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ぼくものがたり【第36話】物干し泥棒――日本中が貧乏だった

終戦から、しばらくの間、日本全体が本当に貧しかった。

戦争で多くの会社が倒産して、
働き口がない親が大勢いたんだ。

奥さんから、
「ねえ、あんた。そんなところにいないで、
仕事のひとつでも探してきてよ!」
なんて言われて、みんな仕事を探していた。

でも、そう簡単に働き口なんて見つからなかった。

だから、手っ取り早く泥棒をする人も多かった。
何かを盗んでは、質屋やクズ屋に売ってお金に換えていた。

洗濯物もよく盗まれていた。
外に洗濯物を干していると、泥棒はさりげなく入ってきて、
パパパッと、素早く洗濯物を取って盗んでいく。

当時は服だってまったく足りなかったから、
質屋に持っていけばお金に換えられた。

洗濯物を盗む泥棒を「物干し泥棒」と言った。
戦争でなんにもなくなってたから、
物干し泥棒がそのころ流行っていた。

悪い大人はお菓子で子供を手なずけて、

「坊や、このお菓子をあげるから、
あの洗濯物を取ってきて、おじさんに渡しておくれよ。」

なんて言ってきて、
「それって泥棒でしょ」って返すと、

「大人には色々とあるんだよ。
持ってきてくれればお小遣いあげるよ」

なんてこともよくあった。

僕は小学3年生を過ぎていたから、
それが悪いことだって、なんとなくわかった。

その頃、僕は「地主さんの坊や」と呼ばれていた。
周りの大人たちに、
「地主さんの坊やがあんなことしたら叱られるよ」
と、気をつけるように言われてもいた。

靴もよく盗まれていた。
運動靴、ゴム製の長靴とか何でも。

道に面した家では、玄関の前が通り道だから、
泥棒にみんな持って行かれた。

だから、どの家も靴は玄関の奥や家の中にしまっていた。

僕の家は道路から奥まった場所にあったから、
泥棒に狙われることはなかった。

子供も拾ったものを質屋に持って行った。
お金に換えると、そのお金を親にやっていた。

親が褒めてくれたり喜んでくれるのが一番嬉しかった。

子供でも、悪いと思いながらも盗んでいる子がいた。
親は、まさか自分の子が盗みを働いているなんて、
思ってもいなかった。

子供も、褒められるのがうれしくて、
悪いとわかりながらも、繰り返してしまった。

洗濯物を干している家も、子供だと油断していた。
もし見つかっても、警察は、

「子供がやっているなら仕方ないよ」
と、相手にしなかった。

親が盗んでこいって子も多かった。
悪いとわかっていても、どうしようもなかった。

親も強盗したりしていた。

「あのおじちゃんは殺し屋だ」って、
子供はよくわかっていた。


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