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第4章「日本語ボランティアで学んだ「伝える力」

第3章では、彼女の本音を聞くことで「傾聴」の大切さに気づいた話を書いた。

今回はその延長線上にある話。日本に来ている彼女たちと関わる中で、自分の中にあった「外国」への見方が、少しずつ変わっていった実体験を書いていこうと思う。


第4章 異文化理解と共感

もし自分が海外に住むなら、その国のルールや文化は守りたい。それは外国人だからではなく、そこで生きる人間として当たり前のことだと思っている

自分はそう思っている。人種は関係ない。ただ、同じ地球に生きる人間として。

ネットでも多文化共生や移民政策の問題をよく目にする。加害した側も被害を受けた側も、客観的に見れば、それぞれの反応は理解できる。

当たり前が当たり前でなくなることへの不安やストレスは、ごく普通の感情だと思う。

みんな少なからず自国愛はある。比較して羨ましさや嫉妬が出るのも、自然なことだと思います。

ただ、知識もなく、事前のリサーチもせずに来たら、摩擦が生まれるのは当然だ。
国の問題というより、まず互いが知らなければならない。知るきっかけも、やり方も、考えていく必要があると感じる。

幸い、自分がお世話になっている日本語教室に来られる方たちは、日本が好きだ。
都合よくではなく、しっかりとリスペクトがある。自国と他国を客観的に見ることもできる。

ある日、彼女がゴミ出しのルールで困っていると話してくれた。

「分別が細かいし、出す曜日が決まっている。難しい」

「日本人もめんどくさがってるよ」と共感した。「でも、道にゴミがない理由はそういうことだと思うよ」と伝えた。

別の日には、こんな話もあった。

「日本の電車が静かすぎる。静かにしなくちゃいけないルールや看板もないからわからない」

でも、彼女はこう続けた。
このルールは好き。自国だとおかまいなしにうるさいし、電車内で電話越しに喧嘩する。静かなのは快適でいい

私も彼女の国について知った。

彼女の住んでいる地域では、ほとんどの移動がバイクだという。道路も日本ほど整備されていない。交通ルールも緩く、バイクの3人乗りも当たり前だという。

そんな話を聞いて、改めて実感した。実際に現地に住んでいる人との日常会話が、一番説得力がある。テレビやネットで画面越しに見ただけでは伝わらないことが、たくさんある。

この経験を通して、自分自身も変わった。

国ではなく、人柄なんだなと痛感した。

まず偏見をやめようと思った。
「なんでなんだろう?」から入るようになった。理由を知ってからも特別何かするわけでもない。「そういう考えもあるんだな」で留めるだけ。

仮に何か起きても、熱くならないように心がけている。熱い気持ちが間違った方向に向かうと、争いが生まれる。そう感じるようになった。

異文化理解とは、相手の文化を「受け入れる」だけじゃない。まず「知ろうとする」ことから始まる。違いを認め合いながら、対等に話せる関係性。「共生」とは、同じになることじゃなく、違いを尊重することなんだと気づいた。

彼女たちが日本に敬意を持ってくれているように、自分も彼女たちの国に敬意を持つ。そうして初めて、本当の意味で「共生」ができるんだと思う。

最終章はこちら


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