(栖庫ナオ)の剪断
いつかの夏。
わたしは表座敷でごろごろしている。
雨端にさえぎられて陽のささない畳のうえはひんやりしててきもちがいい。
それでわたしは庭をながめている。
庭では當眞さんが草木の世話をしている。
七つ年上の當眞さんはわたしが生まれるまえから栖庫の家にいたから、はやくに母をなくし父と不仲だったわたしにはもっとも親しい家族だった。わたしはちいさいころから當眞さんを兄のように慕った。
フランキスカがいないときいちばん話しをしたのは當眞さんだったし、フランキスカには言えないかもなってことをきいてもらうのも當眞さんだった。
庭師の當眞さんがしてくれる話は、もちろん草花や樹木のことが多かったけれど、むかしの言い伝えや古い歌、ケーキのつくりかたとか魔物をしりぞけるおまじないとか、おしえてもらったことはたくさんある。
わたしは當眞さんのつくる庭がすきだった。
草や木やお花をむりにたわめたり切り揃えたりするのではなく、そのこたちがそだちたいようにさせてあげる、そういう庭のつくりかた。
どうしたらそういう庭がつくれるんだろう? ふと思って、わたしは當眞さんに声をかけている。
「わたし當眞さんのお庭、すきだな わたしもそんなふうなお庭つくりたいかも」
當眞さんが「ありがとうございます」といいながら、真夏の太陽にあぶられているとは思えないほど涼やかな笑顔でわたしをみる。
その答えはこうだった。
「わたしのしごとは父譲りですが、わたしはよくばりなんです。ひとのつくった庭では満足できなくて、自分好みの庭をつくるようになりました。
それをすきだといってくれるのはとてもうれしいですが、これはわたしの庭です。
ナオさんがもしお庭や草花にきょうみがおありでしたら、ご自分の庭を、ご自分の手でつくらねばなりません。
そのほうが、どんなに高名な造園家にたのむより、何倍もいとおしい庭をつくれるはずです」
そのときわたしはなんて返事したのか忘れてしまった。ただ(ああ、そうか)と思っていたことはおぼえている。
「やってみますか」と當眞さんが招くのに応じて、わたしはビーサンをつっかけて暴力的な太陽が降り注ぐ庭におりていった。
じぶんの庭は、じぶんの手でつくる――か。
やっぱり當眞さんはいいことをいう。
なんでそんなこと思い出したんだろうな。
身ひとつで、夢とも現実ともつかない場所をさまよっている、こんなときにさ。
だけどわたしのなかに當眞さんのことばがよみがえって、わたしはひとりじゃないと知る。
わたしのなかには當眞さんがいて、ずっと好きにはなれなかったけれど父親がいて、それからフランキスカがいる。これまでわたしがかかわってきたものたちが、いろいろなかたちでわたしの一部になっている。
わたしのなかのいまは欠けてしまったフランキスカの部分を、わたしはそっとなぜる。
だれにともなく問いかける。
「わたしがつくりたいわたしの庭ってどんなだろうな?」
むろん、返事はない。
わたしはわたしの嘘ではないきもちをきく。
(そこにはフランキスカ、おまえがいてほしいよ。
そうだな、ときおり花の蜜を吸いにくる蝶みたいに?)
ふふ、と笑いがこみあげる。それでいい。いや、それがいい。
これまでわたしはフランキスカを檻に閉じ込めようとしてきたのかもしれない。あるいは、フランキスカの求めるままにわたしのかたちを矯めようとしてきたのかもしれない。それはどちらもちがってる。
わたしは、わたしの庭をつくる。
フランキスカ、おまえがたまには来たくなるような庭をな。
公園の片隅に幼いフランキスカがいる。
わたしをみつけて、「おねえさん ぎゅってして」という。
わたしはそれを無視する。
幼いフランキスカが悲しそうな目でわたしをみている。
「こうしないと、わたしがしぬの」
そうだな…… わたしだってぎゅってしてやりたいさ。そうしておまえのぬくもりを感じてみたいよ。
だが、そうじゃない。
わたしはひと振りの刃でわたしの皮膚を剥ぐ。
わたしの触覚が消滅する。
「ねえ、ナオ ナオのために手づくりしたの」
小学生のフランキスカが、テーブルいっぱいに並べたケーキをとくいげにみせてくる。
「わたしのつくったケーキ ナオだけにたべてほしいな」
わたしは微動だにしない。
「わたしの手づくりじゃ、だめ……?」
フランキスカが泣きそうな顔でわたしをみてくる。
フランキスカがわたしのためにつくったものなら、おねがいされなくてもたべたいさ。
だけど、ごめんな。これはちがうんだ。
わたしはひと振りの刃でわたしの舌を抜く。
わたしの味覚が消滅する。
中学生のわたしはフランキスカのおうちで櫛と鋏を手にしている。
フランキスカが髪を切ってほしいというから、前髪だけなら切ってあげると応じたのだ。
「ありがと、ナオ、だいすき」とフランキスカがわたしにしなだれかかる。
その髪からいい匂いがする。
わたしは蕩けてしまいそうになるのに抗って、ひと振りの刃でわたしの鼻を削ぐ。
わたしの嗅覚が消滅する。
「三時くらいにわたしんち来てくれたらいいから」
高校生活最後の定期考査を終えたその日の帰り、わたしはフランキスカに誘われる。
約束の時間にわたしは呼び鈴を鳴らす。
「どなたですか〜?」としたったらずな声がしてパタパタという足音が近づいてくる。
玄関のドアがひらくとすっぱだかのちいさなおとこのこがいて、奥のほうからフランキスカが顔を出す。
「いまアトルくんとおふろ入るところだったんだ」
そういってフランキスカはわたしのまえで服を脱ぎだす。
「ナオもいっしょにはいる?」
フランキスカはいたずらっぽく笑って、ポカンとしているわたしに裸を見せつけてくる。
「すきにしていいよ……」
わたしのからだに伸びてくるフランキスカの手を、わたしは払いのける。
わたしがみたいのはこれではないよな……
わたしはひと振りの刃でわたしの両目を抉る。
わたしの視覚が消滅する。
「ナオ、すきだよ」
「ナオ、ぎゅってして」
「ナオ、愛してる」
「ナオ、いっしょに飛ぼ?」
「ナオ、だいすき」
「きて、ナオ わたしのヒーローでおうじさま」
フランキスカの声がきこえる。
さえずるな。わたしが聴きたいのはそんなうわっ面のことばじゃないんだ……
わたしはひと振りの刃でわたしの両耳を毟り取る。
わたしの聴覚が消滅する。
わたしは暗闇と静寂に満たされる。完全な凪。
もうなにも見ることも嗅ぐことも聴くことも触れることもできない。
でもこれでいい。なにも怖くない。
フランキスカのもとへまちがえずにたどりつくためには、わたしのからだはじゃまなのだ。
フランキスカと最西端にタッチしてきたかえりみち、わたしとフランキスカはむかしのことをたくさん話した。
フランキスカはわたしのする話がぜんぶじぶんのことなのに不満らしく、「わたしが出てこない話もしてよ」っていったけれど、わたしにしてみればフランキスカのいない過去なんてないし、あっても話す意味なんてない。そう思っていた。
フランキスカが「じゃあわたしの話、するね」といったとき、わたしは「そんなの聞く価値ない」と耳を塞いで寝たふりをしたから、フランキスカは黙ってしまって、けっきょくそれっきりだ。
でも、あたりまえにフランキスカのなかにはわたしのしらないフランキスカがいて、わたしはいまごろになって、ちゃんと聞いとけばよかったと後悔している。
(わたしのしらないフランキスカも、フランキスカのはずなのにな)
わたしはそれを認めようとしなかったし、フランキスカにも見えているわたしがすべてなんだとうそぶいた。わたしはじぶんだけでなく、フランキスカにも目隠しをし、耳を塞ぐことを科そうとした。見て嗅いで聴いて触れられる範囲をかぎって、ほんとうは境目などない世界をふたりだけのかたちに切り取りたかった。
そんなわたしのたくらみは、わたしのいじわるなきもちをちょっと満たすだけで、フランキスカを縛りつけておくことはできなかったし、世界にとっても痛くも痒くもなくて、やっぱりわたしのなかにもフランキスカの知らないわたしはいる――
わたしはそれをフランキスカに隠す必要なんてなかった。そんなわたしがいることを罪かなにかのように感じる道理もなかった。
なのにわたしはまちがえた。
わたしがフランキスカを感じてしまうから、まちがえたくなくてもまちがえさせられてしまう。
だったらもう、わたしのからだなど、わたしの感覚など、いらない。
當眞さんがみたらきっとあきれてしまうだろう。力まかせに捻じ曲げて、當眞さんにおそわったやりかたをなにひとつまもってないんだから。
「切るでも切られるでもない道をいけ」と言った父も、伝家の宝刀がまさかこんなつかいかたをされるとはおもってなかったはずだ。
ふたりの苦い顔がうかぶ。
じぶんでも乱暴なやりかただとおもう。
でも、こうしかできないんだ。わたしが、わたしの庭をつくるためには。
もはやどこをどう歩いているのかわからなかった。歩いているのかどうかも定かではなかった。
『……らまさくす』
どこかから声がする。きこえない耳ではなく、あたまのなかに響いている。
まだその名で呼ばれ慣れていなかったから、それがわたしを呼んでいるのだと気がつくのに時間がかかった。
声は「栖庫柾楠」と呼んでいた。
声を失ったわたしはあたまのなかで「だれだ」と応じる。
『わが名はベアグノズ おまえの背に負われているものだ』
鉄剣の名か。しゃべれるのか……
『おれもおどろいている おそらくおまえが消したとおもっているものをおれが引き受けしまったようだ』
そんなことがあるのか。わたしの感覚では世界がさぞかし歪んでみえるだろう。
『いや、そんなことはない なかなかいい具合だ』
わたしが切り捨てたものを褒められるのは妙なきぶんだな。
『安心しろ ここからはおれがおまえを導く』
あ?
『いや、すまない おれがおまえとともに歩む、よ』
ああ、鉄の塊なんかに気を遣わせてしまったのか。わたしもまだまだ未熟。
『たいそうないいぐさだな まあ、いい…… そんなことよりおまえが託されたものを忘れていないか』
託されたもの?
『庭師から餞別にもらっただろう』
ああ、とわたしは思い出す。
わたしが発つまえ、當眞さんがもたせてくれたものがあった。それは土でつくられたふたつの人形で、ふたつながら手のひらにのるくらいのおおきさだった。
「あ、かわいい 鳥? と、こっちは丼……?」
「それは鍋です こっちの鳥は鶴」
「へんな組み合わせ」と笑っていると、當眞さんはいつもの涼やかな笑顔にしんけんな眼差しを宿し、「ナオさんが困ったとき、きっと役に立つでしょう」と人形をのせたわたしの手をやさしく包みこんだ。
『いまならそのものらの声もきけるだろう』
ベアグノズが言うや、鶴と鍋の土人形はちいさなおんなのこのすがたになって名乗りをあげる。
『わたしはチルーです そちらのお鍋よりもお役に立ちます よろしくおねがいいたします』と鶴のほうが煽ると、『ああ? なんだてめぇ』と鍋がキレる。『あたしはナビー ぜったいあたしのほうが役に立つ!』と主張する。
仲悪いのか、こいつら。めんどくさいな。
『まあそういうな』とベアグノズがとりなすうしろでは、まだチルーとナビーがいがみあっている。
『おまえには気になるところがあるだろう そのふたりはそこへ遣わすといい』
気になるところ、か。うん、そうだな。いまのわたしじゃどうすることもできない。ふたりにまかせられるなら……
チルー。ナビー。
わたしはふたりを呼んで、用を伝える。
行って、伝えて。わたしとおなじめにあっているなら、たすけてあげて。
『おまかせください ナオさま』 チルーがいう。
ナオさまはやめてよ。
『ん、まかせとけ ナオちゃん』と、ナビー。
はは、ナオちゃんなんて呼ばれるのいつぶりだ?
じゃあまかせた、とふたりを見送り、わたしはベアグノズとともに歩きだす。
目指すべき道はベアグノズがおしえてくれる。
『おまえとフランキスカをつなぐ橋があるはずだ』
うん、わかった。その橋を目指そう。
だからどうか、そこで待ってろよ、小野フランキスカ。
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ちゅーる代