『冗談は笑いの夢を見るか ~ 冗談とは、笑いとは ~』完全解決篇
概要
最終篇で、冗談と笑いについての統一的仮説を提示したと思っていたところ、根幹の要素で不備が判明し、修正しました(公開した後で更に修正した部分があります)。しかし、本記事で、私に考えられる限りの全てを解決したと思っています。
はじめに
冗談と笑いについて、これまでに四本の記事(理論篇、補論、総括篇、最終篇)を公開しました。冗談と笑いを統一的に説明する「四要素統合仮説」です。
この仮説は、「冗談と笑いの概念の考え方」を基盤に、「A=B≠C=A」、「好意」、「緊張の緩和」、「快」の四つの要素から成っていますが、好意と快は入れ替え可能であり、緊張度は上がること(信用度減)もあります。こうした分岐を考えないのでは理屈として不公平な気がします。都合の良い部分だけを見せているのではないかということです。それで、応用を考えたところ、仮説の根本の部分を改めなければならないと気付きました。これまで尤もらしく書いて来ましたが、先ず、応用を論じてから修正します。
尚、四本の記事は公開順に読んで貰えるといいのですが(紆余曲折が分かります)、最終篇から始めて、他を適宜参照するのも効率的です。
仮説の基盤
「冗談と笑いの概念の考え方」は補論と最終篇に書いているので繰り返しませんが(こちらの記事の「何故、遊びなのか」も分かり易いです)、一点だけ確認します。冗談や笑いを定義できなくても構わない、という前提です。
しかし、私の冗談や笑いの概念についての考え方、つまり、言語についての考え方が間違っていても、私達は、冗談や笑いを識別できるので、問題はありません。この種の仮説は論理的に証明する性質のものではないので、思い付く限りの様々な冗談や笑いについて説明できれば必要十分です。
事故に遭って「驚く」
笑いの大きさ
=「緊張の緩和(自分+相手)」×「快a+快b+・・・」。
上を「四要素統合仮説」として示したのですが(下で修正有り)、これまでは左辺に笑いが現れる場合を基本として論じて来ました。緊張が緩和される、或いは不変の場合です。しかし、緊張が増す場合もあります。そして、快ではなく、不快な事象もあり得ます。その場合どうなるのでしょうか。
例えば、交通事故に遭った瞬間は、痛みがないこともあります。
自動車と歩行者なら、自動車側に損害がないこともあり得ますが、急に飛び出されれば驚きます(双方に損害がない場合も驚く)。
つまり、驚くとは「A=B≠C=A」という「突然の変化」(ジョン・モリオール氏)に対する反応だと考えられます。これはスペンサーの説(柴原直樹氏の論文『笑いの発生メカニズム』)とは異なりますが、驚きは、突然の変化による緊張度の増加で生まれるでしょう。
痛ければ「怒る」
私も、自転車で交通事故に遭ったことがあります。ある時(A)は強い痛みがあり、別の時(B)は殆ど痛みがありませんでした。どちらも、私の非は小さく、相手の非が大きかったと考えて下さい(主観的なものであり、例としてです)。
Bの時は、驚きましたが、痛みは殆ど感じず(軽い筋肉痛と打撲が後で判明)、実際、怒ったりはしませんでした。Aの時も驚きました。そして、かなり痛かったため(翌日に骨折が判明)、怒りました(痛過ぎて何も言えませんでした)。
怒り=「緊張の緩和期待度(自分小+相手大)」×「不快(痛み)+損害(自転車の修理代)」となります。
Aでは、痛みが大きいため、怒りが大きく、Bでは痛みが無い(小さい)ため、怒りも小さくなりました。
また、笑いは好意の表現と考えますが(理論篇を参照して下さい)、怒りの場合は敵意(悪意)の表現です。悪意は、相手を否定します。
相手はどうでしょうか。Aの場合、俯いていた相手は私に全く気付かず、私だけが避け(過ぎ)て転びました。接触もなかったため、相手は自分が悪いと思わず、私が勝手に転んだと思ったようでした。Bの場合、相手(転倒した)も多少痛かった筈ですが、両者共怒っていません。
Aでは、自分に害がないので、特に相手(私)を否定する必要がありませんし、Bは自分の方が悪いと思ったようです。
緊張度が増しても、敵意がないので、その表現としての怒りもなかったわけです。
大事な人を亡くして「悲しい」
大事な人が亡くなれば、悲しくなります。悲しさ=「緊張度の増分(自分)」×「亡くなった人の大事さ」。
この場合の緊張度の増えた量は、自分の運の悪さという意味です。死自体は避けられませんが、「何かできたのではないか」、「もっと話しておけば良かった」、「どうして今なのか」、「まだ早い」などと思ってしまい、
自分の幸運を信じられなくなっています。運という観念は、世界が予測不能である限り存在するでしょう(別の記事で論じる予定です)。
大事な人であっても、年齢等の理由で、心の準備が十分できていれば(緊張度不変)、急激な悲しさの増大は感じないでしょう。勿論、大事な人でなければ、悲しくはなりません。
悲しさは、良くない出来事に接し、解決不能である(と思われる)ことを受け入れる過程の心理的表現です。
子供なら「泣く」
上の事故Bの相手が小さな子供だったら、と考えます。それなりに痛ければ、自分が悪くても泣いているでしょう。しかし、先ず驚く(緊張度増)筈です。その後に泣きます。
泣くのは緊張の緩和です。泣いている状態は基本的に無力で、その状態を相手に晒しているからです。
もし、私が寛容な人間なら、笑顔で接し、体の状態を気遣ったりするかも知れません。正確には、相手の好意と緊張の緩和を求めて、泣いていると考えられます。自分と相手の信用度を回復するためです。従って、私が笑顔なら、緊張が緩和され、暫くして泣き止みます。しかし、私が怒り続ければ(「泣けば許されると思っているのか!」)、緊張は緩和されず、泣き止みません。慰められたり、一緒に泣くことでの緊張の緩和もあります。痛み(不快)も和らいでくれば、大丈夫そうだとなり、緊張の緩和です。当然、不快が大きいほど表現も大きくなるでしょう。
また、「痛さを変えた打撃」、「徐々に痛くなるマッサージ」、「徐々に痛くなってから一定になるマッサージ」を考えると、信用度や不快感が限界に達する閾値(各人で異なる)があるようです。快についても、必ず笑うかどうかはともかく閾値はありそうです。
「悲しい」と「泣く」
泣く=「緊張の緩和を求める傾き」×「不快さ」という式が成り立ちそうです。しかし、悲しくて、且つ、泣いていることもよくあります。
要するに、私は、このあたりで仮説を改めなければならないと気が付きました。
悲しさは情動であり、内側のもの、内心の表現です。一方、泣くとは、外に現れた表情です。悲しい(A)時に必ず泣く(B)わけではなく、泣いていても悲しいとは限りません。BでないA、AでないB、A且つB、が存在します。
人間は緊張の緩和を求める
怒りも、緊張の緩和を求める表現です。怒ることで相手が謝れば、緊張がある程度緩和されます。
一人で転んだ(失敗した)場合はどうでしょうか。痛くて腹が立っても、自分に当たるしかありません。反省し、自分の信用度を回復すればいいのですが、他人のせいにする困った人もいます。八つ当たりです。
緊張した状態、つまり、自分や他人を信用できない状態は負担が大きく、人間は緊張の緩和を求めます。
笑いは緊張の緩和を期待する
ここで冗談と笑いに戻ります。
冗談は意図的に誤るもの(「A=B≠C=A」)であり、それを「好意」的に解釈して、「快」となり、笑う。冗談を言った側は、誤る、つまり、弱みを見せることで、危険な人間でないことを示し、言われた側は笑うことで好意を返す。緊張が緩和されて、人間関係が改善する。
以上が「四要素統合仮説」です。
これでも間違ってはいないのですが、問題は、笑いが緊張を緩和しない場合もあるということです。最終篇で、「好意を向けられていないのに笑うと、『何を笑っているのか』と凄まれる」と書いたのに、気付きませんでした。冗談が相手の好意を期待するものであるのと同様、笑いも好意を期待するものです。上記の通り、泣くのと同じで、笑っても緊張が緩和するとは限らないのです。
事例を再検討する
ここからは、四本の記事で書いて来た事例を再検討します。
先ず、意図的な冗談ですが、言われた側が笑い、言った側も笑ったりなどして、相互に緊張の緩和への期待があることを確認して、実際に緩和されます。相対的に仲が良ければ、緩和への期待もし易く、悪ければしにくくなります。
私は、新聞連載の短文に、「全部政治が悪い」と書いてあったのを読み、笑ってしまいました。まさか、本気でそのように書く人がいるとは思っていなかったのです。しかし、書いた人は本気であり、冗談ではありませんでした。従って、私の笑いによって、緊張は緩和されなかったということです。勿論、意図的な冗談により笑いが起きない場合も緊張は緩和されません(期待がない)。
また、間違い(嘘)と冗談には、主観的な解釈の違いしかありません。実際は間違ったのに、冗談だったと強弁する人もいます。
笑わなかった同級生
ある漫画の話をしたのに、その場にいた同級生が誰も笑わなかった例です(以下、例は理論篇から)。
この漫画の冗談自体は面白いとしましょう。仲の良い二人と、(相対的に)仲の悪い二人では、同じ冗談を見せた場合、前者の方が笑いは大きいと考えられ(最終編)、これで説明できます。笑わなかった同級生は、その人物に好意的でなく、関係を改善する気もがなかった(薄かった)ということです。政治家の例も同様です。
好意は、冗談自体にも向けられ、人物にも向けられますが、結局、情報とは、その人物に関するものです。この点については、私の別の記事の「明日の天気は晴れか」を参照して下さい。
屈強なラグビー選手
強面の屈強そうな男がラグビー選手だった例も問題ないでしょう。礼儀正しく道を聞かれたので、信用して良さそうと思って微笑みます。ラグビー選手も緊張していますが、相手に笑顔があれば笑顔を返し、確認できます。
接客業の人達は初めから笑顔です。怪しい人物ではなく、歓迎されるお客様であることを期待しています。
銃を向けられて
映画等で、突然、銃を向けられた人物が、少し笑みを浮かべながら「冗談だろ?」と言う場面です。理論篇の解釈もほぼ同義ですが(ここでも気付けた筈です)、好意の期待と考えれば単純です。
意外ではあるものの、事実だったというような時はどうでしょう。
笑ってしまうのは間違っていた自分に対し好意的な場合です。自分の信用度回復を期待しています。実際に回復できるか、できたかではなく、期待で笑うわけです。笑わない場合は、回復が容易ではなく、期待するのも難しいと思っています。叱られた子供が笑うのも同じですが、同時に叱った人からの好意も期待しています。
事実を言ったのに、嘘だと決め付けられ、挙げ句笑われてしまうこともありますが、説明は不要でしょう。事実を言って、且つ、相手が好意的な笑顔を見せる場合、多くは自分も笑顔を返し、互いに信用度が上がります。
好意を示す表現(の一つ)が笑いであることの理由は、快いの時の表情と近いからかも知れません。機嫌が良ければ敵対的とは思われないでしょう(ライオンは機嫌良く獲物を襲うそうですが)。
嘲笑(優越の理論)
例えば、誰かが転んだのを見て嘲笑する場合、見て笑う複数人の間では、好意を期待し合い、緩和しているかも知れません。一人で笑う場合も、その人物への評価が低くなったことで嬉しくなり、納得します。自分の人を見る目が信用できると期待するわけです。
転んだ人とは関係の改善を期待していないかも知れませんが、「そのくらい気にするな、自分も転ぶよ」という意味で笑うこともあるでしょう。
「某国人は生まれてから死ぬまで嘘ばかりついている」という冗談は、意図的なものかどうかの違いだけです(転ぶのは偶然)。当事国の人が笑わないのは、好意を示す気にならず、また、相手の好意を期待できそうにないからです。
当事国の人同士で、「俺達、生まれてから死ぬまで嘘ばかりついているよな」と言う場合、優越感がなく、比べると、笑いは大きくならないでしょう。
自嘲
排便が間に合って、安堵する例です(以下、例は補論から)。
間に合ったと思って笑い、自分への信用を期待しますが、下着を見たら間に合っていなかったかも知れません。
自分の言った冗談で笑う例はもう説明不要です。
自嘲は、髪が薄くなった例にします。気が付いた時に、緊張度が上がり、嘆く人もいるでしょう。
ここで笑う、自嘲するのは、何らかの意味で肯定的になろうとするからです。結果、肯定できたか、自信を持てたかとは違いますが、できる場合もあります。淡々と剃ってしまうような人は緊張度不変です。
笑うのも泣くのも緊張の緩和を期待していますが、違いは肯定か否定かです。
笑う場合、自分を肯定しよう、自信を回復しようとしますが、泣く場合、肯定できないのに、信用を回復しないわけにはいかない状態です。涙が出て来ませんか。もしかすると、運命の神に、「自分はこれほど弱い者であるから、どうか許して下さい」と祈っているのかも知れません。
くすぐり
くすぐりが始まった時点で緊張度は上がり、そこから下げる期待で笑うわけですが、いつまでもくすぐられていると信用回復の期待ができなくなり、怒ります。そもそも、信用していない(する気のない)相手には期待が持てません。適度な時間でやめ、くすぐった側も緩和の合図をすれば、仲良しの挨拶です。
くすぐられるという感覚自体は、自分でくすぐれば分かる通り、特に快も不快もありません。他人にされると予測不能で、そこが不信、問題になるわけです。自分でくすぐっても、不如意な道具を使う場合等はくすぐったくなる筈です。
好意の度合と信用期待度
例の再検討は以上とし、少し捕捉します。
相手が泣いている時、自分も泣く場合と、笑顔で慰める場合があるでしょう。前者の場合、基本として相手に好意的ですが、相手が泣いている原因や泣いていること自体は良くない(否定的)と思っています。後者が、相手に好意的なのは明らかです。関心の向け方は色々あるということです。
好意の度合と信用期待度は、笑いの大きさとどう関係するでしょうか。「好意が強く、信用期待度が弱い」場合と、「好意は弱く、信用期待度が強い」場合を考えます。
前者は、「録音、録画された落語を何度も聞く場合」が典型です。何度も聞くほど気に入っているわけですが、面白さはかなり低減している筈です。声を出して笑うことはなさそうです。
後者は、「自国を貶めるような冗談」です。不愉快ですが、冗談自体が面白い場合、つい笑ってしまうかも知れず、大笑いするかも知れません。自国を貶める題材から、冗談の面白さへ関心が移っていると考えられます。
やはり、好意と信用は似ていても別の要素であり、笑いの大きさに直接作用するのは信用期待度です。
また、関心には、好意(肯定)的なものと、悪意(否定)的なものがあり、度合いもあります。例えば、現在、ウクライナとロシアは戦争中である以上、敵対的ですが、関心としては強い筈です。 好意の度合は、冗談を言う前にも存在し、冗談によって上下し、解釈を左右、以後にも影響が残ります。ただ、好感度を上げても、それほど信用度は上がりません。一方、限界はありますが、信用度を上げれば、好感度は上がるでしょう。
好意的になって貰うにはどうすれば良いのでしょうか(私の別の記事も参照して下さい)。それが分かるなら、誰も恋愛で苦労することはありません。
原則として考えられるのは、ある程度以上の量で接触の機会があることです。
それを前提に、良い知らせをもたらす存在であることでしょうか(吉報自体の当事者である必要はなし)。
そして、相手の必要に応えることです。これは信用ですが、相手が何を求めているかの把握は難しそうです。口では、「面白い人がいい」と言いながら、実際は、(無自覚で)「美男子に限る」のかも知れないのです。
新型コロナ・ウィルスが問題になっていた頃、ある新聞は、「より死者数の少ない日本の安倍首相は認めないが、より死者数の多いドイツのメルケル首相は好き」(意訳)と書いていました。日頃、「命が何よりも大切」と繰り返しているのに滅茶苦茶です(大切なのは自分の命だけなのでしょう)。
やはり、何事も合理的に計算し尽くすことはできないので、一線を越えるには非合理的な跳躍、賭けが必要になると考えます。
芸人の松本人志さんは、「腹が立った話をしているのに、聞いている人が笑う」と言っていました。聞く側が面白さを求めているのでしょう。評論家、著述家の西部邁さんは、恐らく「ユーモア」の語源から、「体液」(体質というほどの意味)と書いていました。
高額の宝くじが当たったら
何億円という額の宝くじに当選した時、人は笑うでしょうか。勿論、先ず驚きます。大きな額の当選を信じられず、不安になるからです。笑うのは、事実を受け入れた後です。
この場合、相手はいないので、相手についての緊張の緩和は無し、快には金銭的利益が加わります。
同じ番号(A)でも、当選を知る前(B)と当選を知った後(C)では価値にズレがあります(突然の変化、「ズレの理論」、A=B≠C=A)。
もし、何兆円という資産があれば、緊張の緩和は極小さく、快も小さいため、笑いは小さくなるでしょう(当選額が少ない場合も同じ)。当選確率が高い時も、笑いは小さくなります。
しかし、多額の負債のため、人生の浮沈が懸かっているような場合は笑います(「解放の理論」)。ここでは自分の幸運を信じています(自分に好意的、信用度増)。
反対に、偶然の幸運に冷淡な場合(好意的でない、信用度不変)は笑わないでしょう。「○○君はお金持ちだね」と言われても、「俺には関係ないよ。親が稼いだわけだから」と答えます。これで笑う場合、偶然の幸運を受け入れ、裕福であることに悪い気はしていません(「優越の理論」)。
恋人達
好きな人に告白しようとするなら、笑顔を基調として好意的に接するでしょう。緊張の緩和を期待します。
告白に対し、相手が笑顔で応じてくれれば、こちらも更に笑顔で、実際に緊張が緩和されます。断られた場合、諦め、受け入れるなら、悲しみつつ、自信の回復を待ちます。
断られて、怒る人もいます。始めは相手に好意的なのでしょうが、断られた以上、その姿勢は肯定できず(否定的)、且つ、緩和を期待します。上述の通りです。自分を否定しにくく、自信が脆い人なのかも知れません。また、この場合、好意と敵意を併せ持っています。怒りながら泣く子供も一例です。
情動や衝動が生起するのは短い時間、瞬間においてだと考えられ、その瞬間の関心が情動を決めます。
人工知能は笑うか
これは、人工知能が間違いを冗談として解釈するかという問題に置き換えられます。誤りの検出はある程度できそうですが、人間が意図的に間違っているのかの判定はなかなか難しいでしょう。意図については、人間同士でも、揉めたり、議論になることが多々あります。
そもそも、人間は、人工知能に笑って欲しいのか、笑いによって好意や信用しようとしていることを示して貰う必要があるのか疑問です。もし、その必要が生じるなら、その時、人間は、人工知能を自律的な存在と見做しているでしょう。
また、冗談を言う場合も、正確さを意図する会話の中に織り交ぜる筈のものなので、やはり、自律性が必要です。
何が笑いを生み、大きくするのか
まとめです。
笑いの大きさ
=「緊張の緩和期待度(自分+相手+場)」×「快a+快b・・・」。
緊張の緩和期待度の「自分」は、冗談を理解できた(言えた)ことによる自信です。「相手」は、冗談を言った人への信用、「場」は、一緒に冗談を聞いた人の理解力への信用です。信用は元々高い方が笑いは大きくなります。
いずれも好意がないと、期待もできません。冗談を言った人が、匿名であったり、不特定であると好意を向けにくく、無名の場合も、もう会わないと思えば、好意を向ける必要性が低くなります。緊張の緩和への期待も同様です。
これらは「足し算」なので、どれか一つあれば笑いは起き得ます。
自然発生的な「冗談に類するもの」の場合、その場に居合わせた自分の運の良さに対する信用度と考えます。
話の流れで、「ここから面白くできるのか」と疑問に思わせれば、より面白くなります。松本人志さんは、「漫才は即興と思わせた方がいい」と書いていましたが、十分準備された台本を再現するより、その場で思い付く方が大変ということです(これも快)。「間」も、短過ぎると難易度が分からず、長過ぎると(聞く側も)即興性が低下します。焦らされる「間」も、適度なら快く、長過ぎると不快です。
冗談(A=B≠C=A)によって、好意(正から負まで)が決まります。好意は冗談の解釈に作用します。
「快」は冗談の面白さです。冗談が提示されているので、一つは必ずあります。ここも(公開後に)考えを改めたところですが、この「快」が笑いという内面の情動、衝動を生みます。
「A=B≠C=A」という「突然の変化」が快になるのは好意的だからです。好意的でない場合、笑いという情動、衝動は起きず、不快があれば、肯定しにくくなります(苦笑い)。肯定が困難な対象を肯定しようとする(期待)で笑えば、「不敵な笑み」です。痛みで喜ぶこともあるようですが(被虐嗜好)、その通り、好きなのでしょう。
快には、優越感や解放感等が加わることもあり得ます。
そして、好意を向ける対象(自分、相手、場)への信用期待がある時、笑いとして表現されます。
笑いは瞬間に起こりますが、持続するものでもあります。
笑い出した後、自分しか笑っていないのに気付いて、尻すぼみになることがあります。相手や場に緊張の緩和がないためです(「自分大+場大」という期待から「自分小+場無」へ変化)。
反対に、小さく笑っていると、他の人も笑い出し、皆で大笑いということもあります。場に緊張の緩和があるためです(「自分大+場無」から「自分大+場大」)。反射して、冗談自体がより面白く感じられることもあるでしょう。場も更に緩和します。
そもそも、信用とは、次の機会以降に成功を期待する姿勢であり(「信じるということ」については私の別の記事で論じています)、笑うとは、その前段階、期待しようとすることを意味します。笑い合うことで、期待し合う関係になります。
「緊張の緩和期待」の七分類(×2)
緊張の緩和度の「自分」は冗談を聞いた本人(自分が言う場合はこれ)、「相手」は冗談を言った人、「場」は一緒に聞いた人です。笑った(完全に無意味な笑いでない)前提で、期待の度合を単純化し、有りと無しで分類してみましょう(例も単純に考えています)。
「自分有り、相手有り、場有り」は、普通に受けた場合です(以下、この順で有無のみ記す)。
「有無無」は、自分だけが面白さを見出した場合や、自分の冗談で一人笑う場合です。
「有無有」は嘲笑です。
「有有無」は、話者と自分だけが分かる場合で、優越感、親近感を伴いそうです。
「無有無」は、相手に好意的で、接待笑いです。面白くなくても、面白いと見做す「ノリ」です。広く見れば、相槌が含まれるでしょう。片思いかも知れません。
「無無有」は、「面白くないけど」と思いながら、場の雰囲気に影響されています。これも「ノリ」です。
「無有有」は、「自分が分からないだけで、面白いのかも」と思っています。これも相手や場に影響された「ノリ」です。
「無無無」は笑わないので、前提と矛盾し、分類に入りません。
尚、期待の度合は、緊張から緩和の落差とともに、信用がどこまで高まるかが重要でしょう。
笑わなかった場合は、笑いが「無」の対象へ向けられている、向けられていると解釈され得るため、表情が抑制されます。葬式で笑わないのは、故人の死に好意的と解釈され得るからです。失敗したのに笑っていると、自分に好意的と解釈され、「笑い事じゃない!」と怒られます。上述の「笑わなかった同級生」は、「無無無」のようですが、「有無有」かも知れません。
笑いを生む情動、衝動が本質で(虚構や妄想による情動も本物と見做し得る)、表情だけなら、ある程度作れます。仲間内の集まりで笑いが絶えないのは、冗談の面白さに因るのではなく、正しく緩和への期待度が大きいからです(「自分微+相手大+場大」)。
夢、見果てたり
この広大な銀河に彗星の如く現れた両雄、冗談と笑いの対決の軌跡を描いて来たのではなく、緊張とその緩和の過程を論じて来ました。分かった詐欺とこれで終わり詐欺を繰り返したものの、本記事で、笑いと冗談については大団円でしょう。私が読んだ範囲ですが、論文等に書かれている問いを、恐らく、全て説明している(できる)と思います。
ただ、応用の部分は、少し粗くなっていますし、情動は他にもあり、四要素統合仮説は展開し切っていないでの、また書くかもしれません。
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チップを貰った人は実在するのでしょうか。note の都市伝説、幻のようですが、有難く戴きます。