コラム#025|止まった1か月は、人生を止めた時間ではなかった
6月30日に手術をした。
そこから1か月。
ロードバイクに乗ることも、走ることもできなくなった。
朝のスイムにも行けない。
それまで当たり前だったことが、いくつもできなくなった。
最初は、「練習ができない1か月」という感覚が強かった。
でも、振り返ってみると、実際に止まっていたのは一部だった。
身体は大きく変わった。
足に力を入れられないところから始まり、松葉杖を使い、少しずつ荷重を増やした。
1/3荷重。
1/2荷重。
2/3荷重。
そして全荷重。
歩行器で歩ける距離が伸び、7月30日には歩行器を完全に卒業した。
まだ普通に歩けるわけではない。
疲れると膝が曲がる。
左脚をつくと身体が大きくぶれる。
最初の数歩は歩けても、その後はフォームが崩れる。
それでも、1か月前にはできなかったことが、いくつもできるようになった。
身体の見方も変わった。
痛い場所だけを見ても、原因が分からないことがある。
膝が痛くても、股関節や骨盤、体幹の状態を見る。
足を鍛えればいいと思っていたら、使いすぎている筋肉があった。
「もっとやる」ことよりも、「今は何をしないか」を考えることも必要だった。
これはトレーニングをしていた頃から、休養の大切さは分かっていたつもりだった。
でも、自分で身体を自由に動かせない状況になって、休むことと動かすことを、以前より細かく見るようになった。
数字との付き合い方も変わった。
HRV、Body Battery、睡眠、疲労感、体重。
感覚だけで「今日は調子が悪い」と決めるのではなく、いくつかの数字を並べて考えるようになった。
体重が63kg台まで落ちたときも、数字だけを見て慌てるのではなく、活動量や筋肉の状態を考え、管理栄養士さんに相談した。
食事量を何度か調整してもらった。
身体を戻すために、食べることもリハビリの一部だった。
そして、人との関わり方も変わった。
病棟では、自分より年上の患者さんたちと話した。
話がうまくつながらないこともある。
言葉が聞き取りにくいこともある。
反応が返ってくるまで時間がかかることもある。
以前なら「話が通じない」と判断していたかもしれない。
でも、自分自身が「できない側」になってみると、すぐに判断することが少し怖くなった。
できないように見えても、その人の中では何かが進んでいるかもしれない。
待つこと。
相手に合わせること。
見えている結果だけで判断しないこと。
これは、人を育てることにもつながっている気がする。
この1か月、トライアスロンの練習という意味では、ほとんど前に進んでいない。
でも、自分の身体について知ったことは増えた。
回復について考えるようになった。
人を見る視点も変わった。
そして、これから身体を戻していくための材料も増えた。
だから、あの1か月を「止まっていた」とだけ表現するのは、少し違う気がしている。
動けなかった時間にも、別の形の前進があった。
ロードバイクに乗れる日は、まだ先。
泳げる日も、走れる日も先にある。
それでも今は、焦らずに戻していけばいいと思える。
止まった1か月は、人生を止めた時間ではなかった。
むしろ、これからどう進むのかを考え直す時間になっていた。
