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自己像ではなく、「現実に何を生じさせているか」ーー善意や自己認識より、行動の結果と、それを引き受ける姿勢を見る

I look at what a person creates in reality.

最近、ある人との関わりを振り返っていて、強く引っかかったことがあった。

その人は、自分をどちらかというと、

人に与える側。
教える側。
育成する側。

として認識しているようだった。

でも、実際に一緒に何かを進めてみると、私から見える現実はかなり違っていた。

任されたことが完了しない。

報告の精度が低い。

必要な確認が抜ける。

自分で始めたことなのに、途中から周囲がフォローすることになる。

そして、うまくいかなくなると、自分が選択した主体というより、何かに巻き込まれた側のような位置へ移っていく。

ここで最初に書いておきたいのは、
できないこと自体が問題なのではない
ということ。

誰にでも不得意はある。

経験がなければ失敗もする。

最初から全部できる人なんていないし、未熟な時期があることも当然だと思う。

できないなら、できないところから始めればいい。

分からないなら聞けばいい。

失敗したなら修正すればいい。

私は、そのこと自体にそれほど違和感を持たない。

むしろ気になったのは、

本人が自分について持っている物語と、現実に起きていることの差が大きいこと。

そして、その差が何度現れても、自己認識の方はあまり更新されないことだった。

人を育てる側だと思っている。

でも、自分が担ったことは完了しない。

与える側だと思っている。

でも、実際には周囲の時間や思考や労力によって成立している。

主体的に選んだはずなのに、結果が思うようにいかなくなると、なぜか「困らされた側」の物語へ移っていく。

私はたぶん、このズレに強く反応する。

何を名乗っているかではなく、

実際に何をしているのか。

何をしたつもりかではなく、

現実に何が残ったのか。

そこを別々に見るようになった。

人が自分をどう認識しているかと、その人が現実に何を成立させているかは別だった。

私は、その2つを同じものとして見ない。


✨ 私が嫌なのは、「できない人」ではなかった


ここで、自分の嫌悪の正体をもう少し正確にしておきたい。

私は、能力が低い人が嫌いなわけではない。

仕事が遅い人が嫌いなわけでもない。

一度失敗した人を切り捨てたいわけでもない。

むしろ、
「ここはまだできない」
と自分で分かっている人は、適切な対処ができると思う。

分からないことを聞く。
教えてもらう。
練習する。
失敗したら修正する。

今の自分の力を認識して、その位置から進んでいる。

それなら、未熟であること自体は何の問題でもない。

逆に、私が強く引っかかるのは、
現実ではまだ成立していない役割を、自己像の中ではすでに獲得している状態。

自分のことを整えられていないのに、人を育てる側だと思っている。

周囲のフォローで成立しているのに、自分が回していると思っている。

自分の選択によって起きたことなのに、結果が悪くなると、いつの間にか被害を受けた側へ移る。

そこに私は、かなり強い不整合を感じるのだ。

そしてこれは、
「もっと謙虚になればいい」
という道徳の話でもない。

自信を持つこと自体は良いことだし、
未来の自分を先に信じることも間違っていない。

ただ、
自己認識が現実から離れすぎると、その差額を誰かが負担することになる。

そこが、私にはとても気になる。

できているつもりの人の抜けを、誰かが埋める。

分かっているつもりの人の確認を、誰かが代わりにする。

自立しているつもりの人を、誰かが実質的に支える。

本人の中では成立している自己像が、現実の中では成立していない。

そのズレを埋めるために、周囲の時間や思考や労力が使われる。

自己像と実体のズレは、本人の中だけで完結しないのだ。

だから私は、「できないこと」よりも、その差を見ないまま進み続けることの方に強く反応するのだと思う。

私は「できない人」が嫌なのではない。

現実では成立していない自己像を保持したまま、その差額を周囲に負担させる構造が嫌なのだ。


👑 意図ではなく、「現実に何が残ったか」を見る


ここから、もう少し一般的な話として考えてみたい。

人は、自分の行動を説明するとき、よく内側の事情を語る。

そんなつもりじゃなかった。
良かれと思ってやった。
私なりに頑張った。
助けたかった。
傷つけるつもりはなかった。

その気持ちは、本当なのかもしれない。

私は、それを嘘だと決めつけたいわけではない。

でも、現実にはもう一つ別のレイヤーがある。

その結果、何が起きたのか。

誰が時間を使ったのか。
誰が考え直したのか。
誰がフォローしたのか。
誰の信用が使われたのか。
誰が金銭的な負担をしたのか。
誰が実務を引き受けたのか。
何が最後まで完了したのか。
何が未完了のまま残ったのか。

意図は、その人の内側にある。
でも、結果は現実の中に残る。

だから私は、人を見るとき、
「この人に悪気があったのか」
だけでは見ないのだと思う。

むしろ、
この人が関わると、現実に何が生まれるのか。
そこを見る。

善意があることと、現実がうまくいくことは同じではない。

頑張ったことと、責任が果たされたことも同じではない。

逆に、失敗したからといって、その人の価値がなくなるわけでもない。

私が見るのは、失敗そのものではなく、そのあとだ。

起きたことを見て、
「ああ、自分はここでこれを生じさせたんだ」
と、自分の現実として引き受けられるか。

必要なら修正する。
必要なら謝る。
必要なら学び直す。
必要なら、自分の自己認識そのものを更新する。

そこまで含めて、私は「責任」だと思っている。

だから、善意の物語だけでは足りない。
悪気がなかったことだけでも足りない。

私は、その人が何を意図したかよりも、
その人が現実に何を生じさせ、その結果をどこまで自分のものとして持てる人なのか
を見る。

意図はその人の内側にある。
でも、行動の結果は現実に残る。

私は善意の物語より、その人が何を生じさせ、
それをどこまで自分のものとして引き受けているかを見る。


🤍 自己像ではなく、実体を見て人を選ぶ


ここまで考えて、最近のいくつかの出来事が、
同じ場所につながっていることに気づいた。

自分は与える人だと思っている。

人を育てる側だと思っている。

家族を大切にしていると思っている。

反省していると思っている。

そういう自己像を持つこと自体は、その人の自由だと思う。

私は、それをわざわざ訂正しに行く必要はない。

「あなたは本当はこういう人ですよ」

と教える必要もない。

相手が自分をどう理解して生きるかは、その人の領域だから。

でも、私がその人をどう見るかは別だ。

私は、

何を言っているかより、何をしているか。

何を名乗っているかより、何を完了させたか。

どんな意図だったかより、周囲に何を残したか。

を見る。

そして、その実体から配置を決める。

近くで一緒に創るのか。

何かを任せるのか。

信用を預けるのか。

距離を置くのか。

それは人格の判定というより、現実の設計だからだ。

誰かを悪い人だと決める必要はないし、
そもそも、そんなことには興味がない。

でも、悪い人ではないからといって、重要な役割を任せる必要もない。

最近の私は、人の「可能性」や「事情」を見ることをやめたわけではない。

その人にまだ伸びる余地があることも、

うまくいかない背景に事情があることも、

見ることはできる。

ただ、それらを現在の実体より上位に置かなくなった

その人に可能性があることと、

今その役割を任せられることは別。

良いところがあることと、

近くで一緒に創りたいことも別。

事情があることと、

その結果を周囲が負担し続けていいことも別。

そして、

本人が自分をどう評価しているかと、

私が現実を見てどう判断するかも別だ。

もちろん、相手側からもそう見てもらって構わない。

以前の私は、可能性や事情まで見えるからこそ、実体より先にそちらを見てしまうことがあったのだと思う。

でも今は、

可能性は可能性として見る。
事情は事情として理解する。
そのうえで、現在の実体は現在の実体として判断する。

そこを混ぜなくなった。

次の記事では、ここからさらに、

相手の内面を読めることと、相手の代わりに読み続ける義務があることは違う

という、「察してほしい」と他人の資源の問題へ進みたい。

私は、人の自己像を否定したいのではない。

ただ、人を選び、何かを任せ、未来をつくるときには、
その人が自分をどう思っているかではなく、現実に何を生じさせているかを見る。


私たちは、ときに、
相手の言葉や善意よりも先に、
「現実に何が起きているのか」を
自分の身体で知っています。
違和感を無理に消さなくていい。
すべてを良い意味に変換しなくていい。
人を変える必要も、
理解させる必要もない。
ただ、自分の感覚と現実を見て、
自分の生命をどこへ使うのかを選ぶ。
Harmoniousが扱っているのは、
誰かの正解に合わせることではなく、
自分の中心へ戻り、
自分という存在を通して世界を見て、
選び、創っていくことです。

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