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とはいえ、私は人を変えたい人ではなかったーー変容を扱ってきた私が、最近ようやく気づいたこと

I do not walk for others.
I simply leave a map for those who wish to walk.

🌫 最近、ある違和感があった


最近、ある違和感があった。

「人を変えたい」
「人を育てたい」
「本来の自分に戻るサポートをしたい」
そんな言葉に触れる機会が、続けてあった。

もちろん、その願いが悪いとは思わない。

誰かの力になりたい。
誰かの可能性を見たい。
人が変わっていく場面に関わりたい。

そう思うこと自体は、本願だし、
とても自然なことだと思う。

その言葉の奥に、優しさや願いがあることもわかる。

そこに嘘があるとも思わない。

けれど私は、その言葉を聞きながら、
なぜか少し疲れている自分に気づいた。

相手が悪いわけではない。

その人の願いを否定したいわけでもない。

人が変わることを、冷めた目で見ているわけでもない。

むしろ私は、これまでずっと、
人の変容に関わるようなことを扱ってきた。

身体。
感覚。
呼吸。
認識。
言葉。
美。
宝石。

人が自分自身を取り戻していく過程に、
深い関心を持ってきた。

それなのに。

「人を変えたい」
「人を育てたい」
「本来の自分に戻るサポートをしたい」
そういう言葉を前にした時、私はなぜか、
あまりワクワクしなかった。

それどころ、どこか重たく感じた。

そのことに気づいた時、少し驚いた。

私は本当に、人を変えたい人なのだろうか。

あるいは、私が本当に関心を持っているものは、そこではないのかもしれない。

そんな問いが、浮かび上がってきた。


🌿 心地よかった人たちの共通点


一方で、最近とても心地よく感じる人たちもいる。

それは、何か特別な肩書きがあるからではない。

自分の仕事に深く向き合っている人。

好きなことを淡々と続けている人。

研究でも、仕事でも、遊びでも、
自分の興味に対して率直な人。

そして、他者を自分の人生プロジェクトにしない人。

そういう人たちと話していると、とても楽なのだ。

会話が早い。
返事が率直。
必要以上に重くならない。
誰かを救おうとしない。
誰かに救われようともしない。

ただ、自分が面白いと思うことをしている。
気になることがあれば聞く。
楽しかったら、また会う。
話がおもしろければ、もう一軒行く。
別れたあとに「また飲みましょう」と連絡する。
それだけ。

でも、その「それだけ」が、
私にはとても心地よかった。

そこには、誰かの人生を背負う感じがない。

相手を変えようとする感じもない。
自分をわかってほしいという重さもない。

ただ、それぞれが自分の人生を持っていて、そのうえで一時的に交差する。

その軽やかさが、好きだった。

もちろん、その人たちにも悩みはある。

未完了なものがまったくないわけではないと思う。

人間だから、誰にでも揺らぎはある。

けれど、その揺らぎを他者に処理させようとはしない。

自分の仕事。
自分の研究。
自分の家族。
自分の美意識。
自分の遊び。

そういうものを、それぞれが自分の手の中に持っている。

だから、一緒にいて楽なのだと思う。

「人を変えたい」とは言わない。

けれど結果として、
その人たちの在り方に触れることで、
こちらの視界が広がることはある。

誰かを変えようとしない人の方が、
かえって人を自由にすることがある。

そのことに、少しずつ気づき始めている。


🪞  私は変容を扱う人だと思っていた


私はこれまで、自分のことを「変容を扱う人」だと思っていた。

身体。
感覚。
呼吸。
認識。
言葉。
美。
Eros。
存在の在り方。

そういうものを通して、
人が自分自身へ戻っていくプロセスに関心を持ってきた。

実際、それらを扱う場や言葉も作ってきた。

だから私自身も、どこかで「私は人の変容に関わる人間なのだ」と思っていたのだと思う。

けれど、よくよく振り返ってみると、
最初から少し違っていた。

私は、誰かを抱え込みたいと思ったことがない。

お客様に依存してほしいと思ったこともない。

ただ、通り過ぎて行ってくれればいいのだ。
必要なものを受け取ったら、それぞれの場所へ戻っていってほしいと思っていた。

ずっと私のもとにいてほしいわけではない。

私を先生にしてほしくもない。

私の言葉を信じ続けてほしいわけでもない。

その人が自分の足で立ち、
自分の場所へ帰っていくなら、
それが一番いいと思っている。

だから、認定講師制度や、
囲い込みのような仕組みにも、あまり心が動かなかった。

「これを一生の使命として捧げる」という感覚も、正直あまりない。

今、見えているものがある。

だから、創る。

今、形にできるものがある。
だから、言葉にする。

でも、その先のことはわからない。

十年後の私は、まったく別のものを作っているかもしれない。

そのくらいの自由さが、私には自然だった。

つまり私は、確かに変容を扱ってきた。

でも、誰かを変えたいわけではなかった。

人の人生を自分の手で変えたいのではない。

その人の人生を、私の手柄や証明にしたいのでもない。

私はただ、
自分が見たもの、自分が通ってきたもの、自分が美しいと思うものを、
形にしてきただけだったのだと思う。


🔥  私がしてきたのは、創ることだった


では、私は何をしてきたのだろう。

そのことを改めて考えていた。

私は誰かを変えるために、何かを作ってきたのではない。

美しいと思うものがあった。

おもしろいと思う構造があった。

これは大切だと感じる感覚があった。

自分が通ってきたプロセスがあり、
そこから見えてしまったものがあった。

それを、形にしてきただけなのだ。

身体の感覚も。
呼吸も。
Erosも。
言葉も。
宝石も。
存在の在り方も。

最初から「誰かを変えよう」と思っていたわけではない。

ただ、自分が見たものを、
見なかったことにはできなかった。

自分が美しいと思うものを、
美しいと言い、共有したかった。

自分が整合性があると感じる構造を、
曖昧なままにしておきたくなかった。

だから、言葉にした。
だから、形にした。
だから、場を作った。

それを受け取った誰かが、結果として変わることはある。

自分の身体に戻る人がいる。

自分の感覚を信じ始める人がいる。

自分の美しさを受け取る人がいる。

自分の人生を、自分のものとして選び直す人がいる。

それは、私にとってもとても嬉しいこと。

でも、変えることが目的だったわけではない。

私は、変容を生み出すために何かを作っていたのではなく、
自分が本当に美しいと思うものを作っていた。

その美しさに触れた人が、自分の中で何かを思い出す。

その人の中にあるものが、少し動き出す。

変容が起こるとすれば、それはそういう形なのだと思う。

私は、救済者ではないし、
なりたいとも思わない。

誰かを正しい場所へ連れて行く人でもない。

ただ、見えてしまったものを形にする人。
美しいと思うものを創る人。

そして、必要な人がそこを通過していく。

それでいいのだと思う。

私はたぶん、変容の人である前に、
創造の人だったのだ。


🕊 自由を侵食されることが苦手だった


思えば私は昔から、自由を失うことが苦手だった。

誰かに所有されること。
束縛されること。
期待され続けること。
誰かの人生を背負わされること。

そういうものに対して、人より敏感だったのかもしれない。

それは恋愛でも同じだった。
仕事でも同じ。
友人関係でも同じ。

相手が悪いわけではない。
愛情が重いわけでもない。

ただ、どれほど大切な相手であっても、
自分の人生が誰かのものになる感覚には耐えられない。

そして同時に、私は誰かを所有したいとも思わない。

誰かの人生を私のものにしたいわけではない。

私の人生を誰かのものにもしたくない。

その人には、その人の人生がある。
その人の選択がある。
その人の責任がある。

だから私は、お客様にも、
いつか自分の場所へ戻っていってほしいと思っていた。

依存してほしくない。
ずっと私を必要としてほしいわけでもない。

必要なものを受け取ったら、自分の人生へ戻っていけばいい。

私は最初から、そういう感覚だった。

だから、
「育てる」「支える」「変える」という言葉に、時々居心地の悪さを感じる。

もちろん、その言葉自体が悪いとは思わない。

誰かを育てたいと思う人がいてもいい。

支えることに喜びを感じる人がいてもいい。

でも、その言葉の奥に、
「必要とされたい」
「自分がいないと困る人がいてほしい」
「相手の人生に居場所を持ち続けたい」
そんな願いが見えると、私は少し苦しくなる。

それはきっと、私が自由を愛しているからなのだと思う。

私は誰かの人生プロジェクトになりたくない。

そして、誰かを自分の人生プロジェクトにもしたくない。

ただ、おもしろいと思う人と出会い、
美しいと思うものを作り、
好きなものを共有し、
必要なら少し言葉を交わす。
そしてまた、それぞれの場所へ帰っていく。

そんな関係が、私には一番心地よいのだ。


💎 それでも、変容のプロセスは持っている


もちろん、私は変容そのものを否定しているわけではない。

私自身、
自分自身の人生の中で、何度も変わってきた。

身体との付き合い方も。
ものの見方も。
人との関わり方も。
自由の定義も。

そして、その過程でたくさんのものを受け取ってきた。

呼吸。
身体。
感覚。
認識。
言葉。
美。
そして宝石。

私は、自分が通ってきた道を知っている。

苦しかった場所も知っている。

どこで立ち止まり、
どこで視点が変わり、
どこで人生が動き始めたのかも、ある程度わかっている。

だから、本当に変わりたいと思っている人には、それを差し出すことができる。

身体の使い方を伝えることもできる。

認識の癖を一緒に見つめることもできる。

言葉を渡すこともできる。

その人に合う宝石を見立てることもできる。

でも、歩くのは本人だ。

決めるのも本人。
選ぶのも本人。

私は、その人の代わりに人生を歩くことはできない。

私は救済者ではないし、
誰かを引き上げる人でもない。

でも、地図は渡せる。

その道を歩いたことのある者として、
「私はここで迷った」
「ここを越えたら景色が変わった」
そう伝えることはできる。

そして、
その地図を受け取るかどうかも、
歩き出すかどうかも、
その人自身の自由だ。


🌅 私は、人を変えたい人ではなかった


最近思っていること。

もしかすると私は、
誰かを変えるために生きてきたのではなく、
ただ、自分がおもしろいと思うものを追いかけてきただけなのかもしれない。

好きな宝石を集めた。
身体を探究した。
言葉を考えた。
人を愛した。
傷つき、迷い、遠回りもしながら、
自分なりの答えを見つけてきた。

そして振り返ると、その過程で得たものが、
誰かの役に立つことがあった。

だから私は、これからも創る。

美しいと思うものを。
生命が自然に流れるものを。
自分が見つけてしまった構造を。

そして、それを必要とする人が現れたなら、
喜んで差し出したい。

でも、その人が受け取るかどうかは、
その人の自由だ。

変わることも。
変わらないことも。

立ち止まることも。
別の道を選ぶことも。

その人の人生は、その人のものだから。

私はたぶん、そのことを信頼している。

だから、人を変えたいとは思わないのだろう。

ただ、自分が本当に美しいと思うものを創り続けたい。

今は、それで十分なのだ。




美しいと思うものを創る。
面白いと思うことを探究する。
見つけてしまったものを形にする。
私はたぶん、
これからもそんなふうに生きていきます。
もし、その途中で何か響くものがあったなら。
また、どこかでお会いしましょう。

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