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一つの制作が、次の制作の土台になる。シアスター・ゲイツの創作は、なぜ連鎖していくのか。

自分一人では完結しない作品を1つ作るとき、私たちは作品そのものだけをつくっているわけではありません。材料の扱い方を身につけ、協力してくれる人と出会い、場所を探し、資金を用意し、作品を伝える言葉や記録をつくります。

ところが、展示や企画が終わると、そこで身につけた技術や生まれた関係、集めた資料や残した記録がばらばらになり、次の作品ではまた最初から準備し直すことがあります。

前の記事では、シアスター・ゲイツが陶芸を出発点の一つとしながら、シカゴ南部の空き家の改修、失われつつあった資料の保存、Stony Island Arts Bank、住宅、大学、公共交通などへ活動を広げてきた過程を見てきました。

ゲイツの活動には、まだ紹介できていない重要な作品があります。

2010年代以降に目を向けると、シカゴで行っていた建物の改修がドイツの国際展覧会へ持ち込まれたり、屋根仕事に使われるタールが作品の素材になったり、2000年代から活動をともにしてきた音楽家たちが別の展覧会に再び現れたりします。

2004年に始まった日本・常滑との関係も、その後長く続いています。

ここからは前の記事の続きをたどりながら、現在に至るまで、ゲイツの制作がどのように展開してきたのかを見ていきます。

シカゴの建物から、材料と人がドイツへ移る

2012年、ゲイツはドイツのカッセルで開催された国際美術展Documenta(13)で、《12 Ballads for Huguenot House》を発表しました。

作品の舞台になったのは、カッセルにあった使われなくなったホテル、Huguenot Houseです。

ゲイツの公式サイトによると、このプロジェクトでは、アメリカのシカゴ南部の使われなくなった建物から持ち込まれた材料と労働(labor and materials)によって、ドイツのHuguenot Houseを再生することが構想されました。

前年までシカゴで行われていた、古い建物を改修し、人が集まり、制作や音楽が行われる場所をつくる活動が、ここでは別の国へと展開しています。

写真:《12 Ballads for Huguenot House》展示風景

Huguenot Houseは、完成した彫刻を並べるだけの展示空間ではありませんでした。

建物には、彫刻作品のほか、会話や音楽のための場所、制作に関わった職人やアーティストたちが滞在する場所が設けられ、The Black Monks of Mississippi による音楽プログラムも行われました。

翌2013年には、Museum of Contemporary Art Chicagoで《13th Ballad》が発表されました。

公式サイトでは、この作品は《12 Ballads for Huguenot House》の extension(拡張・延長)**として説明されています。カッセルで終わった一つのプロジェクトが、翌年シカゴで別の形へ展開したことになります。

屋根仕事に使われるタールが、作品になる

同じ2012年、ロンドンのWhite Cubeでは個展『My Labor Is My Protest』が開催されました。

この展覧会についてゲイツ本人は、公式サイトで、自身の制作に初めてtar(タール)を導入した展覧会だったと振り返っています。

タールは、道路の舗装などにも使われますが、ゲイツの作品に関係するのは、とくに屋根の防水に使われる黒い材料としてのタールです。

ゲイツの父親は屋根職人でした。

その後、タールや屋根仕事に関わる技術は、ゲイツの作品のなかに繰り返し現れていきます。

2022年、ロンドンのSerpentine Pavilionとして制作された《Black Chapel》では、円形の黒い建築空間の内部に、《Seven Songs for Black Chapel》と題された7点のタール・ペインティングが設置されました。

Serpentineは、これらの作品でゲイツが、屋根材を炎で熱して表面へ接着する「torch down」と呼ばれる方法などを使い、屋根職人だった父親の仕事に敬意を表していると説明しています。

→ 写真:《Black Chapel》《Seven Songs for Black Chapel》

ここには、絵画、建築、職人仕事、家族の歴史が同時に存在しています。

陶芸の場合と同じように、建築や都市に関わる活動が大きくなってからも、手を使って素材を扱う仕事がゲイツの制作から離れていったわけではありません。

The Black Monksは、その後も活動を続けている

前の記事では、2009年の『Temple Exercises』にThe Black Monks of Mississippiが参加していたことを紹介しました。

The Black Monksは、そのときだけ結成された一回限りの音楽グループではありません。

現在、ゲイツの公式サイトではThe Black Monksについて、ゲイツの芸術実践を通る“through line”と説明しています。

音楽的には、アメリカ南部のブルース、ゴスペル、叫びやうなりのような声の表現を基盤としながら、東洋の修道院文化に近い禁欲的・宗教的実践とも接続する集団として紹介されています。

《12 Ballads for Huguenot House》でもBlack Monksによる継続的な演奏が行われました。2018年にはバーゼルでのゲイツの活動に参加し、同年にはThe Black Monks of Mississippi名義のEP制作も行われています。2022年の《Black Chapel》でも、ライブプログラムの出演者としてBlack Monksの名前を確認できます。

→ 写真:《The Black Monks》

陶芸、建物、アーカイブとは異なる形ですが、音楽もまた、ゲイツの活動のなかで長い時間を持っています。

一つの展覧会に音楽を加えるのではなく、音楽の活動そのものが、別々の作品や場所を横断しながら続いています。

2004年に始まった常滑との関係

日本との関係も、ゲイツの制作を長く見るうえで欠かせません。

前の記事では、2004年にゲイツが愛知県常滑市のIWCAT(International Workshop of Ceramic Art in Tokoname)へ参加したことを紹介しました。

この滞在は、単に若い時期の経歴として残っただけではありませんでした。

2022年、国際芸術祭「あいち2022」で、ゲイツは常滑に《The Listening House》を制作しています。

使われたのは、かつて土管を製造していた工場の住居部分です。2017年以降使われていなかった建物を、音楽、休息、陶芸研究のための場所へ転換しました。ゲイツの公式資料では、2004年のIWCAT参加を最初として、その後も常滑を訪れ、日本各地のつくり手と接してきたことが説明されています。

→ 写真:《The Listening House》

《The Listening House》には、ゲイツの友人だった陶芸家Marva Jollyが遺した、ブラック・ソウルや実験的ジャズを中心とするレコード・コレクションも置かれました。

ゲイツは、この場所を常滑との関係だけでなく、Marva Jollyとの友情とも結びつけて説明しています。陶芸の場所に音楽のアーカイブが入り、常滑の陶芸文化とブラック・カルチャーが同じ空間に置かれました。

そして2024年、東京の森美術館で、日本では初となる大規模個展『Theaster Gates: Afro-Mingei』が開催されます。

森美術館は、2004年から続くゲイツと常滑との関係を「20年にわたるengagement」と紹介しています。

ゲイツ自身も展覧会に寄せた文章で、民藝運動が20年以上にわたって自身にとって重要な指標だったと述べ、「Afro-Mingei」を、自らの芸術的な歩みのなかにある複数の大きな流れを結びつける試みとして説明しています。

2004年の陶芸研修から約20年。

常滑との関係は、そのあいだ同じ形を保っていたわけではありません。滞在、陶芸、リサーチ、建物、音楽、展覧会など、異なる形でゲイツの活動へ現れてきました。

保存された資料が、後の展覧会に現れる

アーカイブについても、その後の動きがあります。

前の記事では、2009年にUniversity of Chicagoの美術史学科からゲイツが大量のガラス製ランタンスライドを引き受けたことを紹介しました。

University of Chicagoの資料では、その数は約72,000点とされています。

それから16年後の2025年、Smart Museum of Artで開催されたゲイツの個展『Unto Thee』に、このランタンスライドが再び登場しました。

展示室の壁面にはスライドを収めたカタログ用の引き出しが並び、デジタル化された画像も映像として映し出されました。University of Chicagoは、古代の壺やルネサンス絵画などを写したスライドについて、かつて美術史教育で使われていコレクションだったと説明しています。

写真:『Unto Thee』のランタンスライド展示

『Unto Thee』には、ほかにもUniversity of Chicagoに関係するさまざまな物が集められました。

Rockefeller Chapelの屋根に使われていた約9,000枚のスレート、Bond Chapelで使われていた長椅子、University of Chicagoの教授だったRobert Birdが残した約4,500冊の蔵書、大学内の建物から来たコンクリートや花崗岩などです。

これらはもともと、美術作品としてつくられたものではありません。

屋根材だったもの、教育に使われた資料だったもの、礼拝堂の家具だったもの、研究者が読んでいた本だったものが、別の時間にゲイツの展覧会のなかへ置かれています。

ただし、ここで「ゲイツは2009年から2025年の展覧会を計画していた」と考えることはできません。

Dorchester周辺で資料を集め始めた時期について、ゲイツ本人はThe New Yorkerの取材で、当時それらのcollectionをどう使うかについて具体的な計画を持っていなかったと話しています。

大量の資料を引き受けたことと、それが十数年後に作品や展覧会へ現れたことのあいだには、かなり長い時間があります。

一軒の住宅から、旧小学校へ

建物をめぐる活動も、さらに大きな規模へ広がっています。

2025年9月14日、Rebuild Foundationはシカゴ南部にThe Land Schoolを開館しました。

The Land Schoolになったのは、かつてのSt. Laurence Catholic Elementary Schoolです。2002年に閉校し、10年以上使われない状態が続いていました。

Rebuild Foundationによると、建物は約40,000平方フィート。ゲイツとRebuild Foundationは約50万ドルで取得し、その後7年間、総額1,200万ドルをかけて再構成したとしています。歴史的な石造部分や漆喰、装飾レンガなどを残しながら改修が進められました。

写真:The Land School

The Land Schoolでは、アーティストや音楽家、文化組織などが活動するための場所や時間を提供し、アーカイブや土地、芸術制作を扱うプログラムが計画されています。

開館時には、シカゴを拠点にするBlack chamber music collectiveのD-Composed、レーベルInternational Anthem、DJ・音楽史研究者Duane Powellが最初のcreative partners-in-residenceとして発表されました。

2000年代後半、Dorchester Avenueで始まった活動では、一軒の住宅を改修することが大きな出発点の一つでした。

それから十数年後、Rebuild Foundationが扱う建物には、約40,000平方フィートの旧小学校も加わっています。

規模が大きくなるにつれて、改修にかかる時間や費用だけでなく、活動を支える財団、行政、文化機関、企業なども増えています。The Land Schoolの公式ページにも、多数の財団・行政機関・企業などが支援主体として記載されています。

ゲイツ個人が一人で建物を取得し、改修し、運営しているという構図ではありません。前の記事で見たように、活動が大きくなるほど、Rebuild Foundationをはじめとした複数の主体がそれぞれの仕事を担っています。

20年を経て、ゲイツ自身が振り返る制作

The Land Schoolの開館にあたり、ゲイツはRebuild Foundationの活動を、“iterative, durational”(反復的で、長い時間にわたる)と表現しています。

「反復しながら続いていく」「時間をかけて展開していく」といった意味で捉えることができます。

さらにゲイツは、過去20年間に経験してきた課題、学び、機会が、これから新しい空間を考え、実現していくための方法になっていると振り返っています。

この言葉は、現在のゲイツが、約20年間の活動を振り返って語ったものです。

したがって、Dorchester Projectsを始めた2000年代から、20年後のThe Land Schoolまでを最初から計画していたという意味ではありません。

むしろ、長い時間を経た現在から振り返ったとき、これまで経験したことが、その後の活動を考えるための材料になっている、と本人が語っていることが分かります。

前の記事からここまで、ゲイツの活動をおよそ20年にわたって追ってきました。

陶芸、古い住宅、建築書、レコード、映画、銀行、住宅開発、公共交通、タール、音楽、日本との関係、大学から引き受けた資料、そして旧小学校。

それぞれを一つずつ見ると、かなり異なる活動です。

しかし、長い時間のなかで並べてみると、以前の制作や活動に登場したものが、後の時期にもう一度現れている場面がいくつもあります。

シカゴの建物にあった材料と労働が、カッセルへ移る。

2012年に作品へ導入されたタールが、10年後の《Black Chapel》にも現れる。

2009年に登場したThe Black Monksが、その後も別の場所で演奏を続ける。

2004年に始まった常滑との関係が、《The Listening House》や『Afro-Mingei』へ続いている。

2009年に引き受けたランタンスライドが、2025年の『Unto Thee』で再び展示される。

こうした出来事が、ゲイツの活動のなかで実際に起きています。

ただ、それらがすべて最初から次の作品のために用意されていたわけではありません。

次の記事では、ここまで見てきたゲイツの制作史を、別の角度からもう一度たどります。

一つの制作から生まれたものは、どのように次の制作へ渡っていくのか。

素材や技術、集められた資料、協働した人々との関係、場所との関係。これらが一度の制作だけで使い切られず、どのように残り、別の作品や活動のなかで新しい役割を持つようになったのかを整理します。

シアスター・ゲイツの作品のあいだを、何が移動しているのでしょうか。そこから何を学ぶことができるでしょうか?楽しみにお待ちください。

参照

  1. Theaster Gates, “12 Ballads for Huguenot House,” Theaster Gates official website.

  2. Theaster Gates, “13th Ballad,” Theaster Gates official website.

  3. Theaster Gates, “My Labor Is My Protest,” Theaster Gates official website.

  4. Serpentine, “Serpentine Pavilion 2022 Black Chapel by Theaster Gates.”

  5. Theaster Gates, “The Black Monks,” Theaster Gates official website.

  6. Theaster Gates, “The Listening House,” Theaster Gates official website.

  7. Mori Art Museum, “Theaster Gates: Afro-Mingei.”

  8. University of Chicago News, “Theaster Gates redeems discarded materials in Smart Museum’s ‘Unto Thee’,” 2025.

  9. Rebuild Foundation, “The Land School.”

  10. John Colapinto, “The Real-Estate Artist,” The New Yorker, 2014.

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