ぼくものがたり【第25回】疎開先で出会った優しさ
僕にとっての学童疎開は、上級生のイジメと、空腹で、毎日泣きたいような気分だった。
僕はいつも隅の方で小さくなっていたんだ。
そんな日々だったけれど、
今でも「ありがたかったなぁ」と、しみじみ思い出す出来事もあったんだ。
その話をするね。
鹿教湯温泉は、温泉街の先に川があって、川沿いに公共のお風呂があった。
各旅館には、まだ温泉がなくて、宿泊客もそこの風呂へ入りに来たんだ。
お湯は温度が低めで、長く入っていられる、湯治するにはぴったりな温泉。
僕たち疎開してきた学童も集団でそこに入っていた。
旅館から隊列を組んで行進して行って、大勢でぎゅうぎゅう詰めで入った。
でも、お腹をこわしたり体調が悪い児童は、
みんなとは別の時間に、ゆっくり入ることを許されていたんだ。
ある日、僕もお腹の調子が良くなくて、
みんなより遅く、温泉に入った。
それで僕が一人で湯船に浸かっていると、
地元のおじさんが入ってきた。
「坊や、可愛いねぇ。東京から来たの?」
僕は「うん」と答えた。
見ると親父くらいの年齢の人だ。
「お父さんお母さんと離れて暮らすのは寂しいだろう」
僕は黙ってうなづいた。
小学2年生とか、杉並区から来たとか、少し話をした。
「しかし、やせちゃってるねぇ。きちんと食べてるかい?」
と、心配そうに、少し細くなった僕の腕を見た。
すると、
「ちょっと待ってなさい。おじさんの家はすぐそこだから、
お芋取ってくるよ。ゆっくり入って、着替えたら待ってなさい」
そう言って、おじさんは急いで風呂を出ていった。
だから僕は、ゆっくり入って待っていたんだ。
お湯の温度は低めだから、いくらでも入っていられる。
それに、話しているうちに、
なんだか親父と一緒にいるような気分になって、心が安らいだ。
旅館の部屋に帰っても、上級生がイジメてくるから、
静かな風呂場は、安心できる場所だった。
しばらくすると、おじさんが帰ってきて、
ふかした大きなサツマイモを、2本もくれたんだ。
「食べなさい。見つかると怒られちゃうから、
ここで食べなさい」って。
温泉の縁に座って、サツマイモを食べた。
甘くてホクホクした美味しいサツマイモだった。
僕はいつもの癖で、大慌てで口に入れていた。
そうしたら、おじさんは、先生が来ないか入り口を見ながら、
「大丈夫そうだから、ゆっくり食べなさい」って笑った。
疎開に来てから、お腹が満たされたことはなかった。
美味しくて、久しぶりに誰かに優しくされて、泣きそうになった。
僕が食べ終わると、おじさんは言った。
「明日も来なさい。明日も持ってくるから」
僕はまた、「お腹の調子が良くない」と言って、
一人でお風呂に入った。
しばらく待っていると、おじさんが来てくれて、
サツマイモをくれた。
その後もしばらく、何度かもらった。
でも、梅雨が過ぎたころ、
おじさんは見なくなった。
理由は分からないけれど、僕は、
「最後にきちんとお礼を言いたかったなぁ」
と思い続けている。
もう一つの思い出は、
そんな出来事があった少しあと。
7月の初め、暑さが本格的になってきた頃のこと。
いつものように休み時間に、畑の脇の草むらで、
食べられるものを探していたら、
うっかり民家の軒先に入ってしまった。
ちょうど縁側から出てきたおばさんと目が合っちゃって、
僕は慌てて引き返そうとした。
先生からは、
「民家には入らない。畑の作物を食べてはいけない。
地元の人から食べ物をもらってはいけない」
と、厳しく言われていたから。
するとおばさんが、
「待ちなさい!」と僕をとめた。
僕は、怒られるかと思って、
ビクビクして立ち尽くしていた。
ちょうどお袋くらいの年の人だった。
僕のことをジッと見ている。
「疎開の子ね。一人?」
僕がうなづくと、周りを気にしながら言った。
「お腹すいてるでしょう。そこで待ってなさい。
おはぎがあるの。おはぎ。わかるでしょ。
持ってくるから。
そこで待ってるのよ」
そう言って、家の中へ入って行った。
僕は、おはぎなんて、
そんな夢のようなものが本当にあるのかと、
半信半疑だった。
おばさんは、手ぬぐいに隠すようにして持ってきた、
おはぎを差し出した。
小さい皿の上にのった、光沢のあるおはぎ。
僕が「いいんですか?」って言ったら、
「これ栄養あるから。食べなさい」って。
僕は、頭を下げてお礼をして、
お皿を手に取り、頬張った。
ほんのり甘い小豆のあんこ。
お袋も戦争がひどくなる前は、よく作ってくれたんだ。
何とも幸せな味だった。
おばさんは、あたりを見ながら、
「いい? このことは誰にも言っちゃだめよ。
頑張りなさい」
そう言って、急いで家に入って行った。
この頃は、田舎の鹿教湯温泉でも、
深刻な食糧難だった。
一見すると、田んぼも畑があって、
食料が豊かに見えたけれど、
収穫した作物は、ほとんど国に徴収されて、
兵隊さんへ送っていた。
地元の人も、食糧難に苦しんでいたんだ。
鹿教湯温泉には、傷痍軍人といって、
戦争で傷を負った兵隊さんも大勢いた。
みんな温泉に入って、傷を治す、湯治療法をしていた。
階級が上の軍医さんも、滞在していたそうだ。
おはぎは、
軍人さんのために作られたものだったのかもしれない。
見ず知らずの僕に、貴重なご馳走を分けてくれたんだ。
今思うと、本当に、本当にありがたいことだった。
それから一生、
僕の好物はサツマイモとおはぎになった。
戦後、
「サツマイモなんて見たくもない。
戦争を思い出すから」
と言う人もいたけれどね。
僕はあの時の味と、
優しさが忘れられない。

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お袋の作ったおやつを、先生たちが食べていた――学童疎開
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