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自由は、「誰にも何も言われないこと」ではなかったーー選択肢が増えた先で、自分の人生を自分で選び直すということ

Freedom is choosing where you stand.


🕊️ 誰にも止められていないのに、自由ではないことがある


「自由」と聞くと、以前の私は、

やりたいことをしていいこと。
誰にも指図されないこと。
嫌ならやめられること。
制約が少ないこと。

そんな状態を思い浮かべていた。

実際、それも自由の一部ではあると思う。

でも、自分で仕事を作ったり、
何かを企画したり、
誰にも正解を決めてもらえない場面が増えるほど、
自由というものが、少し違って見えてきた。

誰も止めていない。
何を選んでもいい。

やってもいいし、
やめてもいい。

なのに、
「これで合っている?」
「誰か正解を教えて」
「失敗したらどうしよう」
と、判断だけは外に置きたくなることがある。

外側には自由があるのに、
内側ではまだ、誰かの許可を待っている。

どうやらそんな状態もあるようだ。

もちろん、
人に相談することが悪いわけではない。

私も相談する。
情報も集める。
専門家の意見も聞く。
自分には見えていないことを、
誰かに教えてもらうこともある。

でも、
「意見を聞くこと」と、
「自分の選択を誰かに預けること」は、
たぶん違うのだ。

誰かの意見を聞いたあと、
「だから、その人の言う通りにした」
で終わるのか。

それとも、
いくつかの意見を受け取ったうえで、
「私はこれを選ぶ」
と、自分のところへ判断を戻してくるのか。

この違いは、
思っている以上に大きい気がする。

誰かが決めてくれれば、
少し楽ではある。

うまくいかなかったときにも、
「あの人がそう言ったから」
と言える。

でも、その代わりに、
自分が選ぶという行為そのものまで、
少しずつ外へ渡してしまう。

だから最近では、
自由というのは、選択肢が多いことだけではないのだと思うようになった。

何を選んでもいい状況にいることと、
自分で選べていることは、
別の話なのだ。

誰にも止められていないのに、
なぜか身動きが取れない。

もしそんなことがあるとしたら、
足りないのは自由そのものではなく、

最後の判断を、
自分の手に戻すことなのかもしれない。

自由を奪うのは、外からの制約だけではない。

自分の選択を誰かに預け続けることでも、自由は小さくなる。


🎯 選択肢が増えるほど、「自分で決める」は重くなる


選択肢が少ないときは、ある意味で楽だ。

「これしかないから」と言える。

誰かに決められたなら、
「そう言われたから」とも言える。

でも、本当に自由度が上がってくると、状況は少し変わる。

Aでもいい。
Bでもいい。

続けてもいい。
やめてもいい。

いったん離れて、あとから戻ってもいい。
別のものを作ってもいい。

そうなると、それまで外側にあった「決める理由」が急になくなる。

そして初めて、
私は、何を選びたいんだろう
という問いが、自分のところに戻ってくる。

自由というのは、もっと軽やかなものだと思っていた。

制約が減って、選択肢が増えて、身動きが取りやすくなる。

もちろん、そういう時もある。

でも実際には、選択肢が増えるほど、
「自分は何を大事にしたいのか」
「何なら納得して引き受けられるのか」
「どこに違和感があるのか」
といった、自分自身の感覚や価値基準が必要になる。

誰かが決めてくれていたときには、
そこまで自分に問いかけなくても済んだことまで、
自分で選べるようになった途端に、こちらへ返ってくる。

だから人は、ときに、
自由になったあとで不安になるのだと思う。

選択肢が増えたのに、なぜか決められない。

好きにしていいと言われたのに、動けない。

それは、自由が足りないからではなく、
むしろ自由が増えたことで、
自分の基準が必要になったからなのかもしれない。

ただ、ここで私は、
迷わず決められる人の方が偉い、凄い、とは思ってはいない。

迷ってもいい。
人の意見に揺れてもいい。

一度選んだあとに、
「やっぱり違った」と思ってもいい。

途中で方向を変えることだってある。

むしろ、
最初から一度も迷わず、
絶対に間違えないことを自由と呼ぶなら、
それはかなり窮屈だ。

大事なのは、
一度決めたことに縛られ続けることではなく、
その時々で、
「今の私は、どこに立ちたいのか」
を問い直せることなのだと思う。

選ぶ。
やってみる。
違えば、また選び直す。

自由は、
最初から正解を選び取る力ではなく、
何度でも自分の位置を選び直せることではないだろうか。

自由とは、選択肢がたくさんあることより、
その中から自分の位置を選べることなのかもしれない。


🧱 引き受けるのは、「全部自分のせい」という意味ではない


「自分で選んだことを引き受ける」と書くと、
少し強い言葉に聞こえたりもする。

何が起きても自己責任。
失敗したのは自分のせい。
選んだ以上、文句を言うな。

そんな意味に受け取られることもあると思う。

でも、私が言いたいのは、
そういうことではない。

現実には、
自分ではどうにもできないことがいくらでもある。

他人がどう動くか。
偶然何が起こるか。
環境がどう変わるか。

制度や社会の仕組み。
その時点では知りようがなかった情報。
予測できなかった出来事。

どれだけ丁寧に考えて選んでも、
結果まで全部コントロールできるわけではない。

だから、
起きたことのすべてを
「自分が悪かった」と引き取る必要はない。

それは責任というより、
必要以上に自分を責めることになってしまうから。

私がここでいう「引き受ける」は、もっと別のことだ。

あの時点の私は、これを選んだ。

まず、その事実を自分のものとして認めること。

その選択がうまくいかなかったなら、
「私はダメだった」
で終わらせるのではなく、何が違ったのかを見る。

情報が足りなかったのか。
自分の感覚を無視していたのか。
途中で状況が変わったのか。

それとも、
その時点では十分に納得できる選択だったけれど、
結果だけが思ったものと違ったのか。

そこを見れば、
次の選び方は変えられる。

違和感が出たなら、
選び直していい。

続けると決めたものを、
途中でやめてもいい。

一度引き受けたからといって、
最後まで同じ決断に縛られ続けることが、
責任ではないと思う。

むしろ、
「もう違う」と分かったのに、
昔の自分の決断だけを守り続ける方が、
今の自分から選択権を奪ってしまうこともある。

だから責任というのは、
罰を受けることでも、
失敗を全部自分のせいにすることでもなく、
自分の人生の選択権を、自分のところに残しておくことなのだと思う。

過去に何を選んだとしても、
状況がどう変わったとしても、
最後に残るのは、
「では、ここから私はどうする?」
という問いだ。

その問いまで誰かに預けない。

それが、
私にとっての「引き受ける」という意味。

引き受けるとは、すべてを自分のせいにすることではなく、
「ここから私はどうするか」という選択権を手放さないこと。


🌿 自由は、「いつでも自分の位置へ戻れる」感覚なのかもしれない


自由というのは、
誰にも頼らないことではない。
何にも縛られないことでもない。
好き放題に生きることでもない。

人と関われば、
約束も生まれる。
責任を持つこともある。

ときには、
自分だけの都合では決められないこともある。

誰かの事情に合わせることもあるし、
自分の希望をいったん脇に置くことだってある。

それでも、
「私は、なぜここにいるんだろう」
「今も、ここを選んでいるんだろうか」
と、自分に問い直せること。

私は最近、
そこに自由がある気がしている。

一度選んだからといって、
ずっと同じ場所にい続けなければならないわけではない。

違うと思ったなら、
変えていい。
離れていい。
やり直していい。
もう一度、選び直していい。

大事なのは、
最初から何にも縛られないことではなく、
自分の中に、選び直せる余地が残っていること
なのだと思う。

これは、
私がよく使う「正位置」という感覚とも、つながっている。

正位置というと、
一度見つけた正しい場所に、
ずっと立ち続けることのようにも聞こえる。

でも、私にとってはそうではない。

人は変わる。
状況も変わる。
関わる人も変わる。
昨日は自然だった場所が、
今の自分にはもう合わないこともある。

だから正位置は、
固定された一点というより、
今の自分が、自分の選択として立てる場所へ、何度でも戻ってくること。

場所ではなく、向きなのだ。

そう考えると、
自由と責任は、
反対側にあるものではないのかもしれない。

責任を持ったら自由が減る。

何かを引き受けたら、身動きが取れなくなる。

そういう面も確かにある。

でも同時に、
「これは私が選んでいる」
という感覚を持てるからこそ、
違うと思ったときには、
また自分で選び直すこともできる。

誰かの許可を待たなくてもいい。

過去の自分の決断に、
永遠に従い続けなくてもいい。

自分の人生の選択権が、
まだ自分の手の中にある。

たぶん私は、
その感覚を
「自由」と呼びたいのだと思う。

自由とは、何の責任もない場所ではなく、自分の選択を自分の手に戻しながら、何度でも位置を選び直せることなのだと思う。



誰かに正解を決めてもらうのではなく、
自分の感覚に戻り、
今の自分がどこに立ちたいのかを選び直していくこと。
Harmoniousで扱っているのも、
こうした「自分の人生の選択権を、自分の手に戻していくこと」なのだと思っています。
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