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「学ぶとは 数学と歴史学の対話」伊原康隆、藤原辰史(@ミシマ社)

「学ぶとは 数学と歴史学の対話」伊原康隆、藤原辰史(@ミシマ社)

 文系・理系という言葉がある。そして、最近は文理融合という言葉も良くメディアに登場する。本書は、その文系の歴史学(西洋史なかでも近現代のドイツ)を学んだ藤原さんが師と仰ぐ、理系の最右翼の学問でもある数学者の井原康隆氏との往復書簡を書籍化したもの。「学ぶ」ということの本質がこの往復書簡で見えてくる。具体的な詳細は読めばそれぞれがそれぞれの想いを持つというような仕組みになっている。
 良く、ある人を「師」であると思った時が「学ぶ」とか「師弟関係」が生まれる瞬間なのではないか?ということが言われている。井原さんは大学を退官されてからも自らの好奇心のおもむくままに生物学などをはじめ、様々な学問を並行して学ばれている。ただ単に純粋に好奇心の赴くままに。しかも、その学びの深度が深く大きく、本質を理解するところへと向かっていかれる。だからこそなのか、井原さんが数学などの難しい考え方を説明することが「そもそも論」に基づいているので、概念が理解しやすく説明することが出来てるんや!と驚いた。それこそが、ちゃんと学ぶことなのでは?
 そして、好奇心があるといつまでも学ぶことが出来ることを1938年生まれの井原さんが語るのを見て実感する。さらには、専門を深く学ぶことも大事なのだが、それ以外に大きな視点でいろいろなジャンルを学ぶことで、学びが横につながっていくという体験を、この著者である、藤原さんも、井原さんも実行されていることがわかる。
 
 本書の編集・発行はミシマ社という独特な特徴のある出版社の仕事。三島邦弘さんが手がけている出版やファンコミュニティの醸成などの様々な仕組みで利益を確保しつつ出版業界そして書店業界を盛り上げていこうという理念に共感する。ミシマ社の特徴的なこととして東京だけでなく、京都にも拠点を置いているところ。本書をお書きになった二人も京都大学という経験のプラットフォームが共通している。国家や官庁の東京の発信とは違う見方でものを見る場所があることの重要さをミシマ社は知っていたからこそ敢えての京都の拠点なのか?
 実は、関西に越して来た私には越して2年が過ぎるが、関西のカウンターカルチャー的な志向があるのかないのか?まだちゃんと見えて来てはいない!中央から離れたところから見るという視点によって何か、新たな価値みたいなものを発見できるのだろうか?そのためには、私も様々なジャンルのことを学ばなければいけないと感じるし、それを面白がれる好奇心を持ち続けたいと思うのです。
 最後にAI時代になって感じておられることを書いたコラムの印象的だった部分を引用して終わりにする。

P326より

AIはバッハ「のような」音楽をいくらでも作曲できるといわれます。しかしそれはバッハの音楽が人々の心に深く響いた結果、人間社会においてそれを十分評価できるだけの文化的基盤が育ち、
その影響を受けた作品が大量に出回ったことの帰結である
大量のパターンから希少なパターンを選んだのは人間である
ということも我々は決して忘れてはいけないでしょう。(中略)
AIやほかの動物にはできず人間にしかできないことは何といっても
「自由意志の発揮」であろう。
とお書きになっている。

2025年4月発行。


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