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坊主岳の忘れ物|伊那谷青春譚・孤独の章|風まかせ文芸部《宿題の山》

「宿題の山」は比喩ではなく、わたしが山に置き去りにしたほんとうの宿題でした。


◇十代の宿題

何物でもなかった十代の頃、地図も情報も乏しい時代に、この山に登ったことがある。
道に迷い、涸谷を越え、苦労して主稜線に出ると、いきなり視界が開けた。
その山頂は高い木がなく、「坊主」としかいいようがなかった。
控えめな山名標と小さな祠。
そして、背の低いゴヨウマツがあった。
それは、ハイマツだったはずだ。──そう思いながらも、確認しなかった。
高山遺存種のハイマツが、2000mにも満たない独立峰に残存するはずがない、という一点が引っかかっていた。

坊主岳は、三十年ものあいだ心の奥に仕舞われたままの「宿題」だった。

だから行く。
かつては、登路と人生に迷いながら登った尾根を、今は息子と登っている。
それだけで、半ば宿題を提出したような気がした。

◇息子と共に

ダム湖に煌めく錦秋の山々。
味のある道標から登山道に入ると、つづら折れの急登がはじまる。
無尽に走る獣道が紛らわしいが、ひたすら上を目指す。

大きなアカマツの天然林に続き、カラマツ人工林。
ミズナラの萌芽林に置き換わった所もある。
色とりどりに紅葉したカエデが風にそよぎ、朝の日差しにキラキラ輝く。
ダンコウバイが黄金の「かいじゅうの足跡」のような葉を拡げ、ひときわ愛らしい。

息子は「ラブリーだな」と言い、わたしはそれに微笑みかける。
あの頃のわたしには、そんな余裕もなかった。
指針もなく、灯台もなく、行き先すら分からず、ただ先に進もうとしていた。
急登の中、目線を上げて燃え盛る紅葉を愛でる──その心の余白さえ持てなかった。

ササが出てくる。緑の海は、風に揺れる波のようだ。
波に呑まれぬよう、ひと息だけ立ち止まる。見渡し見定める。
細い道は、見えないところにも続いている。

木々の背が低くなる。
シラビソ、コメツガ、トウヒに、ブナが混じる。
いずれも矮化して西側の枝を失い、東へと身を傾けている。
西から吹く強い風が、ここの場所にだけ別の樹形をつくったのだ。

頂上は至近である。

◇坊主岳の忘れ物

そこからは、まるでスチル画のようだった。
息子の視線を通して、あの日の光景が客観的に再生される。

先を行く息子が、「あっ」と声を上げる。

ササつきの草原。

小さな祠。

控えめな山名が掲げられていた木は枯れ、立派な山名標が建てられていた。

そして、叢生するマツの緑。

ほんとうにあった!やっぱりあった!

間違いない、思い焦がれていた坊主岳のハイマツだ

晩秋の昼下がり。頂上には誰ひとりいなかった。
ダウンを着込み、静かな頂を独り占めし、三十年ぶりのハイマツを愛でた。
雲に隠れて周囲の眺望はなかったが、同じ風の中に立つだけで十分だった。
時を超え、息子とともに過ごす時間は、深く満ちていた。

◇一万年の孤独

後氷期の温暖化と亜高山帯種の進出によって、ハイマツは高標高地に追いやられていった。そして、独立峰では、一度なくなると再び戻っては来られない。
しかし、偏西風が強いゆえ、坊主岳のハイマツはそれに耐え、同時に他の樹種の進出から守られながら、留まり続けたのだろう。

──三十年分の宿題が、風に溶けていく。

一万年という気の遠くなるような時間を耐えた低い樹影は、あの頃のわたしによく似ていた。どう生きても孤独。しかし、その孤独は風に守られている。

坊主岳は、わたしの生き様そのものだったのかもしれない。
その青春を隣の坊主頭と共有できたことが、何よりもうれしかった。

いつしか下山時刻を超えていた。さすがに寒くなってきた。
息子が「帰る?」と聞く。わたしはうなずき、静かに頂を後にした。

宿題は、出せば終わる
出していないことを悔やむなら、今からだって出せばいい。
それは、山も、青春も、たぶん同じだ。


(登山記録:2022年10月30日)

  • 行程:奈良井ダム登山口から往復(約6時間、休憩約2時間)

  • 同行者:息子

  • 天候:晴れ~曇り

みなさんが、若き日にやり残した「宿題」は、何ですか。よろしければお聞かせください。わたしは昨年度末に、その宿年の宿題をようやく回収しました。

▼詳しいフィールドノートはこちらから

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