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取り繕わない。美しさは、あとから立ち上がるーー無理に整えず、現実に誠実でいることで生まれるもの

Beauty emerges when nothing is forced.


🕯️ 誰も「いい葬儀にしよう」とはしていなかった


葬儀のあと、
親族の一人が、
「今まで出た葬儀の中で、一番温かい葬儀でした。感動しました。」
というようなことを父に話していた。

実際、私自身も、
叔父の葬儀には不思議な温かさがあったと思う。

でも、
それは誰かが意図してつくったものではなかった。

感動的な式にしようと相談したわけでもない。

家族みんなで心をひとつにしようとしたわけでもない。

仲のいい家族に見せようとしたわけでもない。

そもそも、
そんなことを考えている余裕すらなかったと思う。

予期していなかった死だったから、
知らせを受けてからは、
必要なことを一つずつ進めていくだけだった。

父は父で、
兄を見送るためにやることがあった。

母は母で動いていた。

私たち姉妹も駆けつけ、
そのとき必要なところを手伝った。

親族も、それぞれの立場で葬儀にやってきた。

誰かが全体を演出していたわけではない。

誰も、
「美しい場をつくろう」
とはしていなかった。

ただ、
その瞬間に自分がやる必要があると思ったことを、
それぞれがやっていただけだった。

誰かと話す。
必要なものを用意する。
来た人を迎える。
昔のことを思い出す。
叔父の顔を見る。
手を合わせる。

その一つひとつは、
特別なことではなかった。

でも、
そうやって時間が進んだ結果、
そこには確かに温かさが残った。

だから私は、
あとから「温かい葬儀だった」と言われたとき、
少しおもしろいと思った。

前の記事では、
人の人生をあとから美談へ編集することへの違和感を書いた。

でも今回の葬儀で生まれた温かさは、
それとはまったく逆だった。

美しい物語をつくろうとした結果ではない。

現実の中で、
それぞれが必要なことをした。

その結果、周りの人には
美しかった、と見えていた。

私はそこに、
作られた美しさとは違うものを感じた。

その葬儀が温かかったのは、誰かが温かい物語を演出したからではなかった。

それぞれが、その瞬間に必要だと思うことをした結果として、温かさが立ち上がっていた。


🌿 美しさを目的にすると、ときどき現実が削られる


ここで、
「美しくしようとすること」と、
「結果として美しいこと」

の違いを考えてみたい。

最初から、
家族だから仲良くしよう。

今日くらいは過去を水に流そう。

故人のために、いい話だけをしよう。

せっかく集まったのだから、みんなでひとつになろう。

そんなふうに、
先に「美しい状態」を決めてしまうと、
その形に合わないものを、どこかへ追いやる必要が出てくる。

怒り。
違和感。
過去の不公平。
誰かに偏っていた負担。

今もなお、
「私はあれを許していないけどな」
という感覚。

そういうものが、
「今はそういうことを言う場じゃない」
「せっかくの葬儀なんだから」
という言葉で脇へ置かれていく。

もちろん、
葬儀の場で何もかもぶつければいいという話ではないし、そんなことはしない。

その場で言わないことと、
存在しないことにするのは別だ。

私が違和感を持つのは、
美しい物語を成立させるために、現実の一部まで消してしまうこと
なのだと思う。

そうして出来上がった場は、
見た目にはとても整っているかもしれない。

みんなが穏やかに振る舞い、
誰も不満を口にせず、
「いい家族だったね」
と言って終わる。

でも、それが現実そのものかというと、
だいぶ違う。

今回の叔父の葬儀には、
そういう編集がほとんどなかった。

私は私で、
叔父の顔を見て温かい気持ちになった。

同時に、
許せないことは許せないと思っていた。

父には父の歴史がある。
母には母の感情がある。

親族にも、それぞれの記憶がある。

全員が同じ気持ちになる必要はなかった。

それでも、一つの場にはいられた。

だから私は、
あの葬儀の温かさを信頼できたのだと思う。

矛盾を消したから美しかったのではない。

矛盾したものが、矛盾したままそこに存在できたからだ。

その余白そのものが、
結果として、場の温かさになっていたのかもしれない。

美しさを先に目的にすると、その形に合わない現実を削りたくなる。

でも、本当に美しい場には、矛盾した感情がそのまま存在できる余白がある。


🤍 それぞれが「正位置」で動くと、全体はあとから整う


今回の葬儀を振り返っていて、
Harmoniousでずっと伝えてきた、
「正位置」
という言葉が浮かんだ。

誰かが全体を美しく統率したわけではない。

「こういう葬儀にしよう」と、
一つの理想像を共有したわけでもない。

それぞれが、
自分の場所で、
自分が今できることをした。

父は、兄を見送った。

母は、長年一緒に暮らしてきた人を送り出した。

私たちは、
必要な実務を手伝い、
話を聞き、
その場にいた。

親族も、
それぞれの記憶や関係性を持ったまま集まった。

全員が同じことを感じていたわけではない。

過去の関係がすべて解決したわけでもない。

誰かが急に変わったわけでも、
長年あったものが消えたわけでもない。

誰も完璧ではない。

それでも、
それぞれが自分の場所から、
そのとき必要だと思うことをした。

その結果として、
全体では一つの場が成立していた。

私はそれを見ながら、
これは、
「みんながひとつになる」こととは違う
と思った。

全員が同じ価値観になる必要はない。

同じ感情になる必要もない。

同じ過去の解釈を持つ必要もない。

誰かに合わせて、
自分の本音を消す必要もない。

それぞれが違うまま、
自分の位置で、
自分の分を引き受ける。

その状態でも、
一つの場はちゃんと成立する。

むしろ私は、
その方がずっと自然な調和なのではないかと思った。

調和というと、
意見が一致していることや、
みんなが仲良くしていることを想像しやすい。

でも、
Harmoniousで考えてきた「正位置」は、
そういう同一化とは少し違う。

それぞれが自分を失わず、
自分の場所から必要なことをする。

誰かの役割まで奪わず、
自分の役割からも逃げない。

そうした結果、
あとから全体を見ると、
不思議なくらい整っていることがある。

今回の葬儀には、
私はその形を見た気がした。

調和とは、全員が同じ気持ちになることではない。

それぞれが自分の正位置から必要なことをしたとき、全体は結果として整うことがある。


✨ 本物の美しさは、結果として立ち上がる


私は以前から、
美しいものが好きだ。

目に見えるものだけではなく、
人の在り方や、
関係性や、
場に流れるものにも、
「美しい」と感じる瞬間がある。

でも今回、
美しさというものについて、
少し別のバリエーションが加わった。

本物の美しさは、
必ずしも最初から
「美しくしよう」
として生まれるものではないのかもしれない。

現実を正確に見る。
必要なことをする。
余計なものを足さない。
自分の感情を偽らない。

同時に、
他人にも自分と同じ感情を要求しない。

それぞれが、
自分の場所で、
目の前の現実に応答する。

そうして時間が進んだあと、
振り返ってみたときに初めて、
「あれは美しかった」
と感じることがある。

叔父の葬儀は、
少なくとも私にとって、
そういう場だった。

叔父の人生を美談にしたから、
温かかったのではない。

過去にあったことを、
みんなが全部許したからでもない。

家族がひとつになったからでもない。

それぞれが違う記憶を持ち、
違う感情を持ち、
解決していないものも残したまま、
そのとき必要なことをしていた。

何も無理に整えなかったのに、結果として温かかった。

私はそこに、
とても信頼できる美しさを感じた。

美しい形を先につくって、
そこへ現実を押し込めるのではない。

現実に対して誠実に動いた結果、
あとから美しさが現れてくる。

そしてこれは、
葬儀に限った話ではないのかもしれない。

人間関係でも、
仕事でも、
何かを創るときでも。

「こう見せたい」
「こういう結果にしたい」
と完成形を操作するより、
今ここで何が起きているのかを見て、
自分の場所から必要なことをする。

その積み重ねの方が、
最初から計画していたものよりも、
ずっと美しいものを生むことがある。

この記事群は次で最後。
ここまで見てきた人の未熟さや矛盾について、
「そういう人は普通にいる。でも私は嫌い」で終わっていい
というところまで戻ってみる。

本物の美しさは、美しい物語をつくろうとしたときではなく、
それぞれが今ここで必要なことを正確にしたとき、結果として立ち上がることがある。


私たちは、
誰かが語る物語や、
世の中で「正しい」とされている見方より先に、

自分の身体や感覚を通して、
現実の中で何かを受け取っています。

それを無理に良いものへ変換しなくていい。

誰かと同じ答えにする必要もない。

大切なのは、
自分には何が見えているのか。

何を大切にしたいのか。

そして、
自分の生命をどこへ使い、
どんな世界を創りたいのか。

Harmoniousが扱っているのは、
正しい答えを教えることではなく、

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Harmoniousは、
誰かになるためではなく、
自分自身の生命に、
もう一度、あるいは人生で初めて還っていくための場所です。

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