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「学生の学び」と「大人の学び」:勉強の定義を変えれば人生は変わる

日本の社会人の学習時間が極端に短いというデータを目にして、日本人は学ぶこと自体が嫌いなのだろうか、と考えている。

おそらくだが、決して学ぶこと自体を嫌っているわけではないと感じている。テストのために正解を暗記するという、学校教育のトラウマを引きずっているだけなのだ。多くの大人は「勉強=苦行」という刷り込みが強すぎるけであり、趣味などの好きなことについては、誰もが楽しんで学んでいる。

例えば、近年の「推し活」ブームを見てほしい。好きなアイドルやキャラクターのことは、何でも知りたいと思っているのではないだろうか。熱心なファンは、彼ら彼女らのことについて自発的に調べ、喜んで膨大な時間を学びに費やしているのだ。つまり、日本人は決して学ぶことが嫌いなわけではない。自分の興味や課題に直結しない、やらされるだけの退屈な勉強が嫌いなだけなのだ。これは誰にでも当てはまる当然のことだ。

では、学生の学びと大人の学びは何が違うのだろうか。根本的に異なるのは、正解があるかないか、ということだ。
大人の学びとは、数式を覚えたり、誰かに与えられた正解を記憶して間違いなく答えることではない。自らの目の前にある課題を解決するための、実践的なプロセスそのものである。

学校教育は、すでに存在する正解を、いかに早く正確に答えられるかを評価する仕組みだった。いわば、あらかじめ用意されたマニュアル通りに、ミスなく作業をこなす能力が求められていたわけだ。だからこそ、多くの人にとって勉強は「やらされる苦行」になってしまったのだろう。

しかし、社会やビジネスの世界において、最初から用意された正解など存在しない。正解のない世界で、ただ正解を暗記しようとするのは、目的地が分からないまま地図を丸暗記するようなものであり、確実に挫折することになる。

私はシステムエンジニアの仕事をしているが、私たちの仕事はマニュアル通りに作るというよりも、試行錯誤の連続だ。システム開発の基本となるマニュアルや型は存在するが、出来上がるものは毎回異なる。成果物の試験工程ひとつとっても、そのシステムに最適なものを毎回ゼロから考えて作成しなければならない。
未知の課題に直面したとき、自ら解決策を探し、新しい手法を試し、試行錯誤を繰り返しながら正解へと近づいていく。これは決して苦行ではなく、ゲームの攻略法を調べるような最高にエキサイティングな体験である。大人の学びも、これと全く同じだ。

日本人が学ぶのをやめてしまったのは、単に「勉強とはこういうものだ」という定義を間違えたまま大人になってしまったからだ。苦行としての勉強は何も生み出さない。

学生時代に刷り込まれた、やらされる勉強という古い思い込みは、直ちに捨て去るべきだ。自らの知的好奇心と、目の前の課題を解決して人生を豊かにすべきだ。

本来、学びとは自分の人生の選択肢を増やし、自由度を上げるための最強のツールである。今こそ、苦行ではない、大人の学びを始めてほしい。

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