「部活動だけは特別」が学校を壊す ~元教員が見てきた教育現場の危うい構造~
はじめに
高校スポーツの強豪校での不祥事が報じられるたびに、私は同じことを考えます。
「またか。」
飲酒、喫煙、いじめ、暴力、SNSトラブル。
競技は違っても、似たようなニュースは何度も繰り返されています。
そのたびに世間では、
「指導者の責任だ」
「学校の管理不足だ」
「大会への出場を認めるべきではない」
という議論が起こります。
もちろん、それらは重要な論点です。
しかし、元教員として学校という組織の中で働いてきた私には、もっと根深い問題が見えています。それは、
部活動が『例外』になった学校では、教育そのものが少しずつ機能しなくなる。
ということです。
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学校では、問題そのものよりも「止められない空気」が事故や不祥事を生むことがあります。
部活動での事故や学校組織の構造について考えた記事です。
部活動が別世界になることがある。
部活動は現状、学校教育の一環です。
学習指導と同じように、生徒を育てるための教育活動の一つとされています。
したがって本来は、
教室で許されないことは、部活動でも許されません。
生活指導の基準も、学校全体で共通であるべきです。
ところが現実には、そうならない学校があります。
「大会が近いから。」
「今この選手を外すわけにはいかない。」
「今年は全国がかかっている。」
そんな事情が積み重なり、いつの間にか部活動だけが学校の中で別のルールで動き始めます。
そして、これこそ私が考える一番危険な状態です。
問題は、一人の顧問だけではない
ニュースになると、顧問だけが批判されることがあります。
もちろん、指導者の責任は重いでしょう。しかし、それだけでは説明できません。
学校は一人で動く組織ではありません。管理職がいて、生活指導部がいて、学年団がいて、多くの教員が関わっています。
それでも問題が繰り返されるのはなぜでしょうか?
私が現場で見てきた理由の一つは「人」ではなく「組織」の問題です。
学校には、ときに部活動で長年実績を積み、その学校の「顔」のような存在になっている教員がいます。
優れた指導者であること自体は悪いことではありません。
しかし、その存在があまりにも大きくなると、周囲の教員が異論を唱えにくくなります。
管理職でさえ、「今ここで対立を生みたくない」という空気に引きずられることがあります。
その結果、本来なら学校全体で議論し、教育の視点から判断すべきことが、一部の影響力や空気によって決まってしまう。
私は、この状態こそが最も危ういと考えています。
部活動の強豪校には、多くの期待が集まります。
保護者、卒業生、地域、OB・OG、メディア。
学校の名前そのものがブランドになることもあります。
その中で、「おかしい」と声を上げることは、想像以上に難しいのです。
教育は制度で動くだけではありません。
空気でも動いてしまうのです。
教育が競技に負ける瞬間
私は部活動を否定しているのではありません。
むしろ、多くの生徒が部活動で人として成長していく姿を見てきました。
仲間を思いやること。
努力を続けること。
負けを受け入れること。
教室だけでは学べないことが部活動にはあります。だからこそ、私は部活動を大切だと思っています。
しかし、教育には順番があります。
本来は、
教育のために部活動がある。
ところが、その順番が逆転する学校があります。
全国大会に出ること。
優勝すること。
学校の名を高めること。
それらが最優先になったとき、
教育の方が「部活動をするための手段」へと成り下がってしまいます。
この瞬間こそ最も危険だと私は考えています。
本当に失うものは、試合ではない
大会は終わります。
記録も、いつか更新されます。
しかし、生徒はその学校で学んだ価値観を持って卒業していきます。
「結果が出れば多少のことは許される。」
「強い人間には特別なルールがある。」
もし生徒がそんなメッセージを受け取ってしまったら、それは一勝や一敗よりもはるかに大きな損失です。
学校が守るべきなのは、勝利ではありません。
生徒の価値観です。
「部活動だけは特別」
私が長年学校現場で最も警戒してきたものがあります。それは、
「部活動だから仕方がない。」
という言葉の奥にある考え方です。
遅刻も。
提出物も。
生活指導も。
授業態度も。
「部活を頑張っているから。」
そうやって一つずつ例外を認めていくと、学校のルールは少しずつ形骸化していきます。
その例外は、やがて部活動だけでは済まなくなります。
ルールとは、厳しいから守るのではありません。誰に対しても同じだから信頼されるのです。
教育とは「例外」をつくらない営みである
学校は生徒に「社会」を教える場所です。
社会では、「実績があるからルールは守らなくていい」ということは、本来許されません。
これは学校も同じであるべきです。
教育とは、才能のある生徒だけを育てることではありません。
全ての生徒に同じ基準を示し、その中で努力する意味を伝えることです。
私は、部活動には大きな教育的価値があると信じています。
だからこそ願うのです。
部活動が学校の誇りであり続けるためにも、
「部活動だけは特別」という空気だけは学校の中につくってはいけない。
それが崩れたとき、最初に失われるのは大会の結果ではありません。
教育そのものなのです。
おわりに
不祥事が報じられるたびに、私たちは「誰が悪かったのか」という結論を急ぎがちです。
もちろん、責任の所在を明らかにすることは大切です。
しかし、その一方で、学校という組織の中で何が起きていたのか、なぜ同じような問題が繰り返されるのかまで考えなければ、本当の意味で教訓を得ることはできません。
部活動は、生徒を大きく成長させる力を持っています。
だからこそ、その教育的価値を守るためにも、
「部活動だけは特別」という空気を学校の中につくってはならない
と私は考えています。
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今回の記事では、「部活動だけは特別」という例外が学校全体の教育や組織運営にどのような影響を与えるのかを書きました。
しかし、この問題は一つの学校だけの話ではありません。
背景には、部活動を学校が抱え続けてきた制度や働き方の問題があります。
まずは、その構造を現場の視点から整理した記事です。
では、その状況を変えるにはどうすればよいのでしょうか?
理想論ではなく、現場で実際に運用できる仕組みはあるのか。部活動改革を「実装する」という視点から、具体的な設計を提案した記事です。
