『モモの古道具屋さん』タイトル:パスワード(第六走者)
『モモの古道具屋さん』
タイトル:パスワード
エルフィアの森の奥には、大きな古木をそのまま店にした、少し変わった『古道具屋』がある。
店番をしているのは、白い翼を持つエルフィア族の少女、モモ。
古びた道具や、誰かの思い出が染みついた品々に囲まれながら、今日も気ままに客を待っていた。
店を訪れるのは、品物を買いに来る者ばかりではない。
手放したいものを抱えた者もいれば、何を探しているのか、自分でも分からないまま扉を開ける者もいる。
その日、モモの古道具屋を訪れたのは、ひとりの不思議な客。
カランコロン、と店のドアが開いた。
「いらっしゃ~い。今日は、モモちゃんに売ってもらいたい? それとも、買ってもら……え?」
元気よく振り返ったモモは、途中で言葉を止めた。
入ってきたのは、半ズボン姿の少年だった。
年の頃は十歳ほどだろうか。
にこにこと人懐こそうに笑っているものの、その身体はどこか不自然に透き通り、背後にあるドアの柄がうっすらと見えている。
「あれ? あなた、透けてるね。生きてないの?」
モモが小首を傾げて尋ねる。
「うん。いわゆる、妖怪ってやつかなぁ。怖くない座敷童だよ。名前はピコって言うんだ」
少年は、またにこにこして答えた。
「怖くないって、自分で言うんだね」
「実際、怖くないからねぇ」
ピコは得意そうに胸を張ったあと、申し訳なさそうに両手を合わせた。
「ごめんね。今日は、売るものも買うものもないんだ。ただ、そこのパソコンについてお願いがあってさ」
彼が指さしたのは、店の隅に置かれている古いデスクトップパソコンだった。
分厚い画面と、黄ばんだ大きな本体。
閉校が決まった小学校から運び込まれたものの、まともに動かなかったため、まだ値札もつけられていない。
「え? この中身?」
モモは目をぱちくりさせた。
「これさぁ、電源を入れても動きがおかしいから、中身までは確認してないよ」
「このご時世に、前の持ち主の個人情報を削除したかどうかも確認しないで売ろうとするのは、かなりやばいね」
ピコがませた口調で肩をすくめる。
「なによぉ」
モモは頬を膨らませながら、重たいパソコンの本体を店の中央へ引っ張り出した。
「これがどうしたのよ」
「このパソコンは、ずっと地元の小学校にあったものでね。ぼくも、その学校に住んでいる座敷童なんだよ」
ピコは古い本体へ近づくと、懐かしそうに手を伸ばした。
「ある意味、ぼくは、こういう古いものから生まれた妖怪なのさ」
「でも、あの学校は今年で廃校になるんでしょ? だから、このパソコンもここへ売られてきたんだし」
「うん」
ピコは頷いた。
「学校がなくなるタイミングで、たぶん、ぼくも消えるんだ」
先ほどまでの明るい声が、わずかに曇る。
「でも、その前に、どうしてもこのパソコンについて確かめたいことがあってさ。それが、ずっと心残りなんだ」
「心残りって、なによ」
モモが促すと、ピコは古い画面を見つめながら、ゆっくりと語り始めた。
それは、数十年前の出来事だった。
当時、この小学校には、とても仲の良い二人の男の子がいた。
雨が降って校庭で遊べない日には、二人はいつもコンピューター室へやってきた。
キーボードを奪い合うようにして使ったり、絵を描いたり、互いの声を録音したりして、休み時間や放課後を過ごしていたという。
やがて二人は、パソコンの中に一つのフォルダを作った。
『大人になったら開くフォルダ』
未来の自分たちへ宛てたメッセージや、二人で作った絵を保存し、「十二文字のパスワード」を設定した。
前半の六文字を一人が、後半の六文字をもう一人が考え、それぞれが片方だけを覚えた。
二人が揃わなければ、決して開けられない約束のフォルダだった。
しかし、卒業を目前にした冬、二人は激しい喧嘩をした。
一人が遠くの町へ引っ越すことを、ずっと黙っていたのが原因だった。
寂しさを素直に口にすることができず、傷ついたもう一人は、「もう友達じゃない」と言い放って部屋を飛び出した。
二人は仲直りできないまま卒業し、そのまま離れ離れになってしまったのだ。
「その男の子たちの名前はね、コウタとタツヒコって言うんだ。古い記録に名前は残っていたんだけど、さすがに昔過ぎて二人の顔がうまく思い出せなくてさ」
ピコは悲しげに目を伏せる。
「どれだけ待っても、二人はこのパソコンのところへ戻ってこなかったんだ。思い出のフォルダも、ずっと閉じたまま。それが心残りなんだよぉ」
その話を聞き終えたモモは、思わず目頭を押さえた。
「あんた、いいやつなんじゃん……」
鼻をすすりながら、半透明な少年を見る。
「でも、モモは機械に詳しくないからなぁ」
モモはしばらく考えたあと、突然、ポンと手を打った。
「あ、そうだ。この前、機械に詳しいおじいさんを買ったんだった!」
「人を、買ったの?」
「電気製品の修理が得意で、理数系にも強いって言ってたから、呼んでみるね」
モモはピコの疑問には答えず、壁に掛けられた電話機へ手を伸ばした。
手元のメモ帳をめくり、そこに書かれている名前を確認する。
「あれ? やだ。おじいさんの名前、安達浩太っていうじゃない。さっきのコウタと同じ名前だね。世の中、偶然ってあるものねぇ」
モモは不思議そうに呟きながら、受話器を耳に当てた。
数回の呼び出し音のあと、穏やかな老人の声が聞こえてくる。
古いパソコンを見てほしいと伝えると、おじいさんはすぐに店まで来てくれることになった。
しばらくして、カランコロンと、再びドアのベルが鳴った。
「やあ、モモちゃん。待たせたね」
道具箱を提げて現れたのは、先日、便利屋として店に買われることになったおじいさんだった。
「おじいさん、こっちこっち。見てほしいのは、これだよ」
モモがカウンターの上に置かれたパソコンを指さす。
浩太はその機械を一目見た途端、ゆっくりと足を止めた。
本体の角に残る深い傷。
側面に貼られた、色褪せた学校の備品番号。
浩太は道具箱を床に置くと、震える指先で、そのシールをそっとなぞった。
「このパソコン……ここにあったのか。あの小学校の備品だね。私も、子どもの頃に通っていたんだよ」
遠い昔を見つめるような声だった。
浩太はゆっくりと椅子に腰を下ろし、画面の前に座った。
モモは、傍らに立つピコと浩太を交互に見比べる。
「おじいさんには、ピコが見えないんだねぇ。さすが幽霊」
「幽霊ちゃうわ! 座敷童だから!」
勢いよく言い返したピコを見て、モモはクスクスと笑った。
浩太は二人のやり取りには気づかないまま、震える手で電源ボタンを押し込んだ。
低い駆動音とともに、内部のファンがゆっくりと回り始める。
しばらくすると、暗かった画面に淡い光が浮かび、古いオペレーティングシステムが立ち上がった。
浩太は慣れた手つきでキーボードを叩き、次々と画面を開いていく。
「すごい! このおじいさん、買ってよかったぁ」
モモが感嘆の声を上げた。
「私は、売られた覚えも買われた覚えもないんだがね」
浩太は画面を見たまま、かすかに笑った。
「ピコ、どのフォルダなの?」
「この奥にある、鍵のかかったフォルダだよ」
ピコの指示を、モモが浩太へ伝える。
すると浩太は驚くこともなく、何度も深く頷いた。
「ああ。分かっている」
「分かってるの?」
浩太は、画面の奥から一つのフォルダを表示させた。
『大人になったら開くフォルダ』
「このパスワードの半分を知っているのは……私なんだ」
その言葉に、モモはハッと息をのんだ。
「おじいさんが、これを作った二人のうちの一人、コウタなの!?」
おじいさんは、画面を見つめたまま小さく頷く。
「やだぁ。偶然がすぎて、寒気がする」
けれど、浩太の表情には喜びよりも、深い後悔が浮かんでいた。
「閉校が決まる前にも、学校に頼んで何度かこのパソコンを使わせてもらったんだ。このフォルダを開こうと、何度も、何度も挑戦した。けれど、どうしても開けなかった」
その声は、遠い過去の中を彷徨っているようだった。
「パスワードの残り半分は、喧嘩別れした友達が決めたものだからね」
浩太は記憶している前半の六文字を入力した。
そのあとに、思いつく限りの言葉を続けて打ち込んでいく。
二人が遊んだ場所。
好きだった食べ物。
通っていた小学校の名前。
けれど、そのたびに、画面には無情なエラーメッセージが表示された。
『パスワードが一致しません』
浩太は何度も同じ六文字を入力し、その後ろへ違う言葉をつけ足していった。
それでも、閉ざされたフォルダが開くことはない。
窓から差し込んでいた昼の光が、少しずつ夕暮れの色へ変わっていく。
やがて浩太の指が止まった。
俯いた肩が、小さく震えている。
「本当は、引っ越すと聞いて寂しかっただけなんだ。それなのに、どうして黙っていたんだと責めてしまった」
浩太の声が掠れた。
「最後まで謝れないまま、遠くへ行った。そして、そのあと病気で亡くなったと聞いた。私は絶対にもう一度ここで会えると……勝手に思いこんで……」
何十年ものあいだ胸の奥に残り続けていた後悔が、浩太の背中を震わせていた。
「ねぇ、もうこのフォルダ開くの……無理なんじゃない?」
モモが小さな声で言い、ピコを振り返った。
けれど、ピコは答えなかった。
真剣な眼差しで、浩太が入力した文字列をじっと見つめている。
画面には、前半の六文字が表示されていた。
『あだちこうた』
ピコの脳裏に、夕暮れ時のコンピューター室が蘇る。
キーボードを二人で取り合うように叩いたこと。
パソコンを操作するたび、「ピコピコ鳴って面白いな」と笑ったこと。
それを聞いた浩太が、達彦のことを「今日からお前はタツピコだ、いや、略してピコだ」と呼び始めたこと。
その呼び名を、達彦自身も気に入っていた。
そして、互いに謝れないまま別れてしまった日のこと。
引っ越した先で持病が悪化し、もう一度浩太に会うという約束を果たせないまま、この世を去ったこと。
すべての記憶が、ピコの中へ戻ってきた。
「なんで……ぼくは、忘れていたんだろう」
ピコが、ぽつりと呟いた。
「そうだった。もう半分はぼくが決めたんだ」
ピコは浩太の後ろへ回った。
震える老人の手に、自分の小さな手をそっと重ねる。
本来なら触れることのできない指先が、その時だけ、浩太の手の中へ淡い光となって溶け込んだ。
浩太の人差し指が、ゆっくりと動く。
一文字。
また一文字。
誰かに導かれるように、キーを押していく。
『た』
『う』
『こ』
『ち』
『だ』
『あ』
『たうこちだあ』
この六文字が、ゆっくりと入力欄の後半を埋めた。
最後に、浩太の指がエンターキーを押す。
一瞬、画面が静止した。
やがてパスワード認証が通り、長いあいだ閉ざされていたフォルダが、音もなく開いた。
画面いっぱいに、不格好な絵や、未来の自分たちへ宛てたメッセージが広がる。
続いて、一つの音声ファイルが再生された。
『なあ、ピコ。大人になっても、ずっと友達だよな』
スピーカーから聞こえてきたのは、幼い浩太の声だった。
『またピコって呼んだな?まあ、嫌いじゃないけどさ』
笑いながら答える、達彦の声が続く。
浩太は涙を拭うことも忘れ、画面を見つめた。
やがて、誰もいないはずの自分の隣へ、ゆっくりと視線を彷徨わせる。
「達彦……ピコ……そこにいるのか?」
声が激しく震えていた。
「ずっと待たせて、ごめん。あのとき意地を張って、最後まで謝れなくて……ごめんな」
浩太は机にしがみつき、子どものように泣き始めた。
「ずっと、もう一度会いたかった」
ピコは、泣き崩れる浩太を見つめた。
自分は、古い機械から生まれた座敷童ではなかった。
あの日、浩太と仲直りできないまま、この世を去った少年――達彦だったのだ。
「浩太」
ピコは、優しく親友の名を呼んだ。
けれど、その声は浩太には届かない。
ピコは、古いマウスを握りしめている浩太の手へ、もう一度、自分の手を重ねた。
浩太には見えない。
触れている感覚も、きっとない。
それでも浩太は何かを感じ取ったように、手の甲へもう片方の手を重ねた。
ふたりの目の前にある画面の中で再生されているものは、単なる無機質なデータではない。
あの頃、二人が同じ場所で笑い、同じ未来を信じていた、かけがえのない思い出という名の宝物だった。
モモは何も言わず、二人の姿を見守っていた。
やがて、ピコの身体から淡い光の粒がこぼれ始める。
半透明だった輪郭が、夕暮れの光の中へ少しずつ溶けていく。
「ピコ……」
モモが名前を呼ぶと、ピコはまた得意そうに笑った。
「ちゃんと、二人で開けられたよ。ありがとう」
その声を最後に、少年の姿は無数の小さな光となった。
光は古い画面の周りを一度だけ優しく巡り、窓から差し込む夕日の中へ溶けていく。
あとには、温かな電子音と、パソコンから流れる幼い二人の笑い声だけが残った。
浩太は、誰もいなくなった空間へ向かって呟いた。
「この店は、不思議で……とても素敵な場所だな」
「ふふっ、そうだよ。モモのお店にはね、こうして巡り会うべき人とものが集まってくるんだから」
モモはこっそり涙を拭いながら頷いた。
(おしまい)
第六走者、晴久が担当させていただきました。
KoKoRoの物語リレー『モモの古道具屋さん』、第6走者として参加させていただきました。ありがとうございました!
少し前のお話(第三走者のみっちゃん様著)から「何でもできるおじいさん」をお借りして、古道具屋にあった一台の古いパソコンにまつわる物語を書きました。
……🏃♂️➡️…🏃🏻♀️➡️…🏃🏻♀️➡️…🏃♂️➡️……
KoKoRo物語リレーの、第七走者の方は出来次第どうぞ!
たのしみにお待ちしております!
