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ル・アーヴルとパリ 『モネと時間旅行』における「場」の問題


『モネと時間旅行』  
 9月18日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、
Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国公開  
 © STUDIOCANAL - COLOURS OF TIME - CE QUI ME MEUT - Emmanuelle Jacobson-Roques  
配給:セテラ・インターナショナル  
画像提供:セテラ・インターナショナル

今年は印象派の巨匠、クロード・モネ(1840-1926)の没後100年の記念の年。同年生まれのルドンの没後110年でもあるので、モネとルドンと題された、一見無理やり繋げたかのように誤解されてしまう展覧会も開催されているが、こちらについては、アートテラーのとに〜さんのポッドキャストと、開催館のHPをご参照いただきたい。

2026年(モネ没後100年)と1895年

国内ではアーティゾン美術館が、「モネ展 風景への問いかけ」(2026年2月7日〜5月24日)を開催した。箱根のポーラ美術館も、「あたらしい目ーモネと21世紀のアート」(2026年6月17日〜2027年4月7日)を開催しているし、順番が後先となるが、晩年の睡蓮を多数所蔵するアサヒグルーブ大山崎山荘美術館においても、所蔵作品による「開館30周年記念・没後100年記念クロード・モネ展」が、一年間というロングランで開催されている(2026年3月20日〜2027年4月11日)。
このモネの没後100年に合わせて、『モネと時間旅行』という映画が我が国で今年2026年の9月18日から公開される。ついては映画のパンフにエセーを寄せて欲しい、という依頼があったのは、確かまだ夏の暑い盛りの日のことである。お断りをするつもりでコールバックをした。ご担当は、さぞかし困惑なしたことであろう。だが切羽詰まったご様子で、すぐにプレス資料を送るので、というので、移動の隙間で読むことにした。送られてきたのは、大部の日本語の資料だったが、併せて仏語のプレス資料もお送りいただいた。また、このような副業を受ける場合の常として参考に、これまで公開歴のある映画を、いくつか挙げてもらったところ「ターナー」のタイトル。ふむ。

「ナショナル・ギャラリー」も扱っていた、という一言は大きかった。

資料に目を通す。この段階で、極めて刺激的な体験をさせていただいた。監督の時代設定が、現代とともに、(フランスでの公開から見ると)130年前の、1895年に焦点を当てていたのである。この設定の時点でモネは56歳。すでに後半生を過ごすジヴェルニーに転居していた。当時「連作」を描いていたモネは、画家として最も油の乗っていた。だがこの1895年に、第一回の印象派展以来、ともに印象派の中核を占めた画家のベルト・モリゾ(1841-1895)が鬼籍に入っている。前年の1894年には、2回の印象派展以降の出品者であり、印象派展の経済的な支援者でもあったギュスターヴ・カイユボットも世を去っている。1895年は、モネにとって、来し方行く末に思いを馳せる年であった。モネは生涯の集大成となる作品を描くことを意図して、いくつかかつての制作地を再訪したという。その一環としてモネは、1890年代の後半に、たびたびノルマンディー地方を訪れている。

https://mimt.jp/wp-content/uploads/2026/05/noticecomplete-Monet-and-Redon.pdf

2026年9月23日までの限定掲載

プレス資料の一部に目を通しただけでも、クラピッシュ監督の意図するところは明快かつ簡潔だが、プロットは巧妙かつ複雑だった。すぐに移動中に、原稿を書き始めた。この時点ではまだ、依頼元のセテラ・インターナショナルにはエセーを寄稿すると答えていない。だが目的の駅に着く頃には、すでに示されていた3000文字分を書き切っていた。これはまずい。
今振り返ってみると、プレス・リリースもパンフレットの解説も、いずれも移動中に出来上がっていた。モネと時空間の旅行を楽しむという、望外の栄誉に浴していたことになる。

セドリック・クラピッシュ監督が描くパリ今昔

『モネと時間旅行』の作中で、主人公のアデル・ムニエ(1873年生まれ)(スザンヌ・ランドン)は、セーヌ川を遡上する船に乗って、パリを目指す。ちょうどモネの1890年台後半の制作旅行とは、逆ベクトルである。そしてノルマンディーからパリへというアデルの旅路は、かつてモネが画家を志して、5歳頃から住んでいた故郷のル・アーヴルを発ち、パリへと向かったルートである。
映画では、現代の主人公たるセブ(アブラム・ヴァプレ)が、アデルの遺産として残された家を目指して、相続人の代表である遠い親戚三人ギィ(ヴァンサン・マケーニュ)、セリーヌ(ジュリア・ピアトン)、アブデル(ジュヌディーヌ・ヌアレム)とともに、逆行する(公開までの間は、配給元のセテラ・インターナショナル「9.18公開『モネと時間旅行』予告編」として、サイト(https://monetojikan.comにYouTube画面が固定されている映像を参照されたい)。
さらに筆者にとってツボだったのは、赤の他人同然であった血のつながった四人が降り立つのが、サン=ラザール駅であったことである。1837年に開業したこの駅は、印象派の画家モネにとって、特別な場所である。ノルマンディーへのグラン・リーニュ(Grandes Lignes : 幹線)が発着するこの駅は1837年に開業する。モネは1877年にこの駅で一連の作品を描いているのである。駅の構内やノルマンディー線の列車が発着するこの駅を描いた作品群は、「連作」の先駆けとされてきた。この「サン=ラザール駅」のシリーズを描いた場所でもある。

Monet, Arrival of the Normandy Train, Gare Saint-Lazare, 1877, AIC.

モネは裕福になると、当時住んでいたジヴェルニーからパリへの移動には鉄道を使い、サン=ラザール駅を使っていた。だが画家としての成功を手にする以前のモネの交通手段は、船だったのではないだろうか。少なくとも書簡で、モネがパリからノルマンディーまでの船旅を楽しんだことが記録されている。記録者は、1860年代のモネの親友でありながら、印象派展に出品することなく、普仏戦争で従軍して亡くなったフレデリック・バジール(1841-1870)であり、南仏の実家に、モネと船旅を楽しんだことを伝えている。

クラピッシュ監督は、モネの船旅を知っていて、アデルが船でセーヌを遡上する光景を描いたのだろうか。ル・アーヴル出身でアデルと同じ船に乗っていた画家の卵アナトール(ポール・キルシェ)は、ひげを蓄え、若き日に「伊達男」というニックネームをつけられたモネを彷彿とさせる。

シャルル・リュイリエ 《軍服を姿のクロード・モネ》1861年 パリ、マルモッタン=モネ美術館

アナトールの友人で写真で身を立てようとするルシアン(ヴァシリ・シュネデール)の方は、今時、絵を描こうとする奴の気が知れない、写真ならばあっという間に鮮明な画像が得られるのに、という趣旨の言葉を発する。後のシーンでは、アデルが写真の鮮明さに息を呑むことになる。パリの屋根を俯瞰したこの一枚の写真もまた、ツボであった。

屋根裏部屋のアーティストの卵
左:アナトール 右:ルシアン
画像提供:セテラ・インターナショナル

モネの時代の船旅と、二つの時を行き来する映像

プレスの資料には、船旅についてのクラピッシュ監督の発言は記録されていない。だがこの映画作りだけでなく、写真や絵画を含むヴィシュアル・アーツ全般に通じた監督は、過去の1895年(幻覚作用で1874年、さらには回想で1872年)と現代という時間移動だけでなく、空間の移動も巧みに映画に盛り込んでいる。
クラピッシュ監督の細やかな、四次元にまたがる時空間のプロットの作り込み、19世紀の主人公であるアデルのパリ到着のシーンで、その鮮やかな切り口を見せる。
セーヌ川をル・アーヴルから遡上し、上陸たアデルは、河岸の階段をあがる。次のシーンでは、アデルの姿が消えたばかりの同じ階段の上から、イエローのパーカーに水色のジョギパンのランナーが駆け降りてくるのだが、その瞬間に、時間が過去へと急激に巻き戻される。
現代のシャープでブリリアントな映像が、少し濁りのある色調のアンニュイな19世紀末のベル・エポックの色彩に取って代わる瞬間である(公開までの間は、配給元のセテラ・インターナショナルがYouTubeにアップした『モネと時間旅行』本編映像〈時を超える風景〉(https://www.youtube.com/watch?v=21rvxMO45MIを参照されたい)。
『モネと時間旅行』で交互に現れる1895年と現代の情景。19世紀のベルエポックのシーンの映像では、撮影監督のアレクシ・ガルヴィシーヌが、初期のカラー写真であるオートクロームの質感を目指し、デジタル処理で再現したという(『モネと時間旅行』公式X 推しドコロ③ )。つまりこの映画の中の1895年の情景は、最新の技術によって、現代のカメラで撮影した映像に、当時の雰囲気を纏わせたということになる。

パリの街角を急ぐアデル
画像提供:セテラ・インターナショナル

『モネと時間旅行』が過去として設定する1895年は、リュミエール兄弟による映画が初めて公開された年である。当時はまだ映画は白黒の無声映画であった。後に映画は、三枚のスクリーンを連ねた「三連画面(トリプル・エクラン)」のシステムによって、かつて誰も目にしたことのない映像表現に達するのは、1927年のことである。トリプル・エクラン(本映画のプレスリリースとパンフレットではトリプル・スクリーン)については、本映画のパンフレットに寄せた拙文をご参照いただきたいのだが、筆者が依頼を受ける半年近く前に用意されていたプレス資料を一瞥した時点で、この映画史と映像史に対する明敏な感覚を備えた映画について、劇場公開のためのエセーを寄せることは、本業が忙しいからというエクスキューズを発する逃げは完全に封じ込められた。本業だけでなく『決定版 印象派作品集』の最終校正段階であったが、筆者にとっては、マストの状態となっていた。

クラピッシュ監督について

すでに30年も前に、各種媒体で『ダンサー イン Paris』(2022)の監督として紹介されているセドリック・クラピッシュ監督の作品を見たことがあった。大変申し訳ないことに、監督の名前は失念していたのだが、筆者にとっては『猫が行方不明』(1996)と強く結びついている。『猫が…』の主人公のクロエの愛猫は、全身真っ黒だが、グリグリ、つまり灰色を示す「グリ(gris)」を、2回重ねたその名前が、強く脳裏に刻まれている。そしてこの映画でもまた、ルシアンの写真のようにパリの屋根の上が、重要なシーンの舞台となる。

30年越しに見たクラピッシュ監督の映画は、筆者の眠っていた映画への情熱を、呼び起こしてくれたようである。初めて本作を見る前から、すでに3000文字に達してた原稿は、一通り映画を見たところで、5000文字を超えていた。この後、映画のシーンに言及しようと試みたところで、7000文字を超えて、いったん打ち止めとした。セテラ・インターナショナルの担当者は、あれほどまでに抵抗を示していたにもかかわらず、予定の倍を超える原稿の量に、辟易としたことであろうが、最終的に受け入れてくださった。削除の提案のあった部分を削り込み、6000文字程度に削り込んだところで、提出となった。

『猫が行方不明』の原題は「みんなが自分の猫を探している」(Chacun cherche son chat)というような意味である。『モネと世界旅行』の原題は、La venue d’avenir。未来から来たりしものとともにしばらくは、自分の猫を探しに行くことにしよう。

ル・アーヴルのアンドレ・マルロー美術館
アデルの旧居から持ち出された「印象派風」の作品を前にする現代の遺産相続人の代表四人
画像提供:セテラ・インターナショナル

『モネと時間旅行』
9月18日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国公開
 
© STUDIOCANAL - COLOURS OF TIME - CE QUI ME MEUT - Emmanuelle Jacobson-Roques

配給:セテラ・インターナショナル

■作品クレジット
モネ没後100年
監督・脚本:セドリック・クラピッシュ 『ダンサー イン Paris』
出演:スザンヌ・ランドン『スザンヌ、16 歳』、アブラム・ヴァプレ、ヴァンサン・マケーニュ『画家ボナール ピエールとマルト』、ジュリア・ピアトン『最高の花婿』、ジヌディーヌ・スアレム『パリのどこかで、あなたと』、ポール・キルシェ『Winter boy』、サラ・ジロドー『ベルナデット 最強のファーストレディ』、セシル・ドゥ・フランス『幻滅』、オリヴィエ・グルメ『私は確信する』、ヴァシリ・シュナイダー『モンテ・クリスト伯』、ヴァランタン・カンパーニュ“Coward”
原題:La Venue de l'avenir/2025 年/126分/フランス/フランス語/日本語字幕:古田由紀子/1:2.35/5.1ch/配給:セテラ・インターナショナル
公式HP:Monetojikan.com    

公式X https://x.com/Monetojikan

続きはこちら

https://note.com/h_yas/n/nf9c6ac10eaf2?sub_rt=share_b

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