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オリジナル曲に描いた、矢田の人生の転換点とは #4


こんにちは。保育園の頃、遠足で動物園にいって実物のたぬきを見て、「ぽんぽこぽんってやらないの…」って泣いたらしい矢田です。

アニメテイストのたぬきと実写のたぬきって、見た目が全然違うじゃないですか。

多分こんな感じのたぬきを期待してたんでしょうね。



かわいいエピソードを失礼しました。


さて、矢田のオリジナル曲「そんなときもある」の解説シリーズ、今回がシリーズ最終回です。

第1~3弾で、自分の人生をテーマに曲を作ろうと思ったきっかけ、実際の曲作り、レコーディングやMV作りについて紹介してきました。

前回の記事はこちら↓


今回は、この曲を作るきっかけになった僕の実体験について書いていきます。

頑張って赤裸々に書くので、ぜひお読みください!




やりたいこと迷子が始まった就活


この曲は、一言で言えば「会社で働けなくなった日」を原体験として書いているので、話は5,6年前まで遡り、新卒就活の話から始めます。


僕、就活ですごく悩んだことがありまして。

それが、「やりたいことがわからない」だったんです。


企業説明会に参加しまくっても、自己分析をルーズリーフ50枚分やっても、OB訪問をスケジュールに詰め込んでも、望む未来は何なのか一向にわからない。

本心から興味が湧くようなこともわからず、どんな働き方をしたいかもわからず、完全に沼にハマってました。


最終的に僕は大手日系コンサルファームへの就職を決めました。

今振り返ると理由はこの3つだったように思います。

  • ワンプール制のコンサルなら様々な業界、業種を横断的に経験することができ、やりたいこと探しが進みそうだから。

  • やりたいことが見つかって転職となった時、ファーストキャリアをコンサルにしておけば転職市場価値が高くなるから。

  • 「将来のビジョン」を面接で聞かれた企業は軒並み落ち、その質問を問われなかった会社から内定がもらえたから。


つまり、実際に働きながらやりたいことを見つけていこう、ということです。


…いや、当時は意思決定のかけらもしていませんでした。


正直いうと、就活がきつくて早く終わらせたくて、内定出たところに決めちゃった、という方が正しいです。


闇の新卒1,2年目


コンサルファームに入社し、配属されたのはITインフラのプロジェクト。

ITの知識も興味も死ぬほどないのに、稼働1週間目でクライアントの朝会進行をさせられる。

相手はITインフラのプロ。


IT業務はおろか、僕は基本的なコミュニケーションもままならず、配属8ヶ月で評価C(期待を下回る)を言い渡されプロジェクトを外されました。


2つ目のプロジェクトはITポリシー策定プロジェクトのPMO(タスク推進役)。

こちらも、上司もお客さんも何言ってるか全然理解できない。

MTGの録音を聞きながら何時間もかけて議事録を書いて、それでも内容はパッパラパーの状態でした。


毎日死ぬほど流れ込むタスクを捌ききれず会議室予約を間違え、客のデータを間違えて消去し、コミュニケーションは聞かれたことにも答えられない…毎日引くほど上司に詰められていました。


コンサルで上司から受ける定番詰めワードは一通り浴びたと思います。

過呼吸、胃腸炎、吃音あたりも一通りやりました。


今週が一番きつい」ってガチで毎週思いながら仕事してました。


未来に絶望した新卒3年目


その次のプロジェクトは再びITインフラ。

3年目で昇格して、最低限の力が定着すれば、このしんどさから抜けられるはず

そんな思いで、またまた死にそうになりながら評価Aをもぎ取ります。


新卒2年目から3年目になるときの昇格通知。

そこには、アナリストからコンサルタントへの昇格が書かれていました。(ほとんどの新卒が3年目で昇格するので、全然すごいことではないです)


その時、達成感は1mmもなく、どうしようもない絶望感が襲ってきたんです。


昇格しても、目の前の業務は何も変わらない。

むしろ、これからは責任が重くなる。


そのプロジェクトの上司は、死んだ目をして、意思もないまま月残業80時間以上しているような人で、

ああ、自分の未来こうなるわ

と直感しました。


本当の苦しみは、コンサルの激務ではなかった


もちろんコンサルの業務に半殺しにされてましたが、本当に辛かったのは仕事内容ではありませんでした。


自分の人生を生きている気がしない

という感覚が頭にへばりついていたことです。


やりたいことがわからない。

意思がわからない僕は、無意識に、ひたすらに自分の外側に答えを求めていました。


人からどう思われるか。

何が社会的に正しいか。見栄えがいいか。

どうすれば自分の価値を認めてもらえるか。



社会人になってから、いつしか僕は自分の感情を封じるようになっていました。

正しさを追求するにあたって、感情が邪魔だったからです。


プロジェクト2つ目のとき、上司にこう言われました。

「(矢田)君さあ、自分の人生を生きてるように見えないんだよね。なんかお客様社員って感じ


この言葉があまりにも図星で、心に深く刺さって抜けませんでした。


また、ある時サークルの後輩と電話をしてた時、後輩からこう言われたんです。

根本は、自分は幸せになるべきだと思って生きているんですよね


これが、自分にとって衝撃でした。


自分は、自分が幸せになるために生きていなかった。

しっかり生きなきゃ」って、ずっと思ってた。

それが当たり前すぎて気づかないくらい、無意識レベルに体に染み込んでいました。


人に嫌な思いをさせたくない。

なんだこいつって思われたくない。

見捨てられたくない。


ちゃんとした自分でいなきゃいけない。


自分には、「しっかり生きなきゃ」の強い呪縛がある。

その呪縛を解いて、自分の人生を生きたくて、3ヶ月のコーチングプログラムを受講しました。


呪縛を解き、自分に向き合い続けた3ヶ月


自分は何に楽しさや幸せを感じるのか。

つい無意識にやってしまう、自分の得意なことは何か。

打算を抜きにして、自分が純粋に好きなことは何か。


このような問いを起点として、コーチと3ヶ月かけてカチカチに固まった「しっかり生きなきゃ」の呪縛を一本一本解いていき、「自分の人生を生きる」とはどういうことなのかに迫っていきました。


自分の人生を取り戻したい。

この3ヶ月、本当に夢中でした。


今まで、人の気持ち、考えを気にしすぎて、自分の気持ちを後回しにしていました。自分の気持ちを潰して、都合の良いように変形させて、相手に合う形に当てはめることが最適解だと思っていました。


「幸せになっていいんだよ!」


自分自身に向けて書きました。


自分の本心が見えていくにつれ、今の仕事が自分に合っていないことが嫌になる程わかってくるのでした。


最後の糸が切れた日


入社して約2年半、いろんな種類の「しんどい」を大量に経験してきました。

しんどいことも乗り越えれば、自分の力になるって信じていました。


でも、しんどいの先には何もなかった。

しんどいが自分の幸せにつながっていなかったことに気づいて、絶望しました。


なんのためにこんなバカみたいに頑張ってきたの?

しんどい選択をした自分の頭が悪かっただけなの?


2024年6月27日

社内MTGで話していることが全く理解できず、一回も発言できませんでした。

同じチームの新卒1年目の人は普通に議論の輪に入っていて、

「ああ、自分は散々しんどい思いをしてきたのに、全然成長してないんだな」

と思いました。


情けなくて、お昼一人で泣きながら弁当を食べました。


夕方、新しいプロジェクト面接の予定が翌日入るって連絡が来たものの、もう面接は受けられないなって思いました。


少しでも油断したら、「もうやる気ないんです」と言ってしまいそうで。


家に帰って、サークルの同期の友達に電話しました。


今までずっと苦しかったこと。

周りの人のレベルが高すぎて自分が落ちこぼれであることを嫌でも痛感してしまうこと。

「できない子」に向けられる優しさが自分に向けられてきて、辛かったということ。

仕事が辛くて、休日になると15時間くらい寝るようなことが続いていたこと。

これ以上続いたら心身が壊れてしまうかもしれないということ。


全部話しました。重くならないようにって思っていましたが、涙が止まらなくなって、泣きながら話しました。


友達は

もう会社やめなよ!

と言ってくれました。

やめた方がいいじゃなくて、やめな!!

と。


本心では、その言葉を望んでいたのかもしれません。

今すぐにでも会社を辞めたかったけど、最後の一押しの覚悟ができてなくて、友達に電話で話したことで、本心に辿り着けたんだと思います。


優しい友達がいてくれたことが、本当に嬉しかったです。


今まで「もう頑張れない」に目を背けて、自分を騙して頑張ってきたけど、辛いという本心を直視して言葉にしてしまったことで、もう頑張る自分には戻れなくなりました。


ガソリンがないのに無理やりエンジンをふかして走ってきたけど、この日、エンストしました。


2024年6月28日


いつも通りに会社に着きましたが、「よく会社に来れたな、自分」とぼんやりと思いました。

いつも通りにPCを開きましたが、そこから先はファイルを開くことすらできませんでした。


「ああ、もう無理なんだ」と思いました。


プロジェクト面接担当の人にチャットをしました。


大変申し訳ございません。本日のアサイン面談、キャンセルでお願いできますでしょうか。限界が来てしまいまして、もう働けそうにないという状況です。大変申し訳ございません。


送信するのに1分くらい躊躇いましたが、送信ボタンを押しました。


チャットの返信が返ってくるのが怖くて、アプリを全部閉じて、デスクトップ画面になったところで、体が固まってしまいました。


しばらくして、チームの先輩が来ておはようって言ってくれましたが、体が動きませんでした。

「おはようございます」って言いたいのに、言葉が口から出てこなくて、体が固まっていました。


先輩が「え、大丈夫?」って寄ってきてくれて、そこでやっと絞り出すように


「………お、おはよう………ございます………」


と言うことができました。


涙が出てきました。


もう働けないです。

忙しい時期なのに。

本当に申し訳ございません。


先輩は

「いいよいいよ、今日は帰って休んで。上司には俺から言っておくから」

と言ってくれました。


ありがたかったです。

もう帰るしかありませんでした。

駅までの道も、電車の中でも、ずっと泣いていました。


今までコップの水がいっぱいいっぱいで、表面張力で保たれていたけど、一度こぼれ出したらもう止めようがありませんでした。

ダムの水が放流されるような感覚で、辛かったけど、ちょっと気持ちよかったかもしれないです。


家に帰って2時間くらい寝ました。


お昼くらいに起きたら、母親から電話がかかってきました。

母親にも、

「もう仕事頑張れなくなった。だめだ」

とLINEを送っていました。


「頑張るな!」

母親はそう言ってくれました。


「もう仕事は頑張れなくなってけど、自己嫌悪とか自己否定になっているわけではないよ」

僕はそう返して、そこで自分が自分のこと責めてないって気づきました。


今までだったら絶対自己否定の沼に落ちていたのに、そういう状態になっていなかった。


だったら、せっかく休みなんだから、やりたいことやろう。

MESON CACAOのチョコを、今から買いに行こう、と、思いました。



東京駅に向かうまでの間、今までのこと、これからのこと、いろいろ考えました。


自分のやりたいように生きるってことは、自分の行動の責任を自分で引き受けるということ。

怖い。

でも、「しっかり生きなきゃ」の最後の糸を切って、これからは一般的に王道と言われる道から逸れたとしても、好きに生きようと思えました。


誰からも強制されていない「こうあるべき」に縛られていました。


ここ半年で、友達の言葉や、親の言葉や、コーチングの助けを借りて、少しずつ「しっかり生きなきゃ」の呪縛を溶かしていきました。

毎日自分と向き合って、どう生きたいのかを自問して、自分で答えを出してきました。


幸せになるために生きていいんだよ!

自分のカラダとココロが一番大事なんだよ!


いろんな人に言葉をもらって、半年かけて、やっとその意味を実感できました。

今までいろんな人たちがくれた言葉が、腹の底までなだれこんできました。


あぁ、もうしっかり生きなくていいんだ。もう今日からは、好きに生きていいんだと、腹の底から思えました。


良くも悪くも、自分の中に根を張っていた「しっかり生きなきゃ」という自分が、少しずつ消えてなくなっていったのを、この時感じました。


東京駅でMESON CACAOのチョコを買って、カルボナーラを食べて、本屋にふらふらと立ち寄りました。

家に帰ってきて、また2時間くらい寝ました。


夜に起きてから、母親と電話しました。

「もう仕事は頑張れなくなったけど、意外と元気だよ。しっかりしなきゃの最後の糸が切れたよ」

と伝えました。


母親は、

それは切れたんじゃなくて、自分の意思で、自分の力で切ったんだよ

と言ってくれました。


「辞めること、SOSを出すことも勇気がいるし、相当な力がいるんだよ。それを自分の力で選択して、心身が壊れる前に辞めるって行動ができたんだよ」

そう言ってくれました。


半年かけて、自分で自分の人生を決める力をつけていって、やっと本当の意味で「やりたいように生きる」と決めたからこそ、自然とこんなことが起きたんだと思います。


とても一日じゃ収まりきらないような感情を、全身で感じた一日でした。


その後、現在に至るまで


その1ヶ月後、2024年7月末に会社を辞めました。

翌月の8月に、うつ状態と診断され、3ヶ月休養しました。


その後、9ヶ月間フリーランスに挑戦しました。(体調のこともあり実態はほぼニートでしたが)

今は会社員として、社会に復帰できています。


当時の自分に言いたい。

テキトーに生きていいんだよ!!


3年付き合っていた当時の彼女と別れ、会社を辞め、健康を崩し貯金が底をつきそうになるまでろくに働けず、どうしようもない日々を経験しました。

でも、自分自身に嘘をついて綺麗な日々を送るよりも、ずっと生きている実感がありました。


今では職があり、素敵な出会いに恵まれ、このようにして大好きな音楽制作に没頭できています。


あの日の転換点があったから、今の自分がいる。

そう思います。


2026年9月19日に楽曲公開します!


めちゃめちゃ長文になってしまったのに、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます!!!

今の僕としては、貴重な経験だったなと思っているので、そんな経験を一つの楽曲作品にできてとても嬉しいです。


最後に、この曲を通して伝えたいメッセージを書いて、終わりにしたいと思います。


社会で生きていると、純粋な気持ちが置いてけぼりになることがよくあります。
・〜しなければならない
・〜を期待されている
・人より劣っていたくない
もし本心に素直に生きていくことを望むのであれば、一旦このような考えを置いて、心の声に耳を澄ませることも大事です。
社会に出るといろんな責任があるのは事実で、それを全うしているあなたを僕は尊敬します。
ただ、一番大事なのはあなたのカラダとココロです。
僕の人生の転換点を描いたこの曲を通して、あなたが社会や周りの人に向けている優しさを、あなた自身にも向けられますように。



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