見出し画像

うちのあくびが、また何か言ってる。|可愛いかもしれん

「ママちゃん」

部屋から出てきたあくびが、鏡の前でくるっと一回転した。

「なに?」

「あたし、可愛いかもしれん」

急にどうした。

「でしょーーー!!」

まだ何も「でしょ」とは言っていない。

喜びを隠す気は、最初からないらしい。

「何があったん」

理由を聞くと、待ってましたとばかりに話し始めた。

女友達と遊んでいると、自分の方によく話しかけられる。バイト先の居酒屋では、常連さんから「いつも可愛いね」と言われた。

話すたびに、テンションが一段階ずつ上がっていく。

私が相槌を打つのが少し遅れると、足元でぽんくんが「うにゃおん」と鳴いた。私の気を引きたいときの、ぽんくんの合図だ。ちゃんと聞いてやってよ、とでも言いたげだった。

ぽんくんは、あくびが自分で選んできた犬だった。犬種のことも、アレルギーのことも、事前にちゃんと調べて、ブリーダーさんのところまで会いに行った。

本当は、茶色いブレナイムの女の子が可愛いと、ずっと言っていた。それなのに連れて帰ってきたのは、黒白のトライカラーの男の子だった。

「なんで、あの子にしたん」

「兄弟の中で一番おとなしい子でね。ずっとこっちを見つめとったんよ」

見た目の好みより、自分を見てくれていた方を選ぶ。そういうところは、あくびのわりに義理堅い。

思い返せば、可愛いかもしれん、と言い出したきっかけは、少し前の、あの花火の日だった。



夏になって、あくびが友達と花火大会に行くと言い出した。

朝からずっと楽しそうだった。浴衣がどうとか、髪をどうするとか、鏡の前を行ったり来たりしている。私は見送って、今日は家でのんびりするつもりだった。

夜、急に電話が鳴った。

「ママちゃん、帰れんくなった」

聞くと、電車が人身事故で止まっているという。

「ほかに帰る方法ないん?」

「ないっちゃ」

「……迎え?」

「お願い、ママちゃん」

私は車で、片道50分かけて向かった。会場近くに着くと、あくびが友達と一緒に立っていた。私を見つけると、ほっとした顔で駆け寄ってきた。

浴衣姿のまま、髪もまだきれいに整っている。街灯の下で見ると、いつもより少し大人っぽく見えた。

「ママちゃん来たけん、大丈夫やったー」

よかった。そう思った直後、

「友達も送ってあげて」

当然のように一人増えた。

結局、あくびだけでなく、友達まで送ることになった。往復2時間近く。慣れない夜道を運転して、私はもうへとへとだった。

そんな私の隣で、あくびはずっと喋っていた。花火がどれだけ綺麗だったか。人がどれだけ多かったか。屋台で何を食べたか。そして、

「浴衣、友達に似合っとるって言われたんよ」

「よかったね」

「うん。なんか、めっちゃ嬉しかった」

私の相槌は、もう半分くらいしか機能していなかった。

それでも、あくびの声は家に着くまでずっと弾んでいた。

あれが、始まりだったのかもしれない。



その日の夜。

「ママちゃん、資さんうどん行こう」

いつものやつが始まった。

あくびは、私の影響で出汁が好きだ。うどんをひとくちすすっては、

「あー、染みるねぇ」

と言う。二十歳そこそこの娘の感想とは思えない。おじさんみたいだと、いつも思う。

席についた瞬間、また話が始まった。

「聞いて、居酒屋の常連さんがね」

「さっき聞いた」

「もう一回言わせて」

もう一回言わせて、と言われたので、私はもう一回聞くことになった。

ところが、さっきと少し内容が違う。

花火大会で浴衣を褒められた話が、

「浴衣姿で二度見された」

という話になっていた。

「それ、さっきより盛ってない?」

「盛ってない」

「二度見なんて言ってなかったよ」

「思い出したら増えたんよ」

思い出は増えるものらしい。

うどんをすすりながら、あくびはまだ喋っている。

「あとね、サークルの先輩にも髪型変えたんって聞かれてね」

「その話も、さっきの中に入ってなかった?」

「これは別」

別らしい。

私はもう判断するのはやめた。

同じ話を何回しても、本人のテンションがまったく下がらない。一回目と三回目の「嬉しかった」が、ほぼ同じ熱量で出てくる。

そこは少しすごいと思う。



その常連さんに褒められた居酒屋も、あくびが自分で選んだバイト先だった。

選んだ理由は、時給。そこは相変わらずだった。

ただ、働き始めてから少し変わった。

シフトを見ながら、

「今月、あと何回入ったらこれ買えるかね」

と計算するようになった。

欲しい服を見つける。値段を見る。スマホで次の給料日を確認する。指を折る。

「いける」

何がいけるのかは私にも分からないが、本人の中では計算が成立しているらしい。

稼いだお金の使い道は、相変わらず服とコスメが多い。

でも、自分で働いたお金で、自分の好きなものを買う。

買った服を着て出かける。誰かに褒められる。

そして家に帰ってきて、

「ママちゃん、聞いて」

と報告する。最近は、だいたいこの流れだ。



私は、あくびを見ていると、いじりたくなる瞬間が毎日ある。

同じ話を三回しても、毎回同じ熱量で喜ぶ。

話は少しずつ盛られる。

「あたし、可愛いかもしれん」と、自分で言う。

うどんの出汁に「染みるねぇ」と言うところは、私に似たんだと思う。ツッコミどころは、かなり多い。

でも不思議なもので、いじろうとすると、その少し手前で愛おしさが勝ってしまう。

たぶん、あの単純さが好きなのだと思う。

褒められたら喜ぶ。欲しいものがあったら働く。働いたら買う。買ったら着る。着たら出かける。褒められたら、また喜ぶ。

そして、その話を私に三回する。

ずいぶん分かりやすい人生だ。

でも、それでいい。

私は、あくびが本当に可愛いかどうかを判定したいわけではない。

夜遅くに迎えに行ったのも。

友達まで送ったのも。

同じ話を三回聞いたのも。

話が盛られているのに気づかないふりをしたのも。

全部、あくびが嬉しそうにしているのを見たかったからだ。

うどんをすすりながら喜ぶ顔も。

鏡の前でくるっと回る姿も。

「でしょーーー!!」と叫ぶ声も。

正直、いちいち可愛いと私は思う。

可愛いかどうかを判定してほしいわけじゃなく、ただ喜んでいてほしいだけなのに、あくびは律儀に証拠を並べてきて、こっちに答え合わせをさせようとする。

だから、私は答え合わせに付き合う。

何度でも。

あくびが自分で働いて、好きなものを買って、それを着て出かける。

少しずつ、自分の世界も広がっている。

その途中で誰かに褒められたら、また家に帰ってきて、たぶん私に三回話す。

「ねえ、ママちゃん」

「なに?」

「聞いとる?」

「聞いとるよ」

「でしょーーー!!」

あくびは満足そうに笑うと、最後にいつもの言葉をつけ足した。

「あーりがとーーー」

何に対する感謝なのか、正直よく分からない。話を聞いたことに対してなのか、迎えに行ったことに対してなのか、うどんを奢ったことに対してなのか。

たぶん、全部まとめてなんだと思う。

あくびは、同性の私から見ても、かなりいい奴だ。学生の頃の私なら、たぶん友達になりたいと思ったはずだ。

ただ、底抜けにバカなのだ。

頭が悪い、というのとは違う。テストの点数だけなら、ちゃんと取ってくる。要領も悪くない。それなのに、なぜ可愛いと言われて喜ぶたびに話を盛るのか、なぜウンコで見返りを求める犬に自分を重ねられるのか、そのあたりの判断だけが、いつも少しズレている。

足元では、ぽんくんがまた「うにゃおん」と鳴いていた。

(たぶん明日も、同じ話を聞く。)

いいなと思ったら応援しよう!