「中心点がなくなる」という感覚について
前回の記事で、こんなことを書いた。
どれか一つの円が「自分」ではなく、
気がつけば「自分」は外側の円そのものだと感じるようになった。
と気がついた。
「個」という中心などない。全体まるごとが私。
昨年、何度も「私などいない」という言葉が自分の中に響いていた。
その時には、その意味がわからなかった。
でも、その「私などいない」という言葉が最近、なんとなくわかり始め、
今は妙に納得できる。
その感覚は、その時には想像もし得なかった感覚だから。
言葉にするのは難しいし、今はまだ言語化できないでいる。
ただ、小さな円が世界のすべてだった時とは視界が違う。
常に全体が同時に呼応している。
※この中で「円」と書いているのはフラワーオブライフのことです。
私はこの時、とくに「中心がない」という感覚が、新しかったんですが
今朝、少し言語化できてきた?ので忘れないうちに書いておきます。
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かつての私は、「これが自分だ」と思っていた「空間」があった。
それがいわゆるこの身体の自分であり「個の自分」の場所、中心の円。
その空間は、周囲に柵が張り巡らされていて、外には出れない。
私はずっとこの柵の中で生活していて、他の場所を知らない。
この空間がすべてで、私はこの空間の中で、たくさんのドラマを経験した。
かつては、
日々繰り返される闘いに疲れ果ててしまうこともたびたびあった。
でも過ぎてしまえばそれも含めて、
その過程、プロセスのすべてが愛おしいと思った。
この柵の中こそが私の占有空間。
この柵があるから安心でもある。
私はこの柵に守られている。
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かつて、闘い疲れたある時、柵の間から見える外の世界が目に止まった。
あれ?なんだろう?あの柵の向こうには何があるのだろう?
私は毎日、柵の外を眺めるようになった。
そこにはキラキラした別の世界があるように見えた。
だんだん目が離せなくなる。
柵の外を観察するのが日課になった。
あの場所は、どんな場所なんだろう?
どんな木や鳥や虫がいて、
どんな風が吹いていて、どんな匂いがするんだろう?
毎日眺めていたら、
まるで、その場所に行ったような気分になってきた。
あの場所は、だいたいこんな感じなんだろうな。って
自分の中にイメージが出来上がる。
なんて静かな場所なんだろう。
ここにいれば、何があっても安心できる。
どうして私はこの柵の中の空間がすべてだと
思っていたんだろう?
私は、すでに「柵の外の場所」にいて、
もうそこに住んでいるような気になっていた。
でも実際には、まだ柵の中にいた。
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ある時、この世界には私しかいない。と気がついた。
どこまでいっても、果てしない銀河の先へ行っても
私しかいない。
私は常にやまびこの声を聞いている。と、気がついた。
私しかいない。ということは、
「私がすべて」だから、私以外誰も何も存在しない。分けるモノがなくなるから「(個の)私などいない」ということになる。
あらゆるものも、あらゆる生命も、私の中に全部ある。
私が過去を回想すれば、過去の私が立ち現れ
私が未来を思い描けば、未来の私が立ち現れる。
私の中にあるすべてが
ランダムにまるで脈絡も何もないように
時を超えて出来事となって現れる。
すべては私の中のすべて。
あちこちに飛んだり跳ねたりしながら
移り変わる意識の流れ。
ただそれが映し出されているだけ。
そう、ただそれだけだった。
わたしは、この世界は、
意識の流れそのものだった。
目の前に見えている世界は、
私の移り変わる意識の流れに
ただ呼応してくれているだけ。
私は呼吸している。
呼吸するように世界が移り変わる。
私をこれまで守ってくれていた「その柵」はなくなった。
その柵の内も柵の外も、柵自体もまた、すべてが私の現れだった。
そしてその様子を全部観ているもう一人の私が
「ここもまた柵の中だよ」と言っている(笑)。
xxx.love love love
So beautiful world
by kalo
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