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ぼくものがたり【第26話】お袋の作ったおやつを、先生たちが食べていた――学童疎開

疎開先では、食べ物はぜんぶ上級生に取られてしまうし、
なにもしていないのに、つねられたり、殴られたり、蹴られたり。
理不尽ないじめが多かった。

イジメの他に、今でも悔しくて忘れられないことがある。
やるせない気持ちで布団に入った、夜の出来事だ。

疎開中、親からの差し入れは受け付けてくれていたんだ。
だから親たちは、苦労して食料を調達しては、
自分たちの分を切り詰めて、送ってくれていた。

僕のお袋も、何回か、東京からお菓子を送ってくれた。
お菓子と言っても、手作りの蒸しパンや、小麦粉で作った焼き菓子。
箱一杯にたくさん送ってくれたんだ。

お袋が苦しい食糧事情のなかで、一生懸命作ってくれたもの。

でも、それは全部、先生に取られてしまった。

先生は、
「これをね、みんな一度に食べるとお腹をこわすから、
3時のおやつに、みんなで分けて食べましょう」って。

そして、おやつの時間になると、先生はみんなを並ばせて配った。
ほんのちょっぴり。手のひらに、ちょこんと一口ぶん。
お袋が僕に作ってくれたお菓子なのに。

その日の夜、先生たちの賑やかな声が廊下に響いていた。
僕たち学童は、「何があったんだろう?」って、
みんな、そうっと、のぞきに行ったんだ。

すると、先生たちと、子どもたちの世話をする寮母さんたちが、
「うははー」と大騒ぎしながら、
お菓子をテーブルいっぱいに広げて食べていた。

まんじゅうや煎餅が、山のように置いてある。

親たちが子どものために送った手作りのお菓子を、
大人たちが笑いながら食べていた。

子どもたちは、骨と皮になるくらい痩せていたのに。
先生たちは、夜遅くまでわいわい騒いでいた。

その声を聞きながら、僕らは眠れなかった。

悔しくて、悲しくて、眠れなかった。

ただ、同じ疎開でも、学年によって体験はまったく違った。

前年、昭和19(1944)年6月に6年生で疎開した親戚のお兄さんは、
「疎開は楽しかった」と言っていた。
「ご飯もお腹いっぱい食べられた」と。

僕が行ったのは、戦争末期の昭和20年5月から。
とくに、1年生・2年生・3年生は、
飢えと、上級生からのいじめと、いろんなものと戦っていた。

戦後、その親戚のお兄さんに、疎開での辛かった話をしたら、
「功ちゃんは、弱いなあ。疎開は楽しかったよ」って笑われた。

分かってもらえない、その悔しさも、
ずっと僕の中に残っている。


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疎開先で出会った優しさ

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