「男子トイレに入るの、怖くなかった?」と聞かれて─ 移行期に感じた不安と、自分の正しさを信じる力
「男子トイレ、怖くなかった?」
その質問に、笑って「うん」と返した。
でも、実際には笑える話じゃなかった。
あそこは、“男の肉体”が当たり前にある前提の場所。
僕の身体は、そこに“当然”のようにあるものを、持っていなかった。
だけど、僕はそこに立っていた。
――立つことのできない身体で。
■ 見られることの、異様な興奮と羞恥
最初に男子トイレに足を踏み入れたとき、
壁に並ぶ白い便器が、まるで祭壇のように見えた。
“見せる”“出す”“立つ”という行為が、儀式めいて見えた。
でも僕は、そのどれにも参加できなかった。
僕が向かうのは、奥の個室だけ。
扉を閉めて、服を下ろして、息を殺す。
誰かに気づかれないか。
男として“振る舞えてる”か。
その緊張が、逆にじんわりと快感に変わる瞬間もあった。
背中に感じる視線が、僕を“社会の男”として認めてくれているようで。
でもそれは、痛みと背中合わせの快感だった。
■ 小便器の前に“立てない”という身体の記憶
男性ホルモンを打って、声が低くなり、体毛が濃くなっても、
“あれ”がない僕は、やっぱり立ってできなかった。
小便器の前に立つ、というただそれだけの行為が、
僕には“演技”を求める舞台だった。
ズボンの前を開けるふりをして、空気を読むふりをして、
そこにいる“男たち”の中に、自分を馴染ませる必要があった。
でも、できなかった。
僕の股間には、
それらしい“それ”がない。
だから、ただ、立てなかった。
■ 個室待ちの列で、じっとり濡れる背中
個室が空いていなければ、僕は外で待つしかない。
小便器はガラ空き。
なのに、僕だけが列の後ろで動けずにいる。
汗が滲む。
背中が粘つく。
誰かの視線を感じる。
視られてる――そう思うと、皮膚がざわつく。
羞恥と不安と、“気づかれるかもしれない”という緊張。
それらがぐるぐる混ざって、
僕は時々、異様なテンションのまま個室に駆け込むことがある。
そして中で、静かに座って、息を吐く。
「トイレ、行くだけなのに」
そう思うたびに、僕は“社会の男”から剥がれ落ちていく。
■ 誰でもトイレじゃ、もう満たされない
逃げる場所は、ある。
「誰でもトイレ」は、今も町中にある。
でも、そこにはもう、僕の居場所はない。
あれは“過去の自分”の避難所だった。
今の僕には、もっと苦しくても、「男として生きる場所」が必要なんだ。
それが男子トイレ。
まだ全部の設備を“自由に”使えるわけじゃないけど、
あの個室に入るとき、僕は誇りを持っている。
“ないもの”を抱えたまま、“あるふり”をして、
それでも、ここに立っているということに。
こういう出来事のあと、
僕は自分の「身体」と向き合うことになります。
正直、この先はあまり人に話せる内容ではありません。
■ だから、あなたにも伝えたい
身体が一致しない。
視線が怖い。
“普通”に振る舞うことが、怖い。
そんな自分に嫌気がさしている人がいたら、
僕は言いたい。
「それでも、生きてるあなたは、すごい」
自分の身体と社会の期待の間で、今日もギリギリ立ってる人へ。
立てなくてもいい。
小便器に背を向けてもいい。
でも、そこに“居ようとする”あなたは、誰よりも男らしいと、僕は思う。
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