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「怒らない」=「優しい」ではない|全受容は自分を傷つける|【手紙】

「いい言葉」も表面だけみてたら痛い目を見ますよね。

人は「耳障りのいい言葉」に振り回される。

「友達百人できるかな」って言葉、今考えると、結構リスクありますよね。見る角度によっては、「いい言葉」だと思います。でも、「いい人」も「悪い人」も全員受容してしまったら、とても怖い。

むかしの私は、「全員受容」しており、大事にしなきゃいけない人以外にも気を配っていました。
そんな過去のわたしと同じ境遇の人へ向けての手紙を書きましたのでよければ読んでいただけたら嬉しいです。

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昔のあなたは、自分に少しでも気を向けてくれる人を全員受け入れてましたね。
圧倒的無意識だったのでちょっと心配になりました。

だから、
どれだけ雑に扱われても、
どれだけ関係が一方通行でも、
「たまに優しいから」「疲れてるだけだよね」「いつかは」と理由をつけて、その関係を無意味に繋ぎ止めていたね。

振り返って当時のことを考えてみると、
それは優しさというより、‪”‬怖さ‪”‬に近かったのだと思うよ。

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あなたはなぜ、そうまでして関係にしがみつくのか。
それは「つながっている自分」を保とうとしていたのではないかと思う。
誰かと関係が繋がってることで、自分の存在を確かめる。繋がることで自分の存在価値が上がると思っていた。

自分自身の価値を上げなければ、それは真の価値ではないのに、他人の評価で価値を測っていましたね。



だからこそ、
その関係が多少いびつに歪んでいても、「無いよりはマシ」と感じてしまう。しかしその裏で、徐々に削られていくものがあった。

それが自分自身への扱い方。すなわち自分の心の扱い方となっていた。


この構造はそれほど特殊ではないと言われています。人間は「拒絶されること」に強いストレスを感じるようにできているらしいから仕方なかったのかな。

人からの拒絶は、身体に起こる激痛と同じような痛みを脳に引き起こすと言う。だからこそ私たちは、その無意味な関係を維持するために、多少の違和感や不公平さ、その人とのズレを見て見ぬふりをしてしまっていたのです。


「自分が我慢すればいい」という選択を、無意識に取り続けてしまう。私がそのとき声をかければよかったと後悔することもある。


ただ、その‪”‬ズレ‪”‬は積み重なるんですよ。
気づいたときには、心がヘトヘトになって壊れている。家に帰るとそのままベッドへ倒れて動けない。自分のために使いたい一人時間も、他人の都合に飲み込まれていく。

それでも、「誰にでも同じように優しくするべきだ」と思い込んでいた頃の私たちは、それを全く疑うことすらしなかった。

その「ズレ」に気づくまでに時間がかかった。


あなたがいつものように車をだして友人の家へ行ったときのこと、いつものように家の前に車を停めてまっていましたね。

15分ほど遅刻して現れた友人が、車に乗り出発していきました。
しかし、そのとき違和感があった。

(・・・あれ?なにも言わない)


相手が遅れるのも、あなたが車を運転するのも、「当たり前」になっていた。
それが普通になっていたあなたは、いつも通りそのまま車を出そうとしたが、そのとき、今まで気にならなかった感情が溢れだしたんですね。

その日、友人に文句を言って、一日楽しめなかったと聞きました。

相手にとってあなたは、「遅れても怒らない人」「何でもしてくれる人」だったのかもしれない。そのとき、あなたは「これは私が望んでいた関係ではない」と気づいた。

この気づき以降、あなたは人間関係を「選び直す」という発想を持つようになった。それは誰かを切り捨てるためではなく、「大切にしたい人を大切にする」という単純明快な答えだった。
ただ自分も相手に‪”‬察してほしかったのかもしれない‪”‬と思うとあなたは「未熟だな」と言ってましたが、未熟ではなくあちらが気づくべきだったと思います。

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では、「自分を大切にしてくれる人」とはどんな人なのか。特別なことをしてくれるだけの人ではなく、日常の中で自然にこちらを一人の人間として扱ってくれる人だと私は思います。

予定を決めるときにこちらの都合を聞いてくれる人。小さなことにも「ありがとう」と言ってくれる人。疲れているときに「今日は休んでいいよ」と言ってくれる人。そういう人といると、心に余白が生まれる気がする。


逆に、関わるたびに削られる感覚がある人間もいる。こちらの時間や労力を当然のように使う人。謝るより先に言い訳が出る人。境界線を伝えても踏み越えてくる人。そういう関係は、どれだけ理由をつけても少しずつ自分が削れていく。


ここで重要なのは、すべてを拒絶することでも、すべてを受け入れることでもないと思います。

受容と拒絶のバランスを、自分の感覚に近づけていくことだと思う。違和感を無視せず、「この人といると自分はどう感じるか」に注意を向けることが、選び直しの精度を上げていくと思うんだ。


実際にあなたがやったことは、とても簡単なことだった。しんどくなる相手との関わりを、少しずつ減らす。すぐに関係を断つのではなく、回数や頻度を調整する。
そして逆に、安心できる人との時間を意識的に増やす。

その繰り返しの中で少しずつ「自分の居場所」の感覚が変わっていった。



一番大きく変わったのは、「罪悪感」の扱いだったと言ってましたね。
以前は、誘いを断るたびに申し訳なさを感じていた。でも今は、「自分にも時間と体力の予算がある」と考えるようになった。

その限られた予算をどこに使うのか。それを選ぶことは、わがままではなく、計画的で必要な管理なのだと理解しました。


「誰にでも優しくすること」が美徳のように語られることは多い。でも現実には、それは自分を削り続ける行為にもなり得る。本当に必要なのは、「誰にどう優しさを使うか」を選ぶことだと教えてくれました。

そしてその中に、「自分自身も含めること」だと。


もしあなたの周りに、「この関係、少ししんどいな」と感じている人がいるなら、「それが新たな出発かもしれないね」と、今度はあなたが私の代わりに背中を押してあげてほしい。

「あなたの内側が発している重要な違和感。その声を無視せず、少しずつ行動をズラしてみて」と。


関わり方を少しだけ調整する。それだけでも気持ちは楽になる。



あなたもあなたの周りの人の時間も、心も、体力も、無限ではない。
だからこそ、相手に簡単に時間と労力を奪われないでほしい。誰にでも同じように与えなくていい。
「あなたを大切にしてくれる人と、その価値を分かち合うように使っていいですよ」と伝えておいてください。


関係を選び直すことは冷徹なのではなく、自分を守りながら他者とよりよく関わるための、能力なのだと思う。


人と会ったあとのことを振り返ってほしい。
そして違和感があったら、境界線を少しでも言葉にして伝えてほしい。そのなかで安心できる人との関係を意識的に育ててほしいです。



ここまで読んでくれた人は、罪悪感が強めな気がします。

その罪悪感を手放した瞬間に世界は広がると思っています。というか私が実際広がった気がします。


お互い息苦しくない世界への第一歩を。



では、また次の記事で。
素敵な一日を。


今日もありがとうございます。

和和和和ぁ~。

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