過去の自分が醜く見えて、自分を肯定してあげられない。どうしたらいいんだろう
こんにちは、さかな(坂菜アヤ)です。
このマガジンでは、人を好きになれずに「彼氏いない歴=年齢」だった私が、幸せな結婚をするまでにした心の整え方を振り返って書き残しています。
現在進行形で同じ思いをしている誰かに、ひょっとして役に立ったら嬉しいです。
前回は、「外見コンプレックスを克服したと思っても、自己否定感は染みついたままのことがある」という話をしました。
私は、もともと外見コンプレックスがあり、
メイクやおしゃれなどで外見を綺麗にすることで自信をつけてきたのですが、
どうやら心の底で「今の自分はよくなったけど、醜かった自分はだめだ」という否定感がずっと残っていたようです。
外見コンプレックスを克服したと思っても、
実は心の奥底ではずっと昔の自分を嫌っていたんですね。
外見を整えたことで満足してしまっていて、本当は心もケアしてほしがっていたことに、全然気づきませんでした。
そこで前回の話では、自分の心への寄り添い方として、ちょっとした毎日の小さなことを紹介してみましたが、
人によってはそれができないこともあると思うので、今日はその話をしようと思います。
「昔傷ついた自分に寄り添って自分で癒してあげるのが大事」というのは、最近とてもよく言われることです。
私も当時の自分に想像の中で寄り添おうとして、前回の記事で書いたように自分をなでたり深呼吸して語り掛けたり色々しました。
でも、実ははじめは、それがうまくできなかったんですね。
「寄り添ってあげたいけど、当時の自分が醜く見えて、うまく肯定してあげられない」
なんて、ひどいことを思ってしまって・・・・・・
「当時の自分は努力してないから自己責任」とか。
「どうしても今の自分の美意識では見ていられないパーツがある」とか。
「事情があったのは分かっているけど、とにかく不快感を感じる」とか。
そういうときに、過去の自分を肯定しろと言われても、難しいですよね。
「当時の自分を癒してあげたい気持ち」と、
「今の自分からすると嫌なところがあるという気持ち」は、
どちらも本物の気持ちです。
今の自分と当時の自分を一緒の存在としてみられたくない。
うちのめされたような当時の自分に弱さや嫌悪感を感じてしまう。
当時の自分はなかったことにして過去に埋めてしまいたい。
そういう、今の自分からするとどうしても許せないところがあるという気持ちは、ある意味当然で、そのぶんだけ頑張った自分のパーツがいるってことなんだと思うんですね。
頑張ったから、頑張ってない当時の自分が嫌。
今の自分が嫌なところを無くした分だけ、昔の自分が嫌。
せっかく今の自分になれたのだから、足を引っ張らないで。
そういう気持ちがあるのは、当然なんですよ。
それだけ、きつかった気持ちをバネに色々やってきたってことですから。
だから私は、その気持ちも本物で良いし、大切にしていいと思うんです。
当時の自分を癒してあげたい気持ちと、当時の自分が憎い気持ち、
どっちもそこにあっていいし、あって当然だと思うんですね。
私たちは、色んな気持ちの矛盾を抱えながら生きています。
過去を含めてまるごと自分を大切にしたい気持ちがある一方で、
恥ずべき自分の側面を闇に葬りたくてたまらない気持ちがあります。
これをどちらか一方に決めようとするとつらくなるし、
大抵は正しいと思われるほうが勝って、恥ずべき自分はなかったことにされてしまいますが、
そうではなくて、二つの気持ちをどちらもあるものと認めて、
むしろあるがままに包み込んであげる、第三の自分がここにいていいと思うんですね。
そんな都合の良い自分はいないと思う人は、
いっそハイアーセルフでも神様でも宇宙でも自然でもなんでもいいのだけれど、
なにか暖かい存在が二つの気持ちをまとめて包んでくれるという想像をしてあげるだけでも、心が落ち着くかも知れません。
それもうまく想像できないとき、私がよくやっているのは、
二つの気持ちをもつ自分を、紙に書き並べて、
上からふかふかの羽を書いて、その二つを包み込んであげる、なんてことです。
なんだそれ、と思うかも知れませんが、思った以上に効果があります。
理屈で納得できないときは、そういう風にイメージの力を借りてみると、
知らないうちに染みこんできたりするんですね。
よければぜひやってみてください。
今日はここまで!
読んでくれてありがとうございました。
※匿名相談もうけつけています^^ブログ上でお返事しますね。
