私たちは、『安心して食べる』を知らなかった
今日、久しぶりに焼うどんを作った。
たぶん10年ぶりぐらい。
しかも、普段の私なら選ばないメニューだった。
うどんは太りそうだし、
ソース味は身体に重い気がする。
頭で考えたら、絶対に選ばない。
でも今日は、
残ったキャベツを見たとき、
なぜか身体が
「ソース味が食べたい」と感じた。
だから家にある調味料で、
適当に焼うどんを作ってみた。
味は完璧じゃなかった。
でも今日の私は味わっていた。
そして私はあることに気づいた。
今まで私は、
家族と『安心して食事を味わう』ことが、
できていなかったのかもしれない。
今まで私は、
家族の食事を
『味わう時間』にできていなかった。
ちゃんと作る。
栄養を考える。
早く作る。
そんなことばかり考えていた。
もちろん、
愛情がなかったわけじゃない。
息子たちが喜ぶものを考えたり、
新しいメニューもよく作った。
ただ食べる頃には、
もう疲れていて、
「やっと作った」
の感覚のまま食卓に座っていた。
だから私は、
ご飯を味わうより、
一日をこなしていたんだと思う。
さらに、
「美味しいね」
「これ好き」
そんな感覚を、
安心して出せる空気は、
思い返せば食卓になかった気がする。
誰かが何かを言うと、
否定されたり、
空気が変わったりする。
だからいつの間にか
皆が無意識に
『余計なことは言わない』
になっていた。
美味しければ、おかわり。
でも感想は言わない。
そんな食卓だった。
食べながら、
次々と息子たちのことを思い出した。
息子は食べ盛りの頃も、
あまり食べる方じゃなかった。
遊びに夢中になると食べないし、
お父さんに
「お前が頼んだんだろ」
と怒られて、
泣いていたこともあった。
今思う。
きっと、
身体が安心して食べられていなかったんだ。。。
緊張していたんだ。。。
でも息子は今
自分で料理を作って、
皆で囲む食卓を作っている。
彼女の家では、
大人数の料理を作る担当らしい。
私はその時、
「野菜料理も作れればね」
なんて言ってしまった。
でも違った。
息子は、
ただ料理を作っていたんじゃない。
『安心して囲める食卓』
を作っていたんだ。
そう思ったら、
胸がいっぱいになった。。。
お祝いの時も
二人でたくさん料理を作って、
家で写真を撮っていた。
どれも本当に美味しそうで、
温かい空気が伝わってきた。
きっと、
欲しかった家庭を、
自分たちで作っているんだと思う。
そして私は今日、
焼うどんを食べながら、
初めてそれに気づいた。
味は、いまいちだった。
でも、
人生で一番、
味わい深い焼うどんだった。
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