強みは、本人には「普通」に見えているーー頑張って身につけたものより、無意識に使っている力の方が見えにくい
Your strengths often feel ordinary to you.
妹の結婚パーティーでの気づきシリーズ、まだ続きます…
🪞 終わってから、「私、結構いろいろ見ていたんだ」と気づいた
妹のパーティーが終わって、しばらくしてから。
ふと、
「私、あの日けっこういろいろ見ながら動いていたんだな」と思った。
誰を呼ぶか。
それぞれの関係性をどう組むか。
料理の量や流れ。
3時間の中で、どこまで決めて、どこを自由にするか。
誰に何を任せれば自然か。
妹夫婦が「ちゃんと祝福されている」と感じられること。
場が堅苦しくなりすぎないこと。
予定外のことが起きたとき、どこを変えれば全体が崩れないか。
改めて並べてみると、かなり多くのことを同時に見ていた。
でも、やっている最中には、
「私は今、たくさんの情報を処理している」
なんて考えていなかった。
ただ、
「こっちの方が自然だな」
「これは先に決めておいた方がいい」
「ここは細かく決めない方がいい」
「この人には、こっちをお願いした方が合いそう」
と、その都度判断していただけだった。
前の記事では、そこから
「いい場を作る人は、人を動かそうとしない」
ということを書いた。
人を変えようとするより、
その人が自然に動ける配置を見る。
今回は、その話を書き終えたあとに、
もう一つ自分の中に残ったことについて考えてみたい。
そもそも私は、なぜこれだけのことを、
それほど大変なことだと思わずに見ていたのだろう。
もちろん、準備はした。
考えることもあった。
でも、
「自分の能力を総動員して頑張った」
という感覚とは少し違う。
かなりの部分を、
普通のこととしてやっていた。
そこで初めて、
もしかすると、
自分にとって自然に見えているものほど、能力として数えていないことがあるのかもしれない
と思った。
私たちは、自分の苦手なことには気づきやすい。
時間がかかったり、
失敗したり、
人よりうまくできなかったりするから。
でも得意なことは、
できてしまうからこそ目立たない。
たとえば、主婦の家事におけるマルチタスクなんかもそうだと思う。
「できる」が通常運転になっていると、
それを能力として認識する機会そのものが少ない。
だから、自分の強みというのは案外、
「私はこれが得意です」
と自覚している場所より、
何も特別だと思わず、日常的にやっている場所に隠れていることがある。
パーティーが終わってから私が見つけたのは、
新しい能力ではなかった。
ずっと使っていたのに、
自分では数えていなかったものだった。
得意なことは、できるからこそ「能力を使っている」という感覚が薄いことがある。
🌫️ 苦労したことは見える。でも、自然に処理したことは見えにくい
私たちは「能力」というと、
努力して身につけたものを思い浮かべやすい。
苦労したこと。
何度も練習したこと。
資格を取ったこと。
昔はできなかったけれど、
今はできるようになったこと。
そういうものは、自分でも認識しやすい。
なぜなら、
「ここを頑張った」
「ここは時間がかかった」
「前よりできるようになった」
という履歴が残っているからだ。
努力には、手触りがある。
だから、
「これは自分が身につけた能力だ」
と理解しやすい。
一方で、
昔から自然にやっていることには、
その履歴がほとんどない。
気づいたら見えている。
気づいたら判断している。
説明されなくても、
なんとなく全体像がわかる。
誰かが一つずつ順番に整理していることを、
自分は最初からひとまとまりとして捉えている。
そういうことは、
本人の中ではあまり事件にならない。
だから、
「別に大したことしてない」
になりやすい。
でも、外から見るとそうではないことがある。
言葉を扱うのが自然な人。
細かな違いによく気づく人。
人の変化をすぐ察知する人。
段取りを組むのが苦にならない人。
手を動かしながら考える方が早い人。
空間の違和感をすぐ見つける人。
それぞれが、
自分では当たり前だと思っている。
でも、
その「当たり前」は誰にとっても同じではない。
ここで言いたいのは、
「簡単にできるなら、優れている」
という話ではない。
優劣ではなく、
どこで自然に情報を拾っているかが、人によって違うということ。
ある人には見えないものが、
別の人には最初から見えている。
逆に、
自分にはまったく気づけないことを、
誰かは何の苦労もなく見つけている。
だから、
自分が自然にできることを能力として見つけることは、
「私はすごい」
という自己評価のためではない。
むしろ、
自分が普段どこで無意識に仕事をしているのかを知ること
に近い。
努力したものは、
頑張った記憶があるから見つけやすい。
でも、
自然に使っているものは、
使っていること自体に気づきにくい。
だからこそ、自分の得意は、
自分の中でいちばん透明になっていることがある。
努力した能力は記憶に残るけれど、自然に使っている能力は、自分の中で透明になりやすい。
🔍 「みんなも見えている」と思っている場所ほど、見直してみる
「自分の強みは何ですか?」
と聞かれると、
つい大きな答えを探してしまう。
私にしかできないこと。
人より圧倒的に優れていること。
長年かけて身につけた専門性。
誰かに評価された実績。
でも、強みというものは、
必ずしもそんな目立つ形で現れるとは限らない。
日常の中で何度も感じている小さな違和感の方が、
手がかりになることがある。
たとえば、
「なんでここに気づかないんだろう」
「先にこれをやっておけば、後が楽なのに」
「この二つ、明らかにつながっているのに」
「この人は、こっちを担当した方が自然なのに」
そんなふうに、
自分にとっては当たり前すぎて、
わざわざ言葉にもしていないこと。
そこには、
自分が無意識に拾っている情報
が含まれているのかもしれない。
私は今回、パーティーを振り返ってみて、
人の関係性や、
役割の配置や、
時間の流れや、
場の空気を、
かなり同時に見ていたことに後から気づいた。
でもそのときは、
「私は今、複数の情報を統合して判断している」
なんて考えていない。
ただ、
「こっちの方が自然」
と感じていただけだった。
たぶん、
こういうところが自覚にくい。
自分にとっては、
考える前に見えているからだ。
そして、
「こんなの、みんな同じように見えているでしょう」
と思ってしまう。
でも実際には、
そうとは限らない。
逆も同じだ。
私にはまったく気づけないことを、
別の人は一瞬で見つける。
私なら時間がかかることを、
ほとんど考えずに処理する人もいる。
つまり、
違うのは「価値」ではなく、
どこに自然と注意が向くのか。
何を無意識に拾っているのか。
どういう情報なら負荷なく処理できるのか。
。
だから、
「なんでこんなこともわからないの?」
と他人を見るために使うのではなく、
「私は、ここを自然に見ている人なんだ」
と、自分を理解するために使いたい。
その方がずっと有益だ。
そして、この見方をすると、
強みを見つけるということの意味も少し変わる。
「他の人よりすごいものを探す」
のではなく、
自分が普段、何を当たり前として処理しているのかを観察する。
そこに、
自分ではまだ能力として数えていないものが
隠れていることがある。
「みんなも見えている」と思っている場所ほど、
一度立ち止まって見直してみる。
そこはもしかすると、
自分にとって自然すぎるからこそ、
まだ名前がついていない強みなのかもしれない。
強みの手がかりは、「私だけがすごいこと」ではなく、自分が無意識に拾っている情報の中にある。
🧭 強みは、自分を飾るためではなく「配置」を決めるために使う
前の記事
「いい場を作る人は、人を動かそうとしない」では、
人を変えるより、
その人が自然に動ける配置を見る、
ということを書いた。
考えてみれば、
これは自分自身についても同じなのだと思う。
自分の強みを知るというと、
「私は何が得意なのか」
「何なら人より優れているのか」
を見つけることのように思いやすい。
でも私は最近、
その使い方だと少し足りない気がしている。
強みを知る意味は、
「私はこんなにできる」
と自己像を補強するためではない。
自信を持つためだけでもない。
むしろ、
自分をどこに置けば、
必要以上に頑張らなくても力が自然に働くのかを知るためなのだと思う。
逆に、
どんな場所では、
必要以上に消耗するのか。
何を自分が持つと自然なのか。
何は人に任せた方が、
全体としてうまく回るのか。
どこでは、
能力があるのに噛み合わなくなるのか。
そういうことを知るための、
配置情報に近い。
妹のパーティーを作ったあと、
「私、こういうことは結構得意なのかもしれない」と思った。
でもそれは、
新しく何かを身につけたわけではない。
以前から使っていたものに、
後から名前がついただけだった。
人の関係を見ること。
全体の流れを見ること。
誰に何を任せると自然かを見ること。
決める場所と、
余白を残す場所を分けること。
そういうものを、
私はずっと使っていた。
ただ、それを
「能力」として数えていなかった。
そして強みというのは、
案外そういうものなのかもしれない。
探しに行って、
新しく手に入れるものというより、
すでに日常の中で使っているものを、
あとから発見する。
その発見があると、
「もっと頑張って何者かにならなければ」
ではなく、
「では、この力が自然に働く場所に自分を置こう」
と考えられる。
自分に向いていない場所で、
無理に万能になろうとしなくていい。
逆に、
自然に力が出る場所では、
必要以上に遠慮もしなくていい。
強みを知るということを、
以前よりずっと実務的に捉えるようになった。
自分を特別にするためではなく、
自分という人間を、
どこに配置すれば最も自然に働くのかを知るため。
そう考えると、
強みは勲章ではなく、
かなり具体的な「取り扱い情報」なのだと思う。
強みとは、自分を特別に見せるための勲章ではなく、自分が自然に力を発揮できる配置を知るための情報。
自分自身の「配置」から、今度は複数の人が関わる場へ視点を広げました。
自分の強みを
「人より優れている何か」として探すのではなく、
自分は何を自然に見て、
どこで無理なく力を使っているのか。
そこから、自分の配置を見直していくこと。
Harmoniousで扱っているのも、
こうした「自分の正位置」に戻る感覚なのだと思っています。
もっと頑張って何者かになるのではなく、
身体の感覚に戻り、
自分にとって自然な動き方を知り、
その力がきちんと働く場所へ自分を置いていく。
そのための入り口として、
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Harmoniousは、
誰かになるためではなく、
自分自身の生命に、
もう一度、あるいは人生で初めて還っていくための場所です。
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