人によって異なることも問題です。
これに対し、私は好意の要素を導入しました。万人が愉快、無害と思わなくても、その人が自分や他者を(ある面で)肯定できれば良いということです。
「緊張の緩和」説を深める
「緊張の緩和」説は、落語家の桂枝雀師匠によるものです。枝雀師匠は実践家ですから、「冗談が緊張を緩和し、笑いを生む」と考えたように思います。
ただ、これにはもう半面があり、それは、冗談を聞いた側の笑顔で、言った側も笑顔になることです(理論篇も参照して下さい)。
冗談を言う側は相手に(自分にも)好意的であり、相手の笑いで緊張が緩和されるため、自分も笑うわけです。 好意を向けられていないのに笑うと、「何を笑っているんだ」と凄まれます。
いずれにせよ、緊張の緩和は人間関係におけるものであり、笑いを「生む」ものです。総括篇の思考実験を参照して下さい。
優越感や解放感は「快」
「優越の理論」では優越感が、「解放の理論」では解放感が、笑いに関わっていると考えられました。関係していることがほぼ確実な笑いもありますが、無関係としか思えないものもあります。
私の仮説では、これらを「快」と位置付けて、笑いを大きくするものと考えます。 笑いを生むのは緊張の緩和であり、大きくするのが、冗談自体の面白さや優越感、解放感等の快です(総括篇も参照して下さい)。
快だけでは笑わない
美味しいものを食べると笑顔になる気がします。しかし、ここには前提があります。それは信用です。
もし、体に毒かも知れないと思っていたら、多少美味しくても笑えないでしょう。初めて食べる物は、匂いや見た目が良くなかったりすると、美味しさを感じにくいのではないでしょうか。慣れて来ると食べられるようになりますが、慣れるとは、この場合、信用(緊張の緩和)です。
突然の変化
気持ち良くないマッサージ(気持ち悪くもなく、くすぐったくもない)を想像して下さい。ただ撫でているだけです。
補論で、「くすぐり」について書きましたが、これも同様に攻撃可能です。従って、攻撃しないことで信用度が上がります(緊張の緩和)。ただ緩やかに上がるので、笑いは生まれにくいでしょう。
徐々に気持ち良くなるマッサージはどうでしょうか。上も同じですが、閾値のようなものがあれば笑うかも知れません。それでも、穏やかな笑いと思われます。
つまり、緊張の緩和自体、快自体による笑いはそれほど大きくないと考えられます。モリオール氏は、「突然のものではない変化は笑いを生まないであろう」(井田貴子氏の論文『笑いの方法論 ~小林賢太郎研究~』)と考えたとのことですが、突然の変化を条件として、笑いは大きくなるようです。「A=B≠C=A」で、BからCへの変化が緩慢な場合、連続的で、分かりにくくなることもあるでしょう。
性交渉では、急な快の増大があり得ますが、信用度の急上昇はなさそうです。ただ、機械だからと信用していなかったのに、思いの外気持ちが良かった場合等は笑うかも知れません(実体験ではなく推測です)。
笑いの大きさ=
「緊張の緩和(自分+相手)」×「快a+快b+・・・」。
緊張の緩和にも度合がありますから、上記の式の掛け算は(足し算も)譬喩ですが、意外に正しいかも知れません。
尚、好意の強さは笑いの大きさに直接影響せず、冗談の解釈に関係すると考えます(理論篇と総括篇を参照のこと)。好意を表現することに一種の解放感があるとすれば、それも快です。
以上、これらの要素の組み合わせが「四要素統合仮説」です。
落語で笑う理由
古典の落語では、同じ話を何度も聞きます。しかし、人が違うこともありますし、細かな工夫もあり、全く同じではありません。録画や録音でも、全て覚えているわけではないかも知れず、読書も再読で発見があります。音楽も、既に知っている曲を聞くことの方が多いでしょう。
ただ、本当に何度も聞いている場合や、主観的に同じと見做している場合は殆ど笑わず、穏やかな快として楽しんでいると思います。
短期間流行する所謂一発ギャグも、賞味期限内は繰り返し笑っています。
補論でも触れましたが、これは、見ている人が、ギャガーを介し、他の人に対して緩和していると考えられます。
例えば、適当な理由で初対面の二人を待たせ、その間に、笑いが起きそうなTV番組等を見せます。二人が(同時に)笑った場合と、笑わなかった場合の親密度の変化を観察すれば、証明できるでしょう(既に行われていそうですが)。
また、仲の良い二人と、(相対的に)仲の悪い二人では、同じ冗談を見せた場合、前者の方が笑いは大きいと思われます。所謂「客が温まっている状態」です。
人工知能は笑いの夢を見るか
人工知能は冗談を言うでしょうか。これは、「人工知能が弱味を示して、人間から信用を引き出す必要があるか」と換言できます(但し、単に弱味を見せるのではなく、一工夫しています)。しかし、現状の人工知能は自律的でないため、信用を求めることはなく、というより、何かを求めるということ自体ありません。
冗談を生成するだけなら可能ですが(補論でも触れました)、問題は、人工知能と人間の関係をどう考えるかということです。
最後に
他の人の説を殆ど知らないまま、理論篇を公開し、その後、インターネットの検索上位の論文等を読み、補論を公開しました。更に、インターネット上の論文等を幾つか読んで、総括篇を書きました。
論文は、先行研究を整理して、その上に自説を付け加えるものです。私は、それほど多くの論文を読んでいませんが、そうであれば、それなりに先行研究を把握していることでしょう。
総括篇で少し修正があり、「四要素統合仮説」は完成したと思ったのですが、本論まで含めて完全版です。従って、最終篇なのですが、続篇を書くような気がします(完全解決篇を公開しました)。
尚、総括篇で、森喜朗元総理の冗談について敢えて厳しく指摘しましたが、あれは、私がその冗談に乗っていないという意味です。
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チップを貰った人は実在するのでしょうか。note の都市伝説、幻のようですが、有難く戴きます。