ぼくものがたり【第9回】暮らしが、奪われてゆく――金属回収令
「金属回収令」というおふれが、全国に出た。
戦争を継続するのに、とにかく鉄が足りなくなった。
軍需物資の需要が急増して、金属の回収は国の最優先事項となった。
軍需物資というと、鉄砲や爆弾、飛行機、戦車はもちろん、
戦艦の製造、軍事インフラのための鉄道のレールや橋梁、
通信機器などなど、戦争をするために必要なものは、ほとんどが金属でできていた。
陸軍にいた親父の弟、健作おじさんは、
「今まではアメリカのスクラップをもらっていたけれど、
今はそのアメリカと戦争しているから鉄が入らなくなった」
と言っていた。
アメリカから買った鉄で、アメリカと戦う武器をつくる。
それも変な話なので、仕方ないかな。と僕は思った。
だけど、戦争が激しくなるほど、壊され、失われ、
また作り直さなければならなかった。
ものすごい悪循環。
だから国は、町中から金属を集めようとした。
「不要な金属は、進んで差し出せ」
そう言われ、各家庭で家の中を探し回り、
倉庫に余っていた釘など、鉄くずを差し出した。
ところが、最初は「不要なもの」という名目だったけれど、
実際には生活に必要なものまで有無を言わさず集められたんだ。
あらゆる金属をかき集める「なりふり構わぬ策」だった。
鍋や釜、やかん、フライパンといった台所用品から、門や塀の金具、雨どい、手すりまで、対象はどんどん広がっていった。
それは「協力」ではあったけれど、実際には、断ることのできない命令だった。
各家に、隣組の人たちが回収に来て、品々を一つ一つ確認し、厳しい人が来ると、どんなに大事なものでも容赦なく持っていった。
「この鍋がないと、ごはんが作れません」
「この鍬がないと、畑が耕せません」
と説得して、なんとか残してもらおうとする家もあったけれど、
通じないことも多かった。
僕の五月人形の兜(かぶと)も、差し出させられた。
写真にも写っている、大切なものだった。
悔しかった。本当に、悔しかった。
ラジオでは、
「みんなが喜んで、兵隊さんのために金属を差し出しています!」
なんて言っていたけれど、心からそう思っていた人なんて、
いなかったと思う。
「嫌です」なんて言ったら、すぐに「非国民だ」と言われ、
牢屋に入れられるかもしれない。
だから、仕方なく差し出すしかなかったんだ。
それでも、お袋たちは仲間同士で相談して、大事なものは隠した。
タンスの取っ手なんかは、納戸の奥にこっそり隠してあった。
そういうところは、女の人たちは、ぬかりがなかった。
金属回収令で持っていかれたのは、家の中の物だけじゃなかった。
お寺の鐘、神社の鳥居や銅鏡、学校の二宮金次郎像、商店街の看板……
町のいろんなものが、次々に姿を消していった。
国の「それ、よこせ!」という態度は、だんだんと乱暴になっていった。
僕らのまわりのものが、ひとつ、またひとつと、削り取られていった。
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戦時下の「隣組」の真実――助け合い?いや、見張り合いだった
