飛騨市神岡のお城巡り。後編
飛騨神岡のお城巡り(江馬氏下館、高原諏訪城、東町城)へ行ってきました。
戦国時代の飛騨地方は、南飛驒で三木氏、北飛驒では江馬氏が支配権を握っていました。
江馬氏についてと江馬氏下館については前編をお読みください↓
江馬氏の本城で詰城、高原諏訪城については中編をお読みください↓
最後は神岡のシンボル、神岡城が建つ、東町城へ行きます。

東町城は江馬氏の館以外のお城で唯一の平山城。河岸段丘端のお城で、武田勢が飛騨に侵攻した際に山県昌景に命じられ江馬氏が築城したとされます。
その後飛騨を統治した金森氏が石垣造りに改修されたようです。

今は河岸段丘の端に神岡城天守が築かれています。神岡鉱業所創業100年を記念して建てられた模擬天守です。


中は歴史資料館になっています。
往時はこんな天守がなかっただろうけれど、天守の建っているポジションに櫓があってもおかしくないと私は思います。内堀や外堀跡はしっかり残っているし、天守からの眺望がとてもいいです。

そしてお隣は鉱山資料館。
かなり古い資料館です。

隣接する神岡城とともに建設されたもので、神岡鉱山に関する歴史資料や鉱石などを展示してありますが、50年前から展示も変わっていないそうです。スーパーカミオカンデなどの説明はないです。
※リニューアルを目指しているそうです。


そもそも、フォッサマグナに近い神岡一帯は、飛騨片麻岩という造山変成作用で硬くなった岩でできているそうです。
そこに地下からマグマ由来の花崗岩が入ってきます。この作用を貫入といいますが、それに伴って熱水が一緒に入り、片麻岩に含まれる石灰石を別物へと変えます。
こうしてできたものをスカルン鉱物というんだそうです。
そして、そのスカルン鉱物の結晶間隙にある鉱床(微量鉱物の亜鉛や金、銀なんかが硫化物として沈殿したもの)から、それらを取り出す仕組み✨
ごめんなさい。資料館に図はなかった〜
資料館内の年表を見ると、
なんと養老年間には銅が産出されていたという伝承があるようです🫢おぉ、奈良時代やん!
室町時代末期には江馬氏が金銀鉛を発掘した記録が残ります。
江馬氏の財源やったんかな☺️
その後飛騨は天領となります。
明治になり、三井財閥の手に渡ります。
殖産興業の時代。銀行システム、貿易業、資源開発‥これらを、三井、三菱、住友、などの旧財閥が一手に仕切ったんですね。
1913年には近代的精錬工場として、鉛・亜鉛の生産量で東洋一と謳われるようになります。
しかし電気分解で鉛を取り出す過程で、カドミウムが漏れ出して、公害に繋がってしまいました。
神岡と言えば今やスーパーカミオカンデ(大統一理論が予言する陽子崩壊を立証するニュートリノの検出装置)!
小柴昌俊博士がノーベル物理学賞を受賞する契機となった施設ですね。
ニュートリノはすべての人に同じように降り注いでいた。用意していたかどうかだ
好きですよ💓
そもそもなんで、カミオカンデが神岡に建設されたかというと、
(巨大水槽を建設できる空間、純度の高い水、邪魔な宇宙線が少ない自然環境)が揃っていたからだそうです。
そう、神岡には巨大な鉱山跡、廃坑があったからなんですね。
短時間でしたが、神岡の雄大な自然と歴史を自分なりに楽しめた気がして、満足して帰りました。

またきっと行きたいです。
お読みくださりありがとうございます😊
