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ぼくものがたり【第1話】昭和12年、“大日本帝国”の時代――僕は阿佐ヶ谷に生まれた

はじめに

このものがたりは、昭和12(1937)年、
東京・杉並区阿佐ヶ谷に生まれた父が、
「ぼく」として語る、戦前・戦中・戦後の家族と町の記録です。

終戦の年、「ぼく」は、7歳、小学2年生でした。
幼い男の子が見て、聞いて、感じたことが、
そのまま語られています。

父と二人、小さな不動産屋で過ごした数年間。
父は、くりかえし、くりかえし、
時には興奮して声を大きくし、
時には悲しい目をしながら、ぽつりぽつりと――
あのころのことを話してくれました。

戦争の渦に巻き込まれ、
世の中が大きく混乱していた時代。

その中で、ひとりの幼い男の子の目に映った、
日々の出来事のひとつひとつをつづります。

それでは、はじまり、はじまり……。


ぼくのこと

僕は昭和12年(1937年)10月、東京・杉並区の阿佐ヶ谷で生まれた。

「えっ? 超〜おじいちゃんじゃないか」って思うかもしれないね。

でも、この物語は、そんな僕が生まれてから中学生になるまでの話なんだ。

だから、これを読んでくれるきみにも、できれば"友達"のつもりで読んでほしい。

戦争のことも出てくるけれど、幼い僕には、それがどんな意味を持つのかなんて、まだよくわからなかった。

ただ、町の様子や大人たちの表情が、少しずつ変わっていくことだけは、子どもなりに感じていた。

辛いこともたくさんあった。

でも、そんな時代の中でも、子どもだった僕には、楽しいことや面白かったこともたくさんあった。

これは、そんな僕の周りの小さなエピソードを集めた「ぼくものがたり」だ。

今では、あの頃を語れる人も、少なくなってしまった。

だからこそ、今、伝えておきたいと思ったんだ。

僕が生まれた昭和12年が、いったいどんな時代だったのか。

さあ、ほんの少しだけ、いっしょに昔の日本へタイムスリップしてみようか。


国のかたち

これが、僕が生まれたころの"日本"の地図だよ。

地図:NHK for School「日本はなぜ日中戦争に?」より引用


赤く塗られているところが、当時の"日本"。

今より、ずっと広かった。

北海道・本州・四国・九州・沖縄は今と同じだけれど、
そのほかに南樺太があり、台湾や朝鮮を植民地として支配し、
中国からは関東州(旅順・大連)を借り受けて治めていた。

さらに満州には「満州国」という国がつくられ、
日本の強い影響下に置かれていた。

満州は日本の三倍もの広さがあり、そこには日本人が暮らす町もつくられていた。

まさに「大日本帝国」──そう呼ばれていた。

日本はそれまで、日清戦争、日露戦争と、たて続けに勝っていた。

そしてこの年、新たに「日中戦争」が始まった。

でも、多くの人にとって、それはまだ、自分たちの暮らしとは関係のないことのように思われていた。

「中国のどこかで戦いが始まったらしいよ」

そんなふうに、遠い出来事として受け止めていたんだ。

新聞やラジオは「日本軍が勝った」「戦況は順調」と、いいことばかりを伝えていた。

だから、誰もが「この戦争も、すぐに勝って終わるだろう」と軽く考えていた。

むしろ「がんばれ日本!」と盛り上がっていた時代だった。

町のようす

少なくとも、町の表面には、まだ戦争の暗さは見えなかった。

町を歩く人たちは、みんな明るくて、お洒落で、どこか楽しそうだったんだ。

女性たちは、華やかなワンピースに帽子を合わせた洋装や、粋な着物に草履を合わせた和装など、思い思いの装いを楽しんでいた。

男性たちも、着物や羽織姿の人もいれば、スーツ姿の人もいた。紳士のたしなみとして、帽子をかぶる人も多かった。

通りには、洋風のモダンな建物が増えはじめていた。

僕の住んでいた阿佐ヶ谷も、駅前は洒落た雰囲気だった。

阿佐ヶ谷は東京の西にある静かな町。

(今は中央線で新宿まで10分。ずいぶん賑やかになったけどね。)

当時はまだ、畑や屋敷林が残るのどかな場所だった。

それでも駅前には商店街があり、
映画館も二つあったんだ。

今でも思い出す、当時の阿佐ヶ谷の商店街。
浴衣姿の人や帽子の紳士が行き交い、楽しげな空気が漂っていた。
提供:パールセンター商店街 歴史資料室
http://www.asagaya.or.jp/archives/archivesbeow.html

もちろん、国民にも「お国のために」が求められて、
バケツリレーや炊き出しの練習はあったけれど、
それは町内会の行事みたいなもので、和やかだった。

人々の心もち

日本軍がどこかを占領したというニュースが流れれば、
人々は提灯を手にして「万歳、万歳」と町を練り歩いた。

人々は、

「兵隊さんがどこか遠くで戦ってくれているから、
自分たちは安全でいられる」

「日本軍は強く、兵隊さんは偉い」

――そんなふうに考え、いつもどおりの暮らしを続けていた。

だから、戦争が自分たちの暮らしを脅かす日が来るなんて、誰も想像していなかったんだ。

僕が生まれた昭和12年、阿佐ヶ谷の町は、まだ明るかった。

でも、その暮らしは、少しずつ変わっていく。

そして僕は、この先、生涯忘れることのできない、
あの飛行機の爆音を聞き、真っ赤な空を見ることになるんだ。


―― 続けて読む (下の文字をタップできます)――
次の話【第2話】
僕の家と、生まれたときのこと――少し詳しく話すね

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