雷舞ノ巫女(ライブノミコ)オロチ編第8話「あなたを見つけました」
【物語あらすじ】
「シンデレラ、遠いなあ」
そう呟いた瑠璃に、誰かが答えた。
姿は見えない。けれどその声は。
瑠璃が自分でも気づいていなかったことを知っていた。
掃除、鈴、挨拶、一拍待つこと。
意味がないと思っていた二週間をずっと見ていたかのように。
***
「……誰?」
瑠璃は足を止めた。
夕暮れの道。
前にも後ろにも人はいない。
『姫宮瑠璃』
また名前を呼ばれた。
声は耳から聞こえている感じがしなかった。
頭の中とも違う、もっと近い。
自分と何かの境目から、静かに届いてくる。
「誰なん?」
『あなたを見ていた者です』
瑠璃は眉を寄せた。
「それ、言い方だけ聞いたらだいぶ怖いで」
返事はない。
「ストーカーやったら通報すんで」
『その必要はありません』
「ストーカー大体そう言うねん」
少し間があった。
『あなたは、面白い人ですね』
「初対面でそこ評価されんの?」
瑠璃は辺りを見回す。
やはり誰もいない。
怖くないと言えば嘘になる。
でも。
不思議と、逃げ出したい感じもしなかった。
「ほんで」
少し警戒しながら聞く。
「うちを見てたって、何を?」
『この二週間を』
瑠璃の表情が変わる。
***
『最初の日』
声は続けた。
『あなたは、ほうきを腕だけで動かしていました』
瑠璃が黙る。
『今は違います。身体全体で重心を移しています』
「……」
『鈴も』
瑠璃は腰元を見る。
今日は付けていない。
『最初は一歩ごとに鳴っていました』
『昨日は、鳥居まで三度しか鳴らなかった』
瑠璃が顔を上げた。
『挨拶も変わりました』
「挨拶?」
『最初は、自分の声を届けようとしていた』
『今は、相手がこちらを見る瞬間を待っています』
瑠璃は何も言えなかった。
『そして』
少し間がある。
『一拍』
瑠璃の目が動く。
『あなたは以前より、人を見るようになった』
夕方の信号。
さっき、渡る前に一拍待った。
無意識だった。
「……見てたん?」
『はい』
「ずっと?」
『はい』
瑠璃は歩道の端に立ったまま自分の手を見る。
毎日やった。
でも。
何かが上手くなった実感なんてなかった。
歌えない。踊っていない。
ただ掃除して。鈴と格闘して。
知らない人に挨拶して。
意味も分からず一拍待って。
桶を運んだ。
「……うち、ちゃんと変わってんの?」
『変わっています』
その答えは妙に早かった。
『少なくとも、二週間前のあなたと同じではありません』
瑠璃は少しだけ笑った。
「そっか」
誰かに褒められたわけではない。
それなのに。
胸の奥に、小さなものが灯った。
***
「でもな」
瑠璃は言った。
「ウズメさん、そういうこと全然言わへんねん」
『そうでしょうね』
「え?」
『アメノウズメは、結果を先に教える神ではないのでしょう』
瑠璃は少し驚いた。
「ウズメさんのこと知ってんの?」
『知っています』
「神様?」
返事はなかった。
「……あんたも?」
『それを今、説明する必要はありません』
「怪しさ増したで」
それでも瑠璃は笑った。
少し歩き出す。
声は消えない。
「なあ」
『はい』
「ウズメさんのやり方、変やと思う?」
少しの沈黙。
瑠璃は先に付け足した。
「悪いこと言うつもりやったら、聞かへんで」
『なぜです?』
「自分の神様やもん」
迷わず答えた。
「うち、ちゃんと調べたんやで。アメノウズメって、めっちゃすごい芸能の神様やねん」
少し胸を張る。
「今やってることの意味、うちには分からへんけど」
「信じてる」
声はしばらく何も言わなかった。
やがて。
『その評価は、正しいと思います』
瑠璃が足を止める。
「……認めるんや」
『アメノウズメは、優れた神です』
悪口が来ると思っていた。
でも違った。
『あなたの身体は確実に変わっています』
『あなたが気づいていない部分まで』
「そやろ」
なぜか瑠璃が得意そうに言う。
「うちの神様すごいやろ」
『はい』
あっさり肯定された。
瑠璃は少し調子が狂った。
「なんやねん。もっと張り合ってくるかと思ったわ」
『張り合う必要がありません』
「大人やなあ」
『ただ』
声が、少しだけ低くなった。
瑠璃が顔を上げる。
『遅い』
「……え?」
***
『彼女の方法は正しい』
『ですが、時間がかかります』
瑠璃は黙った。
『あなたが今の稽古を続ければ、身体はもっと変わるでしょう』
『一年』『三年』『五年』
数字が。静かに置かれていく。
『もっと先かもしれません』
「そんなかかる?」
『分かりません』
瑠璃は苦笑した。
「そこは分からんのや」
『未来ですから』
少し、妙な答えだった。
でも。
嘘っぽくはなかった。
『あなたは今日、天野陽菜を見ていましたね』
瑠璃の顔から笑いが少し消える。
「……そこも見てたん?」
『はい』
神楽殿。
歌う陽菜。
何度も直されながら。
それでも、自分より遥か先にいるように見えた。
「陽菜は、ずっとやってきたから」
『そうですね』
「うちは始めたばっかりやし」
『はい』
また否定しない。
そのことが妙に瑠璃の胸へ入ってきた。
『だから、時間をかけることは間違いではありません』
「……うん」
『ただ』
またその言葉。
『あなたが欲しいのは、いつかですか?』
瑠璃は答えられなかった。
『十年後』『二十年後』
『上手くなっていれば、それでいいですか?』
「いや」
反射だった。
瑠璃自身が少し驚く。
『では』
声が問う。
『いつ、舞台に立ちたいのですか?』
瑠璃は夕焼けを見た。
学校。教室。隣の席。
凛様。デュオグランプリ。
陽菜。
あの大きな舞台。
「……今」
小さく答えた。
「今に決まってるやん!」
十六歳。十七歳。
今しかない時間。
そこを飛ばして、いつか上手くなれればいい。
そんなふうには思えなかった。
『そうですか』
声はそれ以上、何も言わなかった。
***
しばらく歩いてから。
瑠璃の方から聞いた。
「なあ」
『はい』
「早くする方法、あんの?」
返事はすぐには来なかった。
「あるから、そんな話してんねやろ?」
『あります』
瑠璃の胸が跳ねる。
「何?」
『想像するだけです』
「想像?」
『大きな舞台に立った時の、イメージトレーニングをしましょう』
瑠璃は拍子抜けした。
「イメトレ?」
『はい』
「もっとこう、神秘的な何かちゃうの?」
『何を期待しているのですか』
「光る杖とか」
『ありません』
「魔法使い失格やん」
『私は魔法使いではありません』
瑠璃は笑った。
「で、どうすんの?」
『少し目を閉じてください』
「今?」
『はい』
瑠璃は周囲を見る。人通りはほとんどない。
道の端へ寄る。
「変なことせんといてや」
『しません』
「信用してええんやな?」
『あなたが嫌なら、やめても構いません』
その答えに瑠璃は少しだけ安心した。
「……ほな」
目を閉じる。
暗くなる。
『想像してください』
声が近くなる。
『あなたが、一番立ちたい場所を』
***
光。
瑠璃は目を開けた。
「……え?」
眩しい。
目の前に大きな客席が広がっていた。
暗い海のような会場。
そこに無数の光が揺れている。
自分の手にはマイク。
白い衣装。
足元にはステージ。
「何これ……」
声が震える。
観客の中から誰かが叫んだ。
「瑠璃!」
別の場所から。
「瑠璃ー!」
また名前。
「瑠璃!」
「瑠璃!」
音が重なっていく。
自分の名前があちこちから飛んでくる。
瑠璃は動けなかった。
あの日。
神社で願った光景。
突然光の真ん中へ立つ。
見つけてもらう。
選ばれる。
世界が変わる。
その全部が目の前にあった。
「……うち」
声が出る。
「ほんまに……」
一歩。
前へ出ようとした。
その瞬間。
景色が消えた。
***
「……え?」
夕方の道。制服。鞄。
遠くで走る車の音。
瑠璃は何度か瞬きをした。
「終わり?」
『はい』
「短っ!」
『最初ですから』
「今からやん!」
『今日はここまでです』
「いやいやいや、待って!」
返事がない。
「めっちゃええとこやったやん!」
『そうですね』
「そうですねちゃうねん!」
瑠璃は思わず辺りへ声を上げた。
通りかかった人が少しだけ振り返る。
「あ、すみません」
瑠璃は小さく頭を下げる。
それから声を落とした。
「……なあ」
『はい』
「もう一回」
少しの沈黙。
『今日は、やめておきましょう』
「ケチ」
『またできます』
瑠璃の顔が上がる。
「ほんま?」
『あなたが望むなら』
瑠璃は少し考えてから笑った。
「ほな、また頼むわ」
『はい』
「魔法使い」
『違います』
「細かいなあ」
瑠璃は歩き出した。
少しだけ足取りが軽い。
その後ろで。
長い影が伸びている。
掃除。鈴。挨拶。一拍。
アメノウズメが時間をかけて瑠璃の身体へ残しているもの。
そして今。
瑠璃自身が欲しがったもの。
光。歓声。名前を呼ばれること。
二つの道が、まだ瑠璃には同じ場所へ続いているように見えていた。
闇の中からヤマタノオロチは少女を見ていた。
姫宮瑠璃。
特別な歌声はない。
特別な身体もない。
それでも。
アメノウズメが選んだ人間。
そして今自分から。
もう一度を求めた。
オロチは初めて。
その少女の願いへ。
触れた。
