【連載小説】ECHO エコー 第百五十話「水面下」
【場面285 堅田護・美濃部・篠田(電話)・八十一日目・夜】
美濃部の携帯から、呼び出し音が続いていた。
やがて、繋がった。
「もしもし、篠田です」しわがれた声が、微かに聞こえた。
美濃部が、事情を、手短に話した。
「堅田さんという方が、篠田さんに、お話があるそうで」
少し、間があった。
「……代わってもらえますか」篠田の声が言った。
美濃部が、護に、携帯を渡した。
「もしもし、堅田です」護は言った。
「……何のご用でしょう」篠田の声は、硬かった。
「昔の、ナノジェンの記事のことで」護は言った。「少し、お話を伺いたくて」
電話の向こうで、長い沈黙があった。
「まだ、あの件を、掘る人がいるんですね」篠田は、ようやく言った。
「アーク・メディカルという名前、ご存知ですよね」護は言った。
篠田の息を呑む気配が、伝わった。
「……あなた、何者ですか」
「詳しいことは、会ってお話しします」護は言った。
また、沈黙があった。
「資料が、まだあります」篠田は言った。「当時の、取材ノートも」
「見せていただけますか」護は言った。
「……いいでしょう」篠田は言った。「場所を、決めましょう」
二人は、日時と場所を、決めた。
三日後、名古屋で、落ち合うことになった。
電話を切ると、護は、美濃部に、深く頭を下げた。
「助かりました」
美濃部は、小さく頷いた。
「篠田さんを、よろしくお願いします」美濃部は言った。「あの人、ずっと、何かに怯えていたから」
【場面286 還・平出・赤坂・料亭・八十二日目・夜】
還は、赤坂の料亭の、離れの一室に通された。
床の間に、掛け軸が下がっていた。
やがて、恰幅のいい初老の男が、入ってきた。
「お待たせしました」男は言った。「取締役の、平出です」
還は、名刺を交換し、頭を下げた。
仲居が、酒と、先付けの皿を運んできた。
形式ばった挨拶が、しばらく続いた。
還は、酒を注ぎながら、頃合いを見て、切り出した。
「十八年前の、ナノジェンの記事についてです」還は言った。
平出の箸が、止まった。
「今更、何のご用です」平出は言った。声に、わずかな険があった。
「あの記事、途中で、続報が止まっていますね」還は言った。「何か、事情でも」
平出は、しばらく、還を見た。
「……古い話ですよ」平出は言った。杯を、一口、傾けた。「それが、何か」
「止めた理由を、伺いたくて」還は言った。
平出は、しばらく黙っていた。
「上から、止められたんです」平出は、ようやく言った。「それだけですよ」
「誰の指示だったんですか」還は言った。
平出は、杯を置いた。
「そこまでは、私の口からは」平出は言った。「ただ……大きな政治家先生が、絡んでいたという噂は、当時からありました」
還は、表情を変えなかった。
「篠田さんは、その後も、追っていたようですね」還は言った。
「らしいですな」平出は言った。「本人は、いつの間にか、辞めてしまいましたが」
「今、どちらに」還は言った。
平出は、首を横に振った。
「そこまでは、私も」平出は言った。「風の噂も、届きません」
料理が、次々と運ばれてきた。
還は、箸を進めながら、頭の中で、聞いた話を、静かに並べ替えていた。
政治家。アーク・メディカル。そして、まだ、姿の見えない篠田。
糸は、太くなっていくのに、その先が、まだ、暗いままだった。
第百五十話 了 / 次回 第百五十一話「身寄り」
