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ぼくものがたり【第56話】電気パンと釣り竿

僕が小学3年生のころ、近所の兄弟二人も、
しばらくのあいだ、うちの座敷で寝泊まりしていた。

中学1年生のテルオちゃんと、小学5年生のヨシオちゃんだ。
年が近いヨシオちゃんとは、よく一緒に遊んだ。
お兄ちゃんの方は手先が器用で、発明みたいなことが得意だった。

当時、ちょっと話題になっていた「電気パン」というおやつを、よく作ってくれた。

電気パンを焼く機械から作ってくれたんだ。

その機械は……
まず、木でパンが焼けるくらいの大きさの箱を作り、
左右の内側に銅板を1枚ずつ貼りつける。
(銅は電気を一番よく通す金属なんだって。)

そして、その中にメリケン粉(小麦粉)を、水で溶いて流し込む。

それから電気を通すと、ジジジ……と音がして、箱の中がじわじわ熱くなってきた。

僕は、手品を見ているようで、ワクワクして見ていた。

「これがプラスで、こっちがマイナスだよ」
なんて説明してもくれた。

そしてコンセントから電線を引っぱって、上手につなげていた。

電気の仕組みをちゃんと理解していないとできないことだった。

しばらくすると、生地がふくらんで、いい匂いがしてきた。
それが「電気パン」だ。

アツアツを箱からはがして、
それをみんなで、ホクホクしながら頬ばった。

今の食パンよりずっしり重たくて、蒸しパンみたいな感じ。
小麦粉の甘さをほんのり感じて、美味しかった。

ふつうのパンとはちょっと違うけど、あの頃の僕らには、ごちそうだった。

オーブンなんてなかったから、この頃は、電気パンが流行った。


※父の証言をもとに、ChatGPTで再現した「電気パン焼き器」のイメージ


また、テルオちゃんは、とても釣りが上手だった。

よく一緒に、近所の釣り堀の「寿々木園」へ、金魚釣りに行った。
釣り方を教わると、僕もすぐに釣れるようになった。

ぽんぽん釣れて、困っちゃうくらいだった。

その釣り堀、「寿々木園」は、今も阿佐ヶ谷にある。
今は大人のお客さんが多いけれど、昔は子供たちでいっぱいだった。

その兄弟とよく、善福寺川にも行ったんだ。

善福寺川は、昔は「大川」と呼ばれていて、
ホタルが飛ぶほどきれいな川だった。

川の釣りは難しかったけど、
2人に教えてもらって、僕もだんだん上手くなれた。

さらさらと川の流れを聞きながら、釣りをする時間が好きだった。
夕方になると、夕陽が赤く水面に映って、きれいだった。

その兄弟は中学生になると、
「自分たちでやっていきます」と言って、僕の家を後にした。

そのころには、僕も1人で釣りに行けるようになっていた。
釣りは、寂しい思いを少し忘れさせてくれた。

今でも善福寺川の流れを見ると、あの兄弟を思い出す。

画像:現在の善福寺川(昔は「大川」と呼ばれていました)。
ホタルが舞い、魚が群れたその流れは、今も静かに阿佐ヶ谷を流れています。

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