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「できない」を書き出した日から、人生は動き始めた

■五十歳に訪れた転機

五十歳になって、初めて気づいたことがある。

人生を止めていたのは、できない理由ではなかった。

「できない」と決めつけていた、自分自身だった。

そのことに気づくきっかけは、思いがけない出来事だった。

五十歳になってから、骨を折った。

帯状疱疹にもなった。

足や肩も痛めた。

仕事では、前任者が倒れたことをきっかけに突然の単身赴任が決まり、現場を立て直し、人を育て、仕事を託す役割を任された。

普通に考えれば、「大変な一年だった」と振り返る出来事ばかりだった。

以前の私なら、きっとそう考えていたと思う。

次から次へと問題が起こる。

思い通りにならないことが増える。

できないことばかりが目につく。

そんな一年だった、と。

でも、不思議だった。

大変なことが増えたはずなのに、毎日を過ごすほど人生は少しずつ面白くなっていた。

もちろん、順調だったわけではない。

仕事は止まらない。

生活も止まらない。

体には次々と新しい課題が増えていく。

そのたびに、「どうしよう」と迷う場面も何度もあった。

それでも私は、以前とは違う考え方をするようになっていた。

「なぜできないのか」

ではなく、

「どうしたらできるようになるのか」

そう考えるようになっていた。

課題が人生を止めているのではなかった。

止まっていたのは、課題の前で立ち尽くしていた自分だった。

そして、そのことに気づいたのは、「できない」を一つずつ書き出した日だった。

■仕事全振り男が、自分の人生を考え始めた朝

前任者の仕事を引き継ぎながら、一つの不安が大きくなっていった。

このままでは、仕事は託せない。

人も育たない。

前任者もまた、仕事に全力を注いできた人だった。

一方で、一緒に働くメンバーは、仕事に責任を持ちながらも、自分の生活も大切にしていた。

その姿を見て気づいた。

今の仕事の仕組みは、生活と仕事の両立を前提にしていない。

猛烈に働ける人が支え続けることで成り立っている。

それでは長く続かない。

仕事を託すためには、自分自身が変わらなければならなかった。

仕事も大事にする。

でも、自分の人生も大事にする。

その二つを両立できる働き方を、自分でつくろう。

そう決めた。

ただ、その頃の私は、「自分の人生を大切にする」と言われても、何をすればいいのか分からなかった。

そこで、五年後の自分を書き出してみることにした。

「五年後、どんな人生を送りたいだろう。」

ノートに書いたのは、仕事の目標ではなかった。

お金に振り回されない生き方。

好きな時に好きな場所へ行けること。

人生を一緒に楽しめる人とのつながり。

健康な体。

今振り返っても、なぜこの四つだったのかはうまく説明できない。

ただ、その頃の私は、心のどこかでそんな人生を望んでいたのだと思う。

東京で暮らしていた頃、朝は会社へ向かうための時間だった。

その日の仕事を整理し、判断を決め、満員電車へ乗る。

朝とは、会社のために使う時間だと思っていた。

鹿児島へ来て、初めて気づいた。

朝は、自分の人生のためにも使える時間だった。

「この朝を、自分の人生のために使ってみよう。」

そう考えた。

五時台は、学ぶ時間。

お金や時間の自由につながる知識を集めて行動した。

六時台は身支度を整える。

七時台は体を整える時間にした。

完璧にやろうとは思わなかった。

五時ちょうどに起きられない日もある。

予定どおりに進まない日もある。

それでも、「続けられる形」だけは崩さないようにした。

朝の時間は、少しずつ自分の人生を決める時間へ変わっていった。

その変化を一番実感したのは、プールへ通い始めて二か月ほど経った頃だった。

肩こりが消えていた。

朝の体が驚くほど軽かった。

体が軽くなると、不思議なことに頭まで軽くなった。

以前のように、仕事や責任や情報を抱え込まなくなっていた。

人生が変わったというより、自分の状態が変わった。
朝の時間は、もう会社のものではなく、自分の人生のものになっていた。

その変化が、この後のすべてにつながっていくことを、この時の私はまだ知らなかった。

■体が変わると、心も動き始めた

朝の時間は、少しずつ運動の時間へ変わっていった。

最初は、軽く体を動かすだけだった。

それがやがて、プールで泳ぐ時間になった。

十分間、水の中で体を動かす。

ただそれだけだった。

でも、その時間が少しずつ楽しくなっていった。

一か月ほど経つ頃には、十分間を止まらずに泳げるようになっていた。

さらに二か月が過ぎると、スピードを落とさず泳ぎ続けられるようになっていた。

できなかったことが、少しずつできるようになる。

その感覚が、ただ嬉しかった。

体力がついたこと以上に、「昨日より前へ進めている」という実感が、自信になっていた。

すると、自然と思うようになった。

「この体で、もう少し何かに挑戦できないだろうか。」

その問いが、止まっていた時間を再び動かし始めた。

■「できない」を分解してみた

社会人になった頃、一度だけトライアスロンに憧れたことがあった。

会社員が挑戦する様子を書いた一冊の本を読んだ。

「いつか自分もやってみたい。」

そう思った。

でも、その「いつか」は、二十五年間、「いつかやってみたい」のままだった。

理由はいくらでも思いついた。

お金がかかりそう。

大会は前日入りで、一日がかりになる。

仕事も忙しい。

足の状態も万全ではない。

そう考えているうちに、「今は無理だ」と結論だけを出していた。

今回は違った。

「できない理由」を探すのではなく、「どうすればできるか」を考えてみることにした。

まず、何が必要なのかを書き出してみる。

インターネットで、トライアスロンに挑戦した人たちの体験談を読む。

必要な道具を一つずつ書き出す。

ロードバイク。

ヘルメット。

ウェットスーツ。

大会参加費。

宿泊費。

数字が分かるものは、全部数字にしていった。

すると、不思議なことが起きた。

漠然としていた不安が、一つずつ具体的な課題に変わっていった。

確かにロードバイクにはまとまったお金が必要だった。

でも、ジムには通っている。

ランニングシューズもある。

すべてを一度に揃える必要はなかった。

五年間続けると考えれば、大会参加費を除いて毎月一万円ほど積み立てれば届きそうだった。

単身赴任の生活費を少し工夫すれば、現実的な数字だった。

仕事も同じだった。

以前の自分なら、「大会は前日入りだから休めない」と考えて終わっていた。

仕事を休む理由は、病気か会社の都合だけ。

そんな感覚だった。

でも今は違う。

仕事を大事にしながら、自分も大事にすると決めていた。

必要なら休みを調整すればいい。

それは以前の自分にはなかった発想だった。

気づけば、「できない理由」はほとんど消えていた。

いや、本当は最初から存在していなかったのかもしれない。

理由だと思っていたものは、調べてもいない、考えてもいない、不安のかたまりだった。

書き出したことで、それは「解決できる課題」に変わっていった。

そして気づいた。

「できない」は、一つではない。

分解すると、「今できること」と「まだできないこと」に分かれる。

「今できること」は、すぐに始めればいい。

「まだできないこと」は、人に聞いたり、調べたり、練習したりすればいい。

そう考えると、不安は少しずつ小さくなっていった。

課題になれば、人は前へ進める。

このとき私は、これから何度も人生を支えてくれる、自分なりの考え方を見つけていた。

■練習方法という壁

お金も時間も整理できた。

「あとは練習するだけ。」

私はそう思っていた。

新しい課題が見つかることを、このときの私はまだ楽しみにしていた。

ところが、その課題は思っていたより早く見つかった。

まず、海だった。

私はプールでは泳げるようになってきていた。

毎朝泳ぎ続けたことで、距離も少しずつ伸びていた。

でも、トライアスロンは海を泳ぐ競技だ。

波がある。

流れがある。

方向を確認しながら泳ぐ。

ウェットスーツを着ると泳ぎ方も変わる。

インターネットで調べれば、そのくらいの知識は見つかる。

でも、それを普段のプールでどう練習すればいいのかは分からなかった。

自転車も同じだった。

普段から自転車には乗っている。

だから問題ないと思っていた。

でも、それは移動するための自転車だった。

ある日、水泳の練習が終わったあと、そのままクロスバイクを全力で漕いでみた。

脚に力が入らない。

泳いだあとに自転車へ乗るだけで、体の感覚がまるで違った。

ランニングにも課題があった。

以前痛めた右膝がある。

距離を伸ばしたくても、無理はできない。

それぞれ単独では経験があっても、三つをつなげると全く別の競技だった。

ゴールまでの進み方が想像できない。

何を、どんな順番で練習すればいいのか。

どれくらいできれば大会に出られるのか。

分からないことばかりだった。

調べれば分かることには限界があった。

ここから先は、経験した人にしか分からない世界だった。

でも、不思議と焦りはなかった。

また新しい課題が見つかった。

そう思うと、少し嬉しかった。

課題が見つかったなら、次は答えを探せばいい。

答えは、経験した人たちの中にある気がした。

そう感じた私は、経験者を探し始めた。

■答えは、人に聞くことだった

インターネットで調べても、答えは見つからなかった。

だったら、知っている人に聞けばいい。

単身赴任先には知り合いもいない。

それでも、まずは今できることを書き出してみた。

・トライアスロンのブログを書いている人に質問してみる。

・プールのコーチに聞いてみる。

・大会情報を調べる。

・練習仲間を募集している人がいないか探してみる。

書き出してみると、「今すぐできること」が意外とたくさんあった。

まず動いた。

ジムのコーチへ相談した。

そしてトライアスロン協会のホームページを見つけ、問い合わせフォームから質問を送った。

返事を待つ間も、プールでは教えてもらったドリルトレーニングを続けた。

止まっている時間はなかった。

ジムのコーチは海を泳いだ経験はなかった。

それでも、長く泳ぎ続けるための考え方やドリルトレーニングを丁寧に教えてくれた。

それだけでも、一歩前へ進んだ気がした。

数日後、協会から返信が届いた。

「練習方法について直接お答えすることは難しいですが、市内に活動しているトライアスロンチームがあります。ご紹介しましょうか。」

思わず、

「ぜひお願いします。」

と返信した。

紹介されたチームは、毎週木曜日の夜に練習しているという。

場所を見て驚いた。

会社のすぐ近くだった。

毎日歩いている道だった。

こんな近くに、自分の知らない世界があった。

木曜日。

私は会社のメンバーへ伝えた。

「今日は大事な用事があるので、定時で帰ります。」

以前の自分なら言えなかった。

仕事を優先することが当たり前だった。

でも今は違う。

仕事も大切にする。

自分の人生も大切にする。

そう決めていた。

練習場所へ着くと、何人ものランナーが走っていた。

市民ランナーも多い場所なので、誰がチームのメンバーなのか分からない。

五分ほど歩道を行ったり来たりしていると、一人の男性が走りながら笑顔で声を掛けてくれた。

「今日、体験に来られる方ですよね?」

その人が、後にチームのリーダーになる人だった。

「今日はフリーランの日なんです。コーチにも連絡してありますから、少し待っていてください。」

コーチを待つ間、私は単身赴任をきっかけにトライアスロンへ挑戦したいと思ったこと。

そして、県内の島で開かれる大会へ五年後くらいに出られたらと思っていることを話した。

するとリーダーは笑って言った。

「五年もかからないですよ。」

「一年くらいで出られます。」

思わず笑ってしまった。

私の頭の中では五年計画だった。

それを初対面の人は、一年と言う。

コーチは自転車練習について教えてくれた。

「体の使い方は人それぞれです。

だから練習方法も、アドバイスも、一人ひとり違います。

一緒に練習していけば、少しずつ分かってきますよ。」

その言葉を聞いた瞬間、このチームで学びたいと思った。

その日のうちに加入を決めた。

帰り道、不思議な感覚になった。

トライアスロンのことは、何一つ解決していない。

速く泳げるようになったわけでもない。

ロードバイクに乗れるようになったわけでもない。

それでも、大きく前へ進んだ気がしていた。

答えが見つかったからではない。

答えを知っている人と出会えたからだった。

五年先だと思っていた目標は、一年半後の大会へ変わった。

普通なら、不安になるのかもしれない。

でも私は違った。

「どうやったらできるだろう。」

そう考えている自分がいた。

また、新しい課題が目の前に現れた。

そして、その課題を少し楽しみにしている自分もいた。

■1年半後に出場できない理由はなかった

「一年くらいで出られますよ。」

リーダーのその一言は、何日経っても頭から離れなかった。

五年後だと思っていた目標が、一気に現実味を帯びた。

目標としていた大会は、五年後から一年半後へ変わった。

最初に浮かんだのは、

「本当に出られるんだろうか。」

という不安だった。

でも、その不安はすぐに別の問いへ変わっていった。

「どうやったら出られるだろう。」

翌日から、大会の結果を調べ始めた。

前回大会の記録はすぐに見つかった。

参加者のうち二割強が途中棄権している。

制限時間は八時間。

完走者の記録を見ながら、自分ならどうだろうと考えた。

スイム。

バイク。

ラン。

全部を一度にやるのではなく、一つずつなら。

休憩も入れながらなら。

頭の中で何度も組み立ててみる。

すると、不思議な感覚が生まれた。

「できるかもしれない。」

単身赴任が始まってから毎朝続けてきた水泳も、自信になっていた。

以前の私なら、

「長い距離なんて無理だ。」

そう考えて終わっていた。

でも今は違う。

毎日少しずつ積み重ねれば、体は変わることを知っていた。

出場することは、きっとできる。

でも、出るだけでは終わりたくなかった。

せっかく挑戦するなら、自分が納得できる形でスタートラインに立ちたい。

そこで、またノートを開いた。

今できていること。

まだできていないこと。

思いつく限り書き出していく。

毎朝運動する習慣。

泳ぎ続ける体力。

仕事と自分の時間を両立する生活。

以前なら何もないと思っていた場所に、積み重ねてきたものが見えてきた。

次に、「できていないこと」を二つに分けた。

毎日の積み重ねで解決できるもの。

一人では解決できそうにないもの。

後者には丸を付けた。

次の練習会で聞こう。

ショップでも聞いてみよう。

経験者なら知っているかもしれない。

課題を書き出すたびに、不安は小さくなっていった。

「できるか。」

ではなく、

「どうやったらできるか。」

そう考えるようになっていた。

何をすればいいかが分かると、人は前へ進める。

私はまた、新しい課題を持って練習会へ向かった。

■課題を見つけるたびに強くなる

練習会では、思いつくことを片っ端から質問した。

五年かけて準備するつもりだった計画は、一年半へ変わった。

だから最初に確認した。

本当に必要なものは何なのか。

すると、意外な答えが返ってきた。

私が目標にしていた大会は、ウェットスーツがなくても参加できるという。

ネットでは「必須」と書かれていた装備も、大会やレベルによって考え方は違った。

サイクルジャージも同じだった。

トライスーツまで必要だと思っていた私に、

「まずはサイクルジャージ一枚あれば十分ですよ。」

と教えてくれた。

最後まで確認もしないで、「できない理由」にしてはいけない。

そう思った。

大会より先に、練習がある。

その順番で考えればいい。

経験者に聞くたびに、課題は一つずつ整理されていった。

ランニングでは、十年間付き合ってきた右膝痛が最大の課題だった。

最初の三か月は、みんなについて行こうとして無理をし、一週間走れなくなる。

その繰り返しだった。

ある日、コーチが言った。

「フォームを変えてみましょう。」

速い選手を観察する。

足音を聞く。

腕の振りを真似する。

翌朝、一人で試す。

それを繰り返した。

二か月後。

初めて十キロを最後まで走れた。

右膝は痛まなかった。

フォーム一つで、こんなにも世界が変わるのかと思った。

ロードバイクも同じだった。

中古を探そうと思い、自転車屋へ相談すると、

「紹介したい店があります。」

その場で電話をかけてくれた。

紹介された店では二台のロードバイクを勧められた。

予算内の中古。

予算を超える新品。

二週間悩み、結局、店主が勧めた一台を選んだ。

あとから知った。

その店には高校のトップ選手や、年代別で活躍するトライアスリートが集まっていた。

毎週顔を出すだけで、新しいことを学べる。

自転車だけではなく、この環境そのものに価値があった。

初めて坂道を登った日は、途中で止まった。

翌日はギアチェンジだけをテーマに走った。

チェーンも外した。

禁止されている変速も全部試した。

でも、その日で「やってはいけないこと」は全部覚えた。

失敗すると、人は早く覚える。

少しずつ課題が減るたびに、新しい課題が現れた。

それが面白かった。

ロードバイクにも慣れ始めた頃だった。

その日は雨だった。

ランニング練習を終え、自転車で帰っていた。

「マンホールは滑るから気を付けて。」

さっきまで、そんな話をしていた。

次の瞬間だった。

前輪が滑り、私は自転車と一緒に道路へ投げ出された。

立ち上がることはできた。

歩くこともできた。

チェーンの外れた自転車を押しながら、自転車屋まで約一・五キロ、二十分ほど歩いた。

ところが、自転車を預けて店を出ようとした瞬間、左脚が急に言うことを聞かなくなった。

一歩も踏み出せない。

その場で、救急車を呼んだ。

■診断結果が出るまでの長い時間

119番に電話をかけた。

「こんなことで救急車を呼んでいいんでしょうか。」

恐る恐る状況を説明すると、電話口の方は落ち着いた声で答えてくれた。

「まずは救急隊が向かいます。そこで状況を確認しますので安心してください。」

数分後、救急隊員が到着した。

立ち上がろうとした。

左足に力が入らない。

「これは歩けませんね。」

そう言われ、救急車に乗ることになった。

搬送先には、一か月半前に運ばれた病院をお願いした。

自宅で包丁で指を切り、出血が止まらず気を失った時に搬送された病院だった。

カルテも残っているはずだ。

救急車の中では、自転車事故だったため警察から状況確認を受け、病院との受け入れ調整も進んでいた。

そんな慌ただしい車内だったが、頭の中は別のことでいっぱいだった。

今日は海練習の日だった。

翌週の大会へ向けて泳ぎを見てほしいと言われていた。

「直接は行けない。」

そう思った瞬間、先週送ってもらった動画を思い出した。

何か一つでも伝えられることはないだろうか。

そんなことを考えていた。

病院に到着すると、見覚えのある看護師さんが迎えてくれた。

前回対応してくださった方だった。

思わず笑ってしまう。

「また来ちゃいました。もう来ないつもりだったのに。」

看護師さんも笑ってくれた。

その一言だけで、少し緊張が和らいだ。

救急病棟では次々と処置が進んでいく。

転倒した勢いで左膝と左肘を大きく擦りむき、傷には砂や泥が入り込んでいた。

「まずは傷の処置かな。」

そう思っていた。

ところが最初に案内されたのはレントゲン室だった。

続いてCT。

「そっちが先なんだ。」

心の中で思わず突っ込んだ。

テレビで見た救急病棟そのままだった。

検査が終わり、ようやく傷口の処置が始まった。

傷はヒリヒリ痛む。

それでも一番気になっていたのは別のことだった。

「これ、一週間くらいで泳げますか。」

処置をしていたスタッフの手が、一瞬止まった気がした。

少し間があって、

「その前に先生のお話を聞きましょう。」

そう返ってきた。

「もしかして傷より、膝の方が時間かかります?」

「先生から説明がありますので。」

その返事で、何となく嫌な予感はした。

しばらくして医師がレントゲン写真を持ってきた。

「左膝の骨が折れています。」

「このまま緊急入院になります。」

でも次の瞬間には、別のことを考えていた。

自転車屋さんに電話しなくちゃ。

仕事の調整もしないと。

冷蔵庫には食材が残っている。

充電器も持ってきていない。

洗濯もしないまま家を空けられない。

やることが次々と頭に浮かんできた。

「一度、自宅へ帰れませんか。」

医師にお願いすると、状態を確認した上で、

保護具と松葉杖を貸し出すので、その日のうちに戻ることを条件に外出を許可してくれた。

入院期間は最低でも二週間。

朝は、いつもどおり練習へ向かうつもりで家を出た。

リュックの中には、ペットボトル二本とスマートフォン、財布だけ。

その朝が、そのまま入院生活の始まりになるとは思ってもいなかった。

■また新しい課題が増えた

一時帰宅を許された私は、松葉杖で自宅へ戻った。

洗濯を回し、靴を洗い、冷蔵庫の食材を片付ける。

会社へ連絡し、最低限の引き継ぎを済ませる。

タクシーの中で整理した順番どおり、一つずつ終わらせて病院へ戻った。

慌ただしかった。

それでも落ち込む暇はなかった。

目の前の課題を、一つずつ片付けるだけだった。

病棟では、左膝に固定用の保護具が付けられた。

「外せるのはシャワーの時など限られた場面だけです。」

その説明を聞きながら考えた。

保護具があれば自分で動ける。

外す場面だけ看護師さんにお願いすればいい。

何ができて、何ができないのか。

制約が整理できると、不思議と安心した。

翌日、担当の理学療法士さんが言った。

「これは骨折というより、むくみの痛みですね。」

「痛みが出ない範囲なら、どんどん動かしてください。」

その一言で考え方が変わった。

足首を動かす。

指を動かす。

できる運動を少しずつ増やす。

教わるたびに、自分の自主トレへ取り入れていった。

十分で始めた運動は、気づけば三十分続けられるようになっていた。

手術も決まった。

骨を治すことは、自分にはできない。

そこは医師に任せるしかない。

一方で、体を動かすことは自分にしかできない。

痛みの種類を理学療法士さんに聞き、運動を調整する。

筋肉を落としたくないと相談すると、管理栄養士さんが食事を見直してくれた。

病院でも、「できない」で終わることはなかった。

専門家に相談し、自分にできることを積み重ねる。

やっていることは、トライアスロンを始めた時と何も変わらなかった。

課題を見つける。

できることを書き出す。

人に聞く。

試してみる。

また課題が見つかる。

その繰り返しだった。

骨折しても、考え方は変わらなかった。

「できない」を書き出し、「今できること」を探す。

半年前から続けてきたことを、病院でも繰り返していただけだった。

骨折しても、人生は止まらなかった。

ただ、新しい課題が増えただけだった。

■課題は人生を止めない

入院してからも、やることはたくさんあった。

会社への連絡。

仕事の引き継ぎ。

手術の準備。

リハビリ。

退院後の生活準備。

一つ終わるたびに、また次の課題が見つかる。

不思議だった。

以前なら、「また問題が増えた」と思っていたはずなのに、今はそう思わない。

「まず何から決めよう。」

自然とそう考えていた。

分からないことは聞く。

できることはやる。

できないことは、できる形に分解する。

その繰り返しだった。

理学療法士から、

「その痛みは骨折ではなく、むくみですね。」

と言われた時も、

「ということは、ここは動かしていいんですね。」

そう聞き返していた。

制約だと思っていたものが、一つ外れた。

それだけで、できることが増えた。

看護師から、

「保護具の着け外しだけは呼んでください。」

と説明された時も、

「つまり、それ以外は自分でできる。」

そう整理していた。

課題は、できないことを教えてくれるものではない。

できることの境界線を教えてくれるものだった。

振り返ると、この半年間はずっと同じことを繰り返していた。

朝の時間をつくる。

泳いでみる。

トライアスロンを知る。

人に会う。

練習する。

転ぶ。

骨を折る。

課題が見つかる。

また人に聞く。

またできることが増える。

課題がなくなったから人生が面白くなったわけではない。

課題があるたびに、新しい人に出会った。

新しい世界を知った。

そして、そのたびに少しずつ自分が変わっていった。

私は課題が好きなわけではない。

面倒だし、できれば避けたい。

それでも課題が現れるたびに、

「どうしたらできるだろう。」

そう考えてきた。

朝もそうだった。

トライアスロンもそうだった。

骨折もそうだった。

人生は、課題で変わるのではない。

課題に向き合い、自分で次の一歩を決めた時に変わっていく。

だから今も思う。

頑張らなくていい。

まずは、「できない」を書き出してみる。

昨日より一歩だけ前へ進む。

その先には、昨日まで知らなかった景色が待っている。




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