ホテルネイキッドキング 第5話 日本へ
「契約……してない?」
顔面蒼白になった赤羽の口から、空気が漏れるような、か細い声がこぼれ落ちた。
「はい。父の話では、エミリーさんは最初から契約に乗り気ではなかったのではないかと……」
大家の娘から非情な現実を告げられた赤羽は、弾かれたように賑やかな通りを小走りに走り出した。
(契約していない? そんな馬鹿なことが、あるはずないだろう!)
赤羽は自分に言い聞かせるように何度も呟きながら、行き先も分からぬまま、ただ必死に街を駆け抜けた。
(そうだ、エミリーに電話だ。直接聞けばいいだけのことだ)
震える手でポケットから携帯電話を取り出し、エミリーに発信する。
だが、耳に届いたのは無機質な機械音だった。
『この電話は現在使われておりません……』
何度かけ直しても、絶望をなぞるような音声が繰り返されるだけだった。
赤羽はいつしか街の小さな公園にたどり着き、糸が切れた人形のようにベンチへ腰崩れた。
(エミリー、君はどこへ行ったんだ? 俺は騙されたのか?。。。いや、そん
なことがあるはずがないじゃないか。。。でも。。。)
混乱し、目の前の現実を拒絶する赤羽。そこへ、聞き覚えのある声が響いた。
「赤羽さ〜ん!」
振り返ると、自転車に乗った数人の若者たちが近寄ってくる。エミリーの会社で働くスタッフたちだった。
彼らもまた、困惑していた。いつまで待っても会社のドアは閉まったまま。エミリーの携帯も解約されている。
「エミリーさんの家にも行ったんです。でも管理人の話では、昨夜遅くにタクシーで出かけたきり、帰っていないって……」
後日判明したことだが、エミリーの会社は、大手取引先の倒産により莫大な売掛金を失っていた。さらに、彼女の強引な手法に限界を感じていた小売店オーナーたちが次々と離反。会社の倉庫は、返品と不良在庫の山と化していたのだという。
「やられた……」
自らの置かれた状況を、脳がようやく理解し始める。
新店舗にかかる約1000万円を失ったばかりか、商品の仕入れ代や輸送コストを合わせれば、被害総額は2000万円に迫る。すでに支払いは済ませており、今さら返金を求める相手すらどこにもいない。
親友の陳にも会ったが、彼もまた親族を含め甚大な被害を受けていた。恨み言を飲み込むしかない赤羽は、孤独な戦いへと身を投じる。
エミリーの倉庫が使えなくなったため、新たに借りた倉庫へ商品を運び込み、赤羽は在庫処分のために奔走した。
有名通りでの露店販売。企業や工場のランチタイムを狙った即売会。陳のつてを頼った学校内での販売。
朝から晩まで、商品を売り尽くすためだけに働き続けたが売上は伸びず思ったような成果には至らなかった。
雨が降れば露店は休み。
企業や学校へ商品を運ぶ際にかかる運送代もバカにならなかった。
(俺、、、何してんだよ。露店をする為に台湾に来たってのか? 騙される
なんて、、、本当お前はバカな奴だよ)
赤羽はそう自分を責め続けた。
負のループ
在庫を売りさばくために孤軍奮闘していた赤羽だったがその代償は大きかった。
「日本人経営者のいる店」「赤羽と話ができる場所」
そんな赤羽との交流を求めていた現地の顧客たちは、主人の消えた店から次第に足が遠のいていった。
店舗の売り上げは急落。利益はスタッフの給料と家賃で消えていく。
エミリーへの怒り、騙された自分への失望。そして、膨らみ続ける赤字の恐怖。
異国の地での悪戦苦闘は、赤羽から情熱を奪い、その心をひどく荒ませていった。
心に灯った小さな明かり
そんな絶望の淵にいた赤羽に届いた、大林さんからのメール。
それはまさに、地獄の底へ垂らされた一本の蜘蛛の糸だった。
成田空港。
飛行機から降り立った赤羽の目に、日本の空が映る。
明日、大林さんとの再会。
すべてを失い、ボロボロになった自分に何ができるのか。
それでも、赤羽は自分の拳を強く、痛いほどに握りしめた。
「まだ……終わっちゃいない」
その掌にあるのは、絶望か、それとも再生への種火か。
赤羽の、本当の逆転劇がここから始まろうとしていた。

果たして再び立ち上がることができるのか?
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