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こんなに話しているのに、なぜ誰とも深くつながれないのかーー「わかってほしい」と願いながら、一番大事な自分だけを隠していないか

You talk. But do you show yourself?

🗣️ たくさん話しているのに、なぜか距離が縮まらない


世の中には、よく話す人がいる。

自分の過去のこと。
家族のこと。
仕事のこと。
恋愛や人間関係のこと。
悩みも、つらかった出来事も、かなり詳しく話してくれる。

本人もたぶん、
「私はけっこう自己開示している」
と思っている。

実際、こちらもその人について、たくさんの情報を知ることになる。

どんな家庭で育ったのか。
どんなことで傷ついたのか。
誰と何があったのか。
今、何に困っているのか。

でも、不思議なことに。

たくさん話を聞いたはずなのに、
「この人のことを知った」
という感じが、あまりしないことがある。

情報は増えている。
エピソードも増えている。

なのに、その人自身には近づいていないような感覚が残る。

昔から、ときどきこの違和感があった。

いっぱい喋っているのに、何も話してない人。

そして最近、その正体が少しわかった気がする。

話している量と、
自分を見せている深さは、
まったく同じではないのだ。

人は、自分に起きた出来事をたくさん話すことができる。

そのとき何を言われたか。
誰に何をされたか。
どんな気持ちになったか。
そこまでは、かなり細かく話せる。

でも、
「では、自分は本当は何を怖がっているのか」

「本当は何を望んでいるのか」

「なぜ、そこで動けなくなるのか」

「自分は何を失うことを、そんなに恐れているのか」
そこが、ぽっかり抜けていることがある。

話を聞けば聞くほど、
周辺の情報はたくさんあるのに、
中心だけが見えない。

そして本人自身も、そのことに気づいていない。

むしろ、
「私はこんなに自分のことを話している」
という感覚があるからこそ、
「これだけ話したのだから、わかってくれるはず」
という期待が生まれることもある。

でも、出来事を話すことと、
自分そのものを差し出すことは違うのだ。

自分の人生について話しながら、
自分自身はずっと安全な場所に残ることもできる。

何があったかは話している。
何を感じたかも話している。

でも、その奥にある、
「本当はここが怖い」
「本当はこうしたい」
「でも、それを選ぶのが怖い」
という場所には、自分でも近づかない。

だから、たくさん話しているのに、なぜか距離が縮まらない。

相手との距離だけではなく、
もしかすると、
自分自身との距離も縮まっていない。

そんなことがあるのだと思う。

自己開示の深さは、話した情報量では測れない。


🔐 一番守りたい場所だけは、見せていない


人は、自分のことを全部隠しているわけではない。
むしろ、かなり話せる。

過去にあったことも、
誰かに傷つけられたことも、
今抱えている悩みも話せる。

場合によっては、泣きながら話すことだってある。

だから本人にも、
「ここまで話しているのだから、私はかなり自分をさらけ出している」
という感覚があるのだと思う。

でも、その中にひとつだけ。

どうしても触れない場所が残っていることがある。

「ここを見たら、自分が揺らぐ」
「ここを認めたら、今までの自分ではいられない」
そんな場所だ。

本当は、拒絶されるのがものすごく怖い。

本当は、自分には価値がないと思っている。

本当は、誰かに寄りかかりたい。

本当は、失敗することよりも、失敗した自分を直視することが怖い。

本当は、自分が選ばれるとは思えていない。

そういう核の部分には触れずに、その周りにある出来事や感情だけを語る。

だから話はたくさんある。

でも、一番大事なところだけは、ずっと無傷のまま残っている。

この構造を見ていると、
自分は安全圏にいたまま、相手には多くを求めている
という状態になることがあるのだと感じる。

わかってほしい。
受け止めてほしい。
安心させてほしい。
自分のことを否定しないでほしい。

できれば、こちらが一番怖がっている場所まで察して、丁寧に扱ってほしい。

でも自分自身は、その場所に立とうとしない。

相手にはそこまで来てほしいのに、
自分は一歩手前で止まっている。

これでは、関係が深まらないのも当然なのかもしれない。

親密さというのは、一方だけが近づいてくることで生まれるものではないからだ。

自分もまた、自分の本当の場所から一歩出ていく必要がある。

もちろん、無理に何でも見せればいいという話ではない。

誰に対しても弱さをさらけ出す必要もないし、守るべき境界線はあっていい。

でも、
自分を守ることと、自分を隠すことは違う。

守っているつもりで、
実は自分自身からも見えないようにしている場所がある。

その場所に触れないまま、
「誰かにわかってもらえれば、きっと満たされる」
と期待していると、
たくさん話しても、
たくさん共感してもらっても、
どこか満たされない。

なぜなら、自分自身がまだ、その場所にいないからだ。

人は、たくさん話しながらでも、
核心だけを巧妙に守り続けることができる。

そして案外、その守っている一点こそが、
その人が本当に誰かと出会うための入り口だったりするのだ。

人は、たくさん話しながらでも、自分の核心だけを守り続けることができる。


🪞 「わかってほしい」が強いほど、自分を見ていないことがある


人に自分を見せることよりも、
本当はもっと難しいことがある。

それは、
自分自身が、自分を見ること。


「誰も私のことをわかってくれない」
と思う人は多い。

たしかに、本当に理解されなかった経験もあると思う。

ちゃんと話したのに受け止めてもらえなかったり、
大切な気持ちを軽く扱われたり。

そういうことは実際にある。

私にもある。

でも一方で、
「わかってほしい」という気持ちが強いほど、
自分自身がいちばん見たくないところから目を逸らしていることもある。

本当は、何が怖いのか。

本当は、何を望んでいるのか。

本当は、誰かに何をしてほしいのか。

本当は、自分で何を選ばなければならないとわかっているのか。

そこを自分では見ないまま、
誰かに理解してもらうことで安心しようとする。

すると、関係の役割は少しずつ変わっていく。

相手と一緒に自分を見るための関係ではなく、
自分を見なくても済むように、相手に支えてもらう関係
になってしまう。

その状態では、相手がどれだけ共感してくれても、
どこかで足りなくなる。

もっとわかってほしい。
もっと受け止めてほしい。
もっと安心させてほしい。

でも、自分が自分から目を逸らしている限り、
誰かが代わりにそこを引き受けることはできない。

だからといって、
必ずそこまで見なければいけない、と私は思っているわけではない。

見たくないなら、見ないという選択もある。

怖い場所を越えずに生きることも、
その人の自由だから。

人にはそれぞれ、自分の速度があるし、
どこまで自分と向き合うかも、自分で決めていい。

ただし、
そこを見ないまま得られる親密さには、
どうしても限界がある。

自分が入っていない場所に、
他人だけを招き入れることはできないからだ。

深くつながりたいなら、
まず自分が、
自分の本当の場所に立っている必要がある。

誰かにわかってもらうことより先に、
「私は本当はこうなんだ」
と、自分自身が気づいていること。

それだけでも、
人との関係の質は大きく変わるのだと思う。

他人にわかってもらう前に、自分が自分から目を逸らしていないか。


🌊 親密さは、安全な場所ではなく、一緒に揺れられる場所


人と深くつながるというのは、
何でも話すことではない。

秘密をなくすことでもないし、
いつでも弱さを見せることでもない。

むしろ大切なのは、
自分が本当に怖がっていることに、自分自身が気づいていることなのだと思う。

私はここが怖い。

ここでは逃げたくなる。

本当はこうしたい。

でも、それを選ぶのが怖い。

そういうことを、まず自分が知っている。

そして必要なときには、
その自分の場所から相手に差し出すことができる。

そこには、当然リスクがある。

相手が期待通りに受け取ってくれるとは限らない。

理解してくれないかもしれないし、
こちらが望んだ反応を返してくれないこともある。

でも、そのリスクを完全に消したまま、
親密さだけを得ることはできない。

相手にどう受け取られるか分からないものを、
少しだけ差し出すからこそ、
そこで初めて関係が動くことがある。

もちろん、
安全圏から出ることと、無防備になることは違う。

境界線は持っていていい。

誰にでも自分の深い部分を見せる必要はないし、
信頼できない相手からは距離を取っていい。

ただ、

自分を守ることと、自分を隠すことは違う。

ここは、かなり大きな違いだと思う。

最近、私はときどき、
人と話していて「つまらない」と感じることがある。

以前は、それが何なのかうまく説明できなかった。

でも今は少し分かる。

たくさん話しているのに、何も動かない。

感情も語っているし、
過去も語っている。

でも、自分を見せているようで、
実は何も賭けていない。

一番大事なところだけは安全な場所に置いたまま、
相手との距離だけを縮めようとしている。

だから、会話が深まらない。

上滑りする会話が流れていくだけの時間。

私はもう、そういう関係にはあまり惹かれなくなったのだと思う。

これは、その人が悪いという話ではない。

そこまで深く自分を見ないことも、
その人の人生の選択だから。

ただ私は、

お互いが自分の場所にちゃんと立ったまま、
少し揺れたり、
少し怖がったりしながら、
それでも出会っていける関係の方が好きだ。

親密さとは、
完全に安全になることではないのかもしれない。

むしろ、

少し揺れる可能性があっても、自分を隠さずにそこにいられること。

そういう場所で初めて、
本当に相手と出会えるのだと思う。

親密さとは、何でも話すことではなく、自分の本当の場所から相手と出会うこと。

そして、そういう人が今周りにいてくれることを、とても嬉しく思う。


ここまで書いた「わかってほしい」と、
別の記事で書いた「伝わらなくても、その関係の価値は減らない」は、
似ているようで、立っている場所が違います。

前者は、自分を隠したまま理解を求めること。
後者は、そもそも理解されることを、自分や関係の価値の条件にしていないこと。

その違いについては、こちらで書いています。

▶︎ 有料note
「伝わらなかった関係、続かなかった関係について
——人の反応に、自己価値を預けなくなったら何が起きるか」



こうして、自分の感覚を取り戻しながら、
自分の人生を、自分のものとして生きていくこと。

Harmoniousで扱っているのも、
結局はこのことなのだと思っています。

頭で正しい答えを知ることではなく、

身体で感じ、
自分の本音に触れ、
これまでとは違う現実を実際に経験しながら、

少しずつ、自分自身の生命が自然に動ける場所へ戻っていく。

そのための入り口として、
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