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ぼくものがたり【第42話】紙芝居――「買う子が前」と優しいルール

終戦後、子供たちが夢中になったのは紙芝居だった。

テレビなんてまだなかった時代、空き地が子どもたちの遊び場で、
紙芝居は数少ない娯楽だった。

紙芝居のおじさんは、自転車に、紙芝居の枠と、お菓子をいっぱい載せて、
あちこちの空き地を順繰りに回ってきた。

おじさんがやってくると、
子どもたちはなにかしらの駄菓子を買って、紙芝居を見たんだ。

つまり、お菓子代の中に紙芝居のチケット代も含まれていた。

僕は「黄金バット」が面白くてたまらなくて、
紙芝居が来てくれるのが、本当に待ち遠しかった。

紙芝居が来るときは空き地に早く行って、
いい場所を陣取って待っていた。

早く行くと、紙芝居のおじさんが、

「坊やの家はこの辺かい?」
「そうだよ」
「子どもがどこにいるかわかるかい?」
「うん。わかるよ」
「なら、この周りを一回りしてきておくれよ」

って、子どもたちを集めるための拍子木を渡してくれた。

僕はこの拍子木を叩くのも大好きで、
拍子木を鳴らしながら、近所を歩き回った。

おじさんは拍子木をカチャカチャとたくさん持っていて、
それを鳴らせた子たちに少しお駄賃やお菓子をくれた。

戦争で家すら失った人たちもいて、
お菓子を買ってくれるような親はいなかった。

だから子どもたちは、金属を拾ってお金にしたり、
こんなふうに手伝ったり、知恵をしぼってお小遣いを稼いだんだ。

紙芝居のおじさんたちは、青梅街道沿いを移動して商売をしていたから、
子どもがどこにいるかは、子どもたち自身が一番よく知っていた。

僕らの拍子木のカンカンと言う音で、
自然と子どもたちが集まってきた。

僕は紙芝居のおじさんに可愛がられて、顔を覚えてもらっていた。

「10人集めてくれたら水あめをあげるよ」

って、一人でも子どもが多く集まるとおじさんが喜んでくれた。

紙芝居のおじさんは、商売として紙芝居をやっていたから、
きちんとお菓子を買った子を前に座らせた。

「お菓子を買った子は前、買わない子は後ろね」

って言って。

はじめにお金持ってるか持っていないかを、確認するおじさんもいた。
買えない子は後ろの方で可哀そうだった。

でもおじさんは「帰れ」とは言わずに、
アルバイトとして使ってやった。

紙芝居の前でおじさんが拍子木を打っていると、
その間に、おじさんの金目のものを盗もうとする人もいた。

だからおじさんは子どもたちに拍子木を打たせて、
自分は自転車を守っていた。

子どもたちにとっては、水あめが安くて一番買いやすかった。

だから水あめを刺す竹串(今でいう割り箸)を盗まれると大変だった。

竹串は高価だったし、子どもたちにも売れなくなる。

そんなふうに、竹串さえ貴重な時代だった。

たまにアルバイトの子が、

「火の用〜心!」

なんて、町内の見回りのマネをしてふざける子もいて、
怒るおじさんもいた。

雨の日は、

「お煎餅が湿気るから、早く買って」
とか、
「お煎餅買ってくれたらオマケするよ」

とか言われていた。

子どもでも怪しい子はいた。
近隣の子たちが集まっているのに、見ない顔があるとすぐバレた。

「お前どこの子だ」
「そ、そこの子だよ」
「ウソだ!」

って、殴られると、

「ごめんなさい」

と泣いた。

「正直に言えば殴らなかったのに」

そんなやりとりも、よくあった。

だから、ウソをつく子はあまりいなかった。
ウソをつくと、こらしめられたり、友達がいなくなるから。

紙芝居を中心に、僕は色んなことを学んだ。


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