【小野神社|矢彦神社】1つの境内に2つの国?境界線が引かれた謎
建御柱

令和5年5月上旬
諏訪大社を後にして私たちは信濃国二宮とされる小野神社・矢彦神社に向かう。
前回の諏訪大社下社秋宮の記事はこちら
神社に近づくにつれ、静かな村に似つかわしくない熱気と、遠くから響く掛け声が聞こえてきた。『何か』がある。お祭りか?
それほど広くない境内に入ると、すごい人だ。
「御柱」を建てようとしているのがわかった。
この神社に関して「信濃国二宮」という情報しかなく、一宮の諏訪大社の次はやっぱり二宮かな、という訳で目指したのだ。
ただし、地図で見ると、自治体から住所が違う「小野神社」と「矢彦神社」という二つの神社が並んでいる。
どちらかが本殿でどちらかが境内社という訳ではなさそうだ。両社とも信濃国二宮を謳っている。
これはどういう事だろう?
疑問に思いながら行ってみると、偶然にも「お祭り」に遭遇。
この日の最後を飾る神社にしては、なんか地味だなーなんて思っていたら、
最高のサプライズになった。
柱の上から、お菓子が大量に撒かれてちゃっかりゲットした。私たち2人は束の間のお祭り気分を楽しんだ。楽しかったー!
小野神社

小野神社と矢彦神社は、塩尻市と辰野町の境界にそれぞれ位置した神社で、神社の境内が文字通り隣接している。実際行ってみると、隣接というより同じ境内にそれぞれ社殿が並んでいると言っても良いくらい。
ただしれっきとした別々の神社で、宗教法人としても別々である。どちらかの神職が兼務している訳でもない。
小野神社は神職が常駐しておらず、塩尻市の別の神社である阿禮神社の神職が兼務しているらしい。
矢彦神社の神職は常駐している。
どういう経緯でこんな珍しい形態になったのか自分なりに調べてみた。
なぜ「同じ場所」に「二つの二之宮」があるのか
信濃国二之宮として知られる小野神社・矢彦神社。最大の特徴は、一つの境内に二つの神社が並び立っている点。この背景には、1,000年以上にわたる境界線をめぐる歴史があった。
大化の改新と「郡境」の発生
歴史の始まりは、大化の改新以降の律令制整備にある。この時、小野の地が「筑摩郡」と「伊那郡」の境界として定義され、一つの聖域が行政的に二分されたことが、後の対立の火種となる。
豊臣期の検地による「明確化」
戦国時代、藤沢氏などの有力者が治めていた時期を経て、豊臣秀吉による「太閤検地」が行われる。
ここで「村」の境界がより厳格に引かれ、北側を松本領(筑摩郡)、南側を飯田領(伊那郡)とする枠組みが固まった。
江戸初期の「小野論争」と天香山命
最大のトピックは、江戸時代初期に起きた「小野論争」である。
• 事象: 慶安元年から承応2年にかけて、松本藩(小野神社側)と高島藩(矢彦神社側)の間で、境界の正統性をめぐる大規模な訴訟が起きた。
• 決着: 江戸幕府の裁定により、境内に明確な境界線が引かれ、南側を「矢彦神社」として独立させることが確定。
• 祭神の固定: この論争の中で、矢彦神社は越後一宮(弥彦神社)とのつながりを強調し、天香山命を主祭神として明確に位置づけることで、小野神社との差別化と独自性を確立した。
ちなみに裁定後、矢彦神社はかつて越後を支配していた飯田藩堀家の管轄となったのも巡り合わせか。堀家は、彌彦神社と同じ神様である矢彦大明神へのより一層の権威づけにより小野神社との違いを明確にしていったと思われる。
御朱印

この日の御柱大祭の特別の御朱印。
矢彦神社

御祭神の一柱に「天香語山命」がおり、これが新潟の彌彦神社と同じ神様なのだとか。
彌彦神社と矢彦神社とはどのような関わりがあったのかは不明。たまたま後に、飯田藩堀家の管轄となるが堀家はかつて越後を納めていたため、堀家の影響もあるのかも。
奉納の酒樽

地元の酒、「夜明け前」が奉納されている。
元治元年創業で矢彦神社側の辰野町にある小野酒造店のお酒だ。
島崎藤村の小説『夜明け前』からとったネーミングとのこと。
物理的にも夜明け前が最も「暗い」とされている。
平田篤胤の復古神道に深く傾倒した名主の青山半蔵が明治維新によって西洋化を進める明治政府に理想を裏切られて、半蔵の家業も追い詰められていく。
最終的に発狂して座敷牢に閉じ込められ、その生涯を閉じる。
『夜明け前』のストーリーを踏まえると作り手の神道に対する思いや、「変わらなければいけないもの」や「変わってはいけないもの」に対する強い思い、酒造りという「日本文化」を伝えるものとしての誇りがじわじわ伝わってくる。
これは次回「飲んでみたい」酒の一つとなった。
皆さんはどうですか?

御朱印

お祭りの片付けでお忙しいなか、快く書いて頂きました。ありがとうございます。
現在に続く共存の形「小野の里」
江戸の裁定により、一つの集落に二つの藩・郡・社が同居する稀有な形が完成した。
しかし、七年に一度の「御柱祭」だけは、諏訪大社と1年ずらして、小野神社と矢彦神社は今も同じ日をメインに執り行われている。
行政が引いた境界線よりも、清少納言の昔から「憑の里」と呼ばれたこの地に生きる人々の一つの里としての絆が勝った、共生のシンボルといえるかも知れない。
基本情報
所在地
小野神社:長野県塩尻市北小野175−1
矢彦神社:長野県上伊那郡辰野町小野3267
授与時間:9時頃~ 17時頃
※最新情報は公式HPをご確認ください
参拝所用時間:30分くらい
Googleマップ
次回予告
最後までお読み頂きありがとうございました。
我々はこの日の宿に向かい、翌日に信濃国三宮の穂高神社に向かう予定です。
ここも安曇族の神社らしいが、謎が深そう。
お楽しみに。
「甲信越」の神社の記事はこちら
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