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ZINEのドレスコードとは-前編(番外編 ZINEフェスレビュー)

7月11日、二度目のZINEフェスへ行ってきた。

この手のイベントへ足を運ぶのは三回目になる。三回も行けば初心者とは呼びにくい。かといって常連を名乗るには、会場での立ち振る舞いがまだ頼りない。そろそろ私も、次のステージへ進むべきではないか?

そこで考えた、zineフェスのドレスコードと言うものを提言したい。

サッカーの試合にはユニフォームがあり、夏フェスにはバンドTシャツがある。ならばZINEのフェスにも、それを最大限に楽しむための服装があっていい。文化が成熟すれば、内容だけでなく、それを取り巻く格好まで生まれるはずだ。

そして見つけたのが、CAHLUMNの「Magazine Pocket Broadcloth Open Collar Shirt」だった。

内側にZINEを入れるための大きなポケットが付いているらしい。ZINEという言葉がアパレルの商品説明へ進出するほど、世間に浸透していることにも驚いた。これを着れば、購入したZINEをポケットに入れ、ほぼ手ぶらのまま、涼しい顔で会場を歩ける。

これこそ、ZINEフェスの正装ではないか。
ただし、定価は一万四千円ほどした。

私はZINEを買いに行くのであって、ZINEを買うための服に一万四千円を払う覚悟まではできていない。悩んだ末、ヤフオクで一万円をわずかに切るものを見つけ、安くなったという事実だけを理由に即決した。

通販で服を買ったあとの数日間には、独特の不安がある。

似合わなかったらどうしよう。
サイズが合わなかったらどうしよう。
そもそも「ZINEが入るポケット」とは何なのか。

ZINEは判型も厚さも製本方法もばらばらである。それを一括して「入ります」と言い切るのは、ずいぶん大胆ではないか。流行している言葉を商品説明に添えただけで、実際には普通の内ポケットなのではないか。疑念は少しずつ膨らみ、やがて届いてもいないシャツへの怒りに変わった。よく分からずにZINEを語ったことを後悔させてやる。

そこで私は、前回のZINEフェスで購入した中でも特に大きく、1冊で袋がほぼ埋まったebinaさんのZINEを取り出した。CAHLUMNよ、大海を知るがいい。


入った。

正確には頭頂部がわずかに出ている気もする。しかし、これはもう入ったと言ってよい。少なくとも前回、袋を拒み続けたあの一冊が、シャツの内側へ静かに収まっている。あまりの適合ぶりに動揺し、私は製品タグに「監修・ebina」と書かれていないか確認した。

何はともあれ、サイズも着心地も問題ない。
CAHLUMNさん、舐めた口きいてすみませんでした。

こうして私は、ZINEの為のシャツに着替え、二度目のZINEフェスへ向かった。


小河ひとみさん「等身大の花束」

小河ひとみさんは、事前にnoteで「夜明け」さんというアカウントで知っていた。

今回のZINEフェスでも、買おうと決めていた一冊だった。

noteで読ませていただいた記事では、退職したばかりの不安や、恋愛のこと、太宰治『人間失格』の感想など、自分の内面を静かに掘り下げる文章が多かった印象がある。だから勝手に、少し繊細で物静かな人を想像していた。

ところが、実際にお会いすると印象がまるで違った。とても明るく、社交的で、よく笑う人だった。そして『等身大の花束』を読んで、その印象はさらに変わる。

noteで読んでいたような退職や恋愛といった人生の転機だけではなく、この本に収められているのは、昼休みの公園、マッチングアプリの待ち合わせ、ZINEフェス後の飲み会、華金の錦糸町、新橋の立ち飲み屋など、ごく普通の日常の風景ばかりだ。

読み終えて最初に思ったのは、
「あれ、この人結構酒飲むな」
だった。

食事や飲み屋の場面だけ抜き出して編集されたら、失礼ながら実はおじさんが書いているのではないかと疑うくらい酒場の空気に馴染んでいる。勝手に抱いていた「繊細な文学女史」のイメージは見事に裏切られた。でも、その裏切られ方がとても心地良かった。

この本の一番すごいところは、一つひとつのエッセイが短いことだ。

三ページほどで終わる話も少なくない。それなのに、どの作品も情景が鮮明に立ち上がる。公園の昼休みの空気も、待ち合わせ前の落ち着かない時間も、立ち飲み屋の少し湿った熱気も、映像として自然に頭へ流れ込んでくる。

そして最後は必ずきれいに着地する。尻切れにならない。「ここで終わるのか」が、「ここで終わるからいいんだ」に変わる。

この締め方が本当にうまい。

個人的に一番好きだったのは「きわめて刹那的な瞬間」。小河さんの軽音サークル時代のライブハウスでの出来事、詳しくは伏せるけれど、本当に一瞬しか存在しない出来事を、一瞬だからこそ美しいものとして閉じ込めたような作品だった。

もう一冊の旅行記では、ラオスやベトナムを一人で旅している。

よく考えたら、最初に私が勝手に想像していたような「繊細な人」は、一人で東南アジアを歩き回ったりしない。いや、する人もいるのだろうけれど、少なくとも私はできない。

読み進めるほど、「この人、思っていたよりずっとたくましいな」という印象へ変わっていった。

振り返ってみれば、noteで読んでいた退職や不安のエッセイも、感情をそのままぶつけているようでいて、実際には自分をかなり高い位置から俯瞰して分析していた。だから読みやすかったのだろう。感情に飲み込まれず、それを文章へ翻訳する距離感を持っている。これは簡単そうで、実はかなり難しい。

本人は今後への不安を何度も書かれている。
その不安はきっと本物なのだと思う。

それでも読者としての私は、次にどんな場所へ行っても、この人はきっとそこでたくましく生き、面白い文章を書いてしまう人なのだろう、と感じた。

強い体験だけに頼らなくても書ける。
日常の切り取りだけで読ませられる。
それが小河さんの一番大きな才能なのだと思う。

最後に、一つだけお伝えしたいことがある。

この本の中で小河さんが風俗と勘違いされていた浅草胃腸肛門クリニックだが、実はあそこ、私が人間ドッグに行く行きつけの病院だ。 前の職場から近かった。

もしかしたら小河さんの言うところの開発済なのかもしれないが、まだ若く人間ドックに縁のないだろう小河さんに伝えたい。 

胃カメラは、尻からは入れない。


ナガオさん「みぢかな信仰」

『みぢかな信仰』は、小河ひとみさんが大学時代に所属していた軽音サークルの友人十名が、「信仰」という一つのテーマについて文章を寄せたアンソロジーZINEである。企画し、全体を取りまとめたのはナガオさんという方だ。

信仰という言葉を学術的に扱えば、宗教学という分野に接続する。私自身、学生時代に宗教について学んでいた時期があり、宗教学に関する本もそれなりに読んできた。こうしたテーマには昔から興味がある。

一方で近年、「信仰」という言葉は宗教施設の外へ大きく広がった。

推し活、SNS、陰謀論、自己啓発。人が何かに熱狂し、意味を見いだし、共同体を作っていく現象を説明する言葉として、多くの創作で使われている。朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』や村田沙耶香作品を読んでいる人なら、このテーマには見覚えがあるだろう。

だから本を読む人ほど、「信仰」というテーマには少し身構えてしまうのではないかと思う。言葉は悪いが、かなり手あかのついた題材だからだ。

そのうえで、この本がつまらなかったのかというと、まったくそんなことはない。むしろ、この本だからこそ読める「信仰」があった。

執筆者は宗教学の専門家ではない。文章を書くことを仕事にしている人ばかりでもない。大学時代に軽音サークルで一緒だったという共通点はあるものの、今はそれぞれ違う人生を歩いている人たちだ。

そんな十人が、それぞれの「信じているもの」を持ち寄っている。

アイドルについて書く人がいる。宝くじについて考える人がいる。親子関係を信仰として捉える人もいる。素朴なエッセイもあれば、小河さんの文章のように途中から急に解像度が上がり、こちらが無意識に信じていたものまで照らされるような文章もある。

信仰という言葉への距離感も、人それぞれだ。

強い関心を持って考察する人もいれば、「自分には信仰なんてない」と思いながら書いている人もいる。その温度差が、この本では欠点ではなく、そのまま面白さになっている。十人とも違う方向を向いているのに、一冊として成立している。

商業誌なら、テーマを整理し、論点を揃え、ある程度方向性を統一するだろう。しかしこの本は、それぞれのばらつきを残したまま一冊になっている。

だからこそ、「信仰とは何か」という答えではなく、「人はこんなにも違うものを信じながら生きている」という発見がある。

これはZINE文化だからこそ生まれた面白さだと思う。そして、はっきり言って、この企画自体が一番の勝ち筋だった。

「信仰について詳しい人」を集めるのではなく、「昔の軽音サークル仲間」に信仰を書いてもらう。その発想だけで、専門知識ではなく生活の中から出てきた信仰が集まり、この本ならではの面白さになっている。

この企画を考え、そして実際に十人もの仲間を集めて一冊の本にしたナガオさんの企画力と人望には素直に感心した。

ある種のカリスマ性なのかもしれない。

実は私も、いつか仲間同士でアンソロジーを作ってみたいという願望がある。しかし私には、人望がない。声を掛けると、

「別に無理しなくて大丈夫です」
「嫌なら全然断ってください」

と、勧誘より先に断り文句を大量生産してしまう。相手が断る前に、こちらが退路を複数用意してしまうのである。一方、ナガオさんは十人を集め、一冊の本を完成させた。

宗教学では、共同体を生み出すカリスマ性もまた重要な研究対象になる。そう考えると、この本のテーマは「信仰」だったはずなのに、読み終わった頃には私が一番興味を持っていたのは、ナガオさんの勧誘術だった。もし次にお会いする機会があれば、ぜひ聞いてみたい。

「これだけの人を、どうやって誘ったんですか?」

方法を教わり、私も十人集められるようになったとき、ようやくアンソロジーを作れる。

ただ、その頃には本のテーマが「ナガオさんの教え」になっている可能性がある。


あまねこさん「不出来な僕で生きていく」

以前、『考働』という本を読んだ時、何人もの書き手がいた中で、一番印象に残ったのがあまねこさんだった。だから今回は、この本を買うことを最初から決めていた。

実際に会ったあまねこさんは、猫ではなかった。
安心した。もし本当に猫だったら、きっと、どう接したら良いのかわからなかった。

今回購入した『不出来な僕で生きていく』は、あまねこさん自身の半生を綴った自叙伝だった。『考働』で印象に残っていた理学療法士時代の話や、初めて管理職になった頃の葛藤も収録されている。

どの話も面白かったが、一番心に残ったのは、幼少期から続くいじめの話だった。

読み終えてまず思ったのは、「いじめは本当に理不尽だ」という、ごく当たり前のことだった。

子どもの頃だけではない。学校が変わり、環境が変わり、大人になっても、周囲の人間は何度も入れ替わる。それなのに、不幸だけが形を変えながら繰り返し訪れる。本を読んでいて苦しくなったのは、その連続性だった。いじめを題材にした話には、ある種の”型”がある。

「あの経験があったから今の自分がある。」
「乗り越えたから成長できた。」

もちろん、それが嘘だとは思わない。でも私は、その言葉を聞くたびに少し引っかかってしまう。だって、いじめられない人生のほうが絶対に良かったはずだから。「あの経験があって良かった」と言わなければ物語として終われないだけで、本当は、最初からそんな経験など無いほうがいいに決まっている。

そして現実のいじめは、小説やドラマほど分かりやすくない。誰が見ても悪人という人物が現れるわけでもない。理由があるようで、理由など存在しない。意味がありそうで、意味もない。

だからこそ理不尽なのだ。

さらに厄介なのは、いじめが終わったあとである。周囲が助けてくれて、その場では解決することもある。けれど、本当に終わるとは限らない。助けてもらえたという経験が、逆に「自分一人では解決できない人間なんだ」という記憶として残ってしまうことがある。

自己肯定感は静かに削られたままで、そのマイナスをゼロへ戻す作業は、とても時間がかかる。いじめという出来事は終わっても、自分の中では戦いが続いてしまう。

この本を読んでいて感じたのは、あまねこさんは、その戦いを無理に勝利で終わらせようとしていないということだった。傷を勲章にもしていないし、美談にもしていない。ただ、「それでも今日も生きている」という事実を、一つずつ積み重ねている。

その姿勢に、とても救われた。
きっと、あまねこさんは優しい人なのだと思う。

優しい人ほど、「なぜ自分だったのか」を考えてしまう。本来、いじめられる側に原因など無いはずなのに、自分の中に理由を探してしまう。その問いに答えはない。それでも考え続けてしまう。

だからこそ、この本は「乗り越えた人」のための本ではなく、今もまだ途中にいる人のための本なのだと思う。もし今も誰かに傷つけられ、自分の価値を疑っている人がいるなら、一番読んでほしいのはその人だ。

読み終えたあと、傷が消えるわけではない。
明日から急に強くもなれない。

でも、「戦っているのは自分だけじゃない」と思える。その一歩だけでも、人は少しだけ前を向けるのかもしれない。


ZINEを買い込み、会場をひと通り回ったところで、一度トイレ休憩を挟んだ。手を洗いながら鏡を見ると、妙な違和感がある。

今日の私、少し角張っていないか?

新しい服の機能を試したくて、買った本をすべてポケットへ収納していた。一冊ずつなら薄くて軽いZINEも、集まれば立派な物量になる。しかも夏物の生地は薄い。私の腹回りには本の角がくっきりと浮かび、人体というより建築物に近づいていた。

マイクラかな?

考えてみれば、これはZINEを一冊スマートに持ち運ぶための服であって、エコバッグを人体へ直接縫い付けたものではない。用法・用量を守らなかった私が悪い。

そういえば先ほど、会場を歩いていた段ボール製の、角張ったキリンの張りぼてにぶつかった。あれは事故ではなく、仲間だと思われたのかもしれない。
互いの角がもう少し深く噛み合っていたら、テトリスなら一列そろって消滅していた可能性もある。

お互い、命拾いしたな。


書きすぎて、記事一つに収まらなかった。
後編へ続く。

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